FIRST KISS (MACOのアルバム)


FIRST KISS (MACOのアルバム)


FIRST KISS』(ファースト キス)は、MACO初のスタジオ・アルバム。2015年11月4日にユニバーサルミュージックから発売。

収録曲

CD

  1. LOVE(4:41)
    作詞:MACO、作曲:MUSOH
    テレビ朝日系「お願い!ランキング」5月度エンディングテーマソング
  2. ふたりずっと(5:21)
    作詞:MACO、作曲:MUSOH
  3. Kiss(5:21)
    作詞:MACO、作曲:MUSOH
    YouTubeドラマ『ラストキス』主題歌、日本テレビ系『バズリズム』10月エンディングテーマ
  4. 告白(5:48)
    作詞:MACO、作曲:Takashi Yamaguchi
  5. Don’t You Know I Love U(3:35)
    作詞:MACO、作曲:DEY GON GET IT・MUSOH・GALAX
  6. アタシノスキナヒト(3:40)
    作詞:MACO、作曲:Ricky Hanley・Dawn Joseph・Rob Derbyshire
  7. 24歳の私からママへ(5:38)
    作詞:MACO、作曲:MACO・Marchin
  8. マフラー(4:53)
    作詞:MACO、作曲:Takashi Yamaguchi
  9. We Gonna Be Happy(3:57)
    作詞:MACO、作曲:MUSOH
  10. SHINY STARS(4:00)
    作詞:MACO、作曲:Hisashi Nawata
    NHK・民放連共同ラジオキャンペーンin北海道「キタラジ」キャンペーンソング
  11. 君の背中に(3:36)
    作詞:MACO、作曲:Jeff Miyahara・Erik Lidbom
  12. 青春の翼(3:36)
    作詞:Michel Charles Sardou・Pierre Jean Maurice Billon・日本語訳詞:MACO、作曲:Michel Charles Sardou
    映画『エール!』主題歌日本語版

DVD

  1. LIVE at LIQUIDROOM(2015.6.14)Behind The Scene
  2. Album FIRST KISS & Kiss Jacket Making
  3. ふたりずっと Music Video & Making
  4. LOVE Music Video

外部リンク


FIRST KISS (MACOのアルバム)


シャンゼリゼ (テレビ番組)


シャンゼリゼ (テレビ番組)


シャンゼリゼ (仏: Champs-Élysées) とは、フランスのテレビ番組である。

概要

ミシェル・ドラッカーの司会によるバラエティ番組で、毎回、俳優や歌手が登場し、トークや歌、ダンスを繰り広げた。1980年代と2010年代の2シーズンに大別される。

最初のシーズンは1982年から1990年まで、アンテンヌ2にて毎週土曜日の夜に放送された。新シーズンは2010年から、アンテンヌ2が組織改編したフランス2にて不定期で放送されている。

番組タイトルは、収録が行われる会場の「パビロン・ガブリエル」 (Pavillon Gabriel) がシャンゼリゼ通り近傍を並行するガブリエル通り沿いに所在することに由来する。

主題曲はジャン=ピエール・ボフテール (Jean-Pierre Bourtayre) の作曲で、ジャン=クロード・プティ (Jean-Claude Petit) の楽団によって演奏された。

Turnbull & Asser

歴史

1980年代

1982年1月16日放送開始。1980年代をとおして新人からベテランまで多くの歌手や俳優、アイドルがこの番組に登場した。フランス国内からは、ミシェル・トール(Michèle Torr ) や、ダリダ (Dalida) 、リカ・ザライ (Rika Zarai) 、ミシェル・サルドゥ (Michel Sardou) 、ティエリ・ル・ルロン (Thierry Le Luron) 、コリューシュ(Coluche) 、ジャン=ジャック・ゴールドマン (Jean-Jacques Goldman) 、ダニエル・バラヴォワーヌ (Daniel Balavoine) 、セルジュ・ゲンスブール (Serge Gainsbourg) 、ジャック・イジュラン (Jacques Higelin) 、フランス国外からは、キム・ワイルド (Kim Wilde) 、フィル・コリンズ (Phil Collins) 、イレイジャー (Erasure) などが登場した。セリーヌ・ディオン (Céline Dion) は、フランスではこの番組がテレビ初登場であった。

非常に成功した番組であったが、1990年6月29日に放送を終了した。

2010年代

2010年11月13日放送開始。フランスの音楽関係者による番組復活の声に押され、ミシェル・ドラッカーはフランス2と番組復活の合意に至った。この復活劇はTF1で1980年代から1990年代にかけて放送され、2007年にTF1で復活放送された「Sacrée Soirée」を連想させた。最初の放送は2010年11月13日で、その後は2011年1月15日、同年3月12日に放送された。

番組の出だしは、1980年代と同様、出演者を乗せた自動車がパビロン・ガブリエル正面へ乗りつけ、そこから出演者が会場へ入るという構成で、特に変更は無いが、オープニング映像はCGが多用されたものに変更され、主題曲も編曲されたものになった。

出演は新人とベテランの2本立てで、ベテラン勢は1980年代に活躍し、当時の放送に出演した人物やグループが多く登場している。

参考文献

  • KHALEEJパリれぽーと - ジュリアン FR2 "Champs-Elysées 2010" (シャンゼリゼ)に出演!

関連項目

  • Stars 90 - シャンゼリゼの後、1990年からTF 1にて放送開始したミシェル・ドラッカー司会のバラエティ番組。1981年にもTF1にて「Stars」という番組が同じ司会者で放送されていた。
  • Récré A2 - シャンゼリゼとともにアンテンヌ2の看板番組であった、子供向けテレビ番組。


シャンゼリゼ (テレビ番組)


アカデミー・フランセーズの会員の一覧


アカデミー・フランセーズの会員の一覧


これはアカデミー・フランセーズの座席番号である。アカデミー会員の主な職業が示されている。データは会員の期間を示し、一度選ばれた会員は生涯それを受け持つが1803年と1816年の再編成やそれ以外の時に「除名」されたことがある。


座席番号1

  1. ピエール・セギエ Pierre Séguier 1635年-1643年、政治家・行政官
  2. クロード・バザン・ド・ブゾン Claude Bazin de Bezons 1643年-1684年、弁護士
  3. ニコラ・ボアロー=デプレオー Nicolas Boileau-Despréaux 1684年-1711年、詩人・批評家
  4. ジャン・デストレー Jean d'Estrées 1711年-1718年、聖職者・政治家
  5. マルク=ルネ・ダルジャンソン Marc-René d'Argenson 1718年-1721年、政治家
  6. ジャン=ジョゼフ・ランゲ・ド・ジェルジー Jean-Joseph Languet de Gergy 1721年-1753年、聖職者
  7. ビュフォン伯爵ジョルジュ=ルイ・ルクレール George-Louis Leclerc, comte de Buffon 1753年-1788年随筆家
  8. フェリックス・ヴィック・ダジール Félix Vicq d'Azir 1788年-1794年、内科医
  9. フランソワ=ユルバン・ドメルグ François-Urbain Domergue 1803年-1810年、文法学者
  10. アンジュ=フランソワ・ファリオー Ange-François Fariau 1810年、詩人・翻訳家
  11. フランソワゾーギュスト・パルスヴァル=グランメゾン François-Auguste Parseval-Grandmaison 1811年-1834年、詩人
  12. ナルシス=アシル・ド・サルヴァンディ Narcisse-Achille de Salvandy 1835年-1856年、政治家・歴史家
  13. エミール・オジエ Émile Augier 1857年-1889年、詩人・劇作家
  14. シャルル・ド・フレシネ Charles de Freycinet 1890年-1923年、政治家・物理学者
  15. エミール・ピカール Émile Picard 1924年-1941年、数学者
  16. ルイ・ド・ブロイ Louis de Broglie 1944年-1987年、物理学者・数学者
  17. ミシェル・ドブレ Michel Debré 1988年-1996年、政治家
  18. フランソワ・フュレ François Furet 1997年、歴史家
  19. ルネ・レモン René Rémond 1998年-2007年、歴史家
  20. クロード・ダジャン Claude Dagens 2008年選出、聖職者
Turnbull & Asser

座席番号2

  1. ヴァランタン・コンラール Valentin Conrart 1634年-1675年、詩人・文法学者
  2. トゥッサン・ローズ Toussaint Rose 1675年-1701年、雄弁家
  3. ルイ・ド・サシー Louis de Sacy 1701年-1727年、弁護士
  4. モンテスキュー男爵シャルル・ド・セコンダ Charles de Secondat, Baron de Montesquieu 1728年-1755年、行政官・哲学者
  5. ジャン=バティスト・ド・ヴィヴィアン・ド・シャトーブラン Jean-Baptiste de Vivien de Châteaubrun 1755年-1775年、詩人・劇作家
  6. フランソワ=ジャン・ド・シャテリュクス François-Jean de Chastellux 1775年-1788年、musician
  7. エマール=シャルル=マリー・ド・ニコライ Aimar-Charles-Marie de Nicolaï 1788年-1794年、行政官
  8. ニコラス=ルイ・フランソワ・ド・ヌフシャトー Nicolas-Louis François de Neufchâteau 1803年-1828年、政治家・言語学者
  9. ピエール=アントワーヌ・ルブラン Pierre-Antoine Lebrun 1828年-1873年、政治家・詩人
  10. アレクサンドル・デュマ・フィス Alexandre Dumas, fils 1874年-1895年、劇作家・小説家
  11. アンドレ・トゥーリエ André Theuriet 1833年-1907年、小説家・詩人
  12. ジャン・リシュパン Jean Richepin 1908年-1926年、詩人・小説家
  13. エミール・マール Émile Mâle 1927年-1954年、美術 歴史家
  14. フランソワ・アルベール=ビュイッソン François Albert-Buisson 1955年-1961年、行政官・政治家
  15. マルク・ボーニェ Marc Boegner 1962年-1970年、聖職者・神学者
  16. ルネ・ド・カストリ René de Castries 1972年-1986年、歴史家
  17. アンドレ・フロッサール André Frossard 1987年-1995年、随筆家・ジャーナリスト
  18. エクトール・ビアンシオッティ Hector Bianciotti 1996年-2012年、小説家
  19. ダニー・ラフェリエール Dany Laferrière 2013年選出、小説家

座席番号3

  1. ジャック・ド・スリゼー Jacques de Serisay 1634年-1653年、詩人
  2. ポール=フィリップ・ド・ショモン Paul-Philippe de Chaumont 1654年-1697年、聖職者
  3. ルイ・クザン Louis Cousin 1697年-1707年、歴史家・ジャーナリスト
  4. ミムール公爵ジャック=ルイ・ド・ヴァロン Jacques-Louis de Valon, marquis de Mimeure 1707年-1719年、詩人・翻訳家
  5. ニコラ・ジェディオン Nicolas Gédyon 1719年-1744年、聖職者
  6. フランソワ=ジョアシャン・ド・ピエール・ド・ベルニ François-Joachim de Pierre de Bernis 1744年-1794年、聖職者
  7. ロシャンブロワーズ・キュキュロン・シカール Roch-Ambroise Cucurron Sicard 1803年-1822年、聖職者・文法学者
  8. ドニ=リュック・フレッシヌス Denis-Luc Frayssinous 1822年-1841年、聖職者
  9. エティエンヌ・ドニ・パスキエ Étienne-Denis Pasquier 1842年-1862年、政治家
  10. ジュール=アルマン・デュフォール Jules-Armand Dufaure 1863年-1881年、政治家・弁護士
  11. ヴィクトール・シェルビュリエ Victor Cherbuliez 1881年-1899年、小説家・劇作家
  12. エミール・ファゲ Émile Faguet 1900年-1916年、文学 評論家・歴史家
  13. ジョルジュ・クレマンソー Georges Clemenceau 1918年-1929年、政治家・医者
  14. アンドレ・ショーメ André Chaumeix 1830年-1955年、ジャーナリスト・評論家
  15. ジェローム・カルコピノ Jérôme Carcopino 1955年-1970年、歴史家・考古学者
  16. ロジェ・カイヨワ Roger Caillois 1971年-1978年、随筆家・社会学者
  17. マルグリット・ユルスナール Marguerite Yourcenar 1980年-1987年、小説家・随筆家。女性初のアカデミー・フランセーズ会員。
  18. ジャン=ドニ・ブルダン Jean-Denis Bredin 1989年選出、行政官・随筆家

座席番号4

  1. ジャン・デマレ・ド・サン=ソルラン Jean Desmarets de Saint-Sorlin 1634年-1676年、詩人・小説家
  2. ジャン=ジャック・ド・メム Jean-Jacques de Mesmes 1676年-1688年、行政官
  3. ジャン・テステュ・ド・モロワ Jean Testu de Mauroy 1688年-1706年、聖職者
  4. カミーユ・ル・テリエ・ド・ルヴォワ Camille le Tellier de Louvois 1706年-1718年、聖職者
  5. ジャン=バティスト・マシヨン Jean-Baptiste Massillon 1718年-1742年、聖職者
  6. ルイ=ジュール・マンシーニ=マザリーニ Louis-Jules Mancini-Mazarini 1742年-1798年、政治家・詩人
  7. ガブリエル=マリー・ルグヴェ Gabriel-Marie Legouvé 1803年-1812年、詩人
  8. アレクサンドル=ヴァンサン・ピヌー・デュヴァル Alexandre-Vincent Pineux Duval 1812年-1842年、詩人・劇作家
  9. ピエール=シモン・バランシュ Pierre-Simon Ballanche 1842年-1847年、哲学者
  10. ジャン・ヴァトゥー Jean Vatout 1848年、詩人
  11. サン=プリエスト伯爵アレクシス・ド・ギニャール Alexis de Guignard, Comte de Saint-Priest 1849年-1851年、政治家・歴史家
  12. ピエール=アントワーヌ・ベリエ Pierre-Antoine Berryer 1852年-1868年、弁護士
  13. フランソワ=ジョセフ・ド・シャンパニー François-Joseph de Champagny 1869年-1882年、歴史家
  14. シャルル・ド・マザード Charles de Mazade 1882年-1893年、詩人・評論家
  15. ジョゼ=マリア・ド・エレディア José-Maria de Heredia 1894年-1905年、詩人
  16. モーリス・バレス Maurice Barrès 1906年-1923年、小説家・政治家
  17. ルイ・ベルトラン Louis Bertrand 1925年-1941年、小説家・歴史家
  18. ジャン・タロー Jean Tharaud 1946年-1952年、小説家
  19. アルフォンス・ジュアン Alphonse Juin 1952年-1967年、軍人
  20. ピエール・エマニュエル Pierre Emmanuel 1968年-1984年、詩人
  21. ジャン・アンビュルジェ Jean Hamburger 1985年-1992年、医者・随筆家
  22. アルベール・ドクルトレ Albert Decourtray 1993年-1994年、聖職者
  23. ジャン=マリー・リュスティジェ Jean-Marie Lustiger 1995年-2007年、聖職者
  24. ジャン=リュック・マリオン Jean-Luc Marion 2008年選出、哲学者

座席番号5

  1. ジャン・オジエ・ド・ゴンボール Jean Ogier de Gombauld 1634年-1666年、詩人・劇作家
  2. ポール・タルマン・ル・ジューヌ Paul Tallement le Jeune 1666年-1712年、聖職者
  3. アントワーヌ・ダンシェ Antoine Danchet 1712年-1748年、劇作家・詩人
  4. ジャン=バティスト=ルイ・グレッセ Jean-Baptiste-Louis Gresset 1748年-1777年、劇作家
  5. クロード=フランソワ=グザヴィエ・ミロ Claude-François-Xavier Millot 1777年-1785年、聖職者
  6. アンドレ・モルレ André Morellet 1785年-1819年、聖職者
  7. ピエール=エドゥアール・レモンテー Pierre-Édouard Lémontey 1819年-1826年、政治家・弁護士
  8. ジョゼフ・フーリエ Joseph Fourier 1826年-1830年、数学者・物理学者
  9. ヴィクトル・クザン Victor Cousin 1830年-1867年、政治家・哲学者
  10. ジュール・ファーヴル Jules Favre 1867年-1880年、政治家・弁護士
  11. エドモン・ルース Edmond Rousse 1880年-1906年、弁護士
  12. ピエール・ド・セギュール Pierre de Ségur 1907年-1916年、歴史家
  13. ロベール・ド・フレール Robert de Flers 1920年-1927年、劇作家・ジャーナリスト
  14. ルイ・マドラン Louis Madelin 1927年-1956年、歴史家
  15. ロベール・ケンプ Robert Kemp 1956年-1959年、文学・演劇評論家
  16. ルネ・ユイグ René Huyghe 1960年-1997年、美術 歴史家・随筆家
  17. ジョルジュ・ヴデル Georges Vedel 1998年-2002年、行政官
  18. アシア・ジェバール Assia Djebar 2005年-2015年、小説家・映画監督
  19. アンドレイ・マキーヌ Andreï Makine 2016年選出、小説家

座席番号6

  1. フランソワ・ル・メテル・ド・ボワロベール François le Métel de Boisrobert 1634年-1662年、聖職者・詩人
  2. ジャン・ルノー・ド・スグレ Jean Renaud de Segrais 1662年-1701年、詩人・小説家
  3. ジャン・ガルベール・ド・カンピストロン Jean Galbert de Campistron 1701年-1723年、劇作家
  4. フィリップ・ネリコー・デトゥーシュ Philippe Néricault Destouches 1723年-1754年、劇作家・外交官
  5. ルイ・ド・ボワシ Louis de Boissy 1754年-1758年、詩人
  6. ジャン=バティスト・ド・ラ・キュルヌ・ド・サント=パレー Jean-Baptiste de La Curne de Sainte-Palaye 1758年-1781年、考古学者
  7. セバスティアン=ロシュ=ニコラ・シャンフォール Sébastien-Roch-Nicolas Chamfort 1781年-1794年、劇作家・出版業者
  8. ピエール=ルイス・ロデレール Pierre-Louis Roederer 1803年-1835年、政治家・弁護士
  9. ピエール=マルク=ガストン・ド・レヴィ Pierre-Marc-Gaston de Lévis 1816年-1830年、政治家
  10. フィリップ=ポール・ド・セギュール Philippe-Paul de Ségur 1830年-1873年、外交官・歴史家
  11. シャルル・ド・ヴィエル=カステル Charles de Viel-Castel 1873年-1887年、外交官
  12. エドモン・ジュリアン・ド・ラ・グラヴィエール Edmond Jurien de la Gravière 1888年-1892年、海軍軍人
  13. エルネスト・ラヴィス Ernest Lavisse 1892年-1922年、歴史家
  14. ジョルジュ・ド・ポルト=リシュ Georges de Porto-Riche 1923年-1930年、劇作家・詩人
  15. ピエール・ブノワ Pierre Benoit 1931年-1962年、小説家
  16. ジャン・ポーラン Jean Paulhan 1963年-1968年、文学・芸術評論家
  17. ウジェーヌ・イヨネスコ Eugène Ionesco 1970年-1994年、劇作家
  18. マルク・フュマロリ Marc Fumaroli 1995年選出、歴史家・随筆家

座席番号7

  1. ジャン・シャプラン Jean Chapelain 1634年-1674年、王室相談役
  2. イザーク・ド・バンスラード Isaac de Benserade 1674年-1691年、詩人・劇作家
  3. エティエンヌ・パヴィヨン Étienne Pavillon 1691年-1705年、弁護士・詩人
  4. ファビオ・ブリュラール・ド・シルリー Fabio Brulart de Sillery 1705年-1714年、聖職者・詩人
  5. アンリ・ジャック・ド・ラ・フォルス公爵 Henri-Jacques de la Force, Duc de la Force 1715年-1726年、経済学者
  6. ジャン=バティスト・ド・ミラボー Jean-Baptiste de Mirabaud 1726年-1760年、翻訳家
  7. クロード=アンリ・ヴァトレ Claude-Henri Watelet 1760年-1786年、画家
  8. ミシェル=ジャン・スデーヌ Michel-Jean Sedaine 1786年-1797年、詩人・劇作家
  9. ジャン=フランソワ・コラン・ダルルヴィル Jean-François Collin d'Harleville 1803年-1806年、劇作家・詩人
  10. ピエール・ダリュ Pierre Daru 1806年-1829年、政治家・歴史家
  11. アルフォンス・ド・ラマルティーヌ Alphonse de Lamartine 1829年-1869年、政治家・詩人
  12. エミール・オリヴィエ Émile Ollivier 1870年-1913年、政治家・弁護士
  13. アンリ・ベルクソン Henri Bergson 1914年-1941年、哲学者
  14. エドゥアール・ル・ロワ Édouard le Roy 1945年-1954年、哲学者・数学者
  15. アンリ・プティオ(ダニエル=ロップス) Henri Petiot (Daniel-Rops) 1955年-1965年、詩人・小説家
  16. ピエール=アンリ・シモン Pierre-Henri Simon 1966年-1972年、文学 歴史家・小説家
  17. アンドレ・ルッサン André Roussin 1973年-1987年、劇作家
  18. ジャクリーヌ・ド・ロミリ Jacqueline de Romilly 1988年-2010年、言語学者・随筆家
  19. ジュール・ホフマン Jules A. Hoffmann 2012年選出、生物学者

座席番号8

  1. クロード・ド・マルヴィル Claude de Malleville 1634年-1647年、詩人
  2. ジャン・バルダン Jean Ballesdens 1648年-1675年、弁護士
  3. ジェロー・ド・コルドモワ Géraud de Cordemoy 1675年-1684年、哲学者・歴史家
  4. ジャン=ルイ・ベルジュレ Jean-Louis Bergeret 1684年-1694年、弁護士
  5. シャルル=イレネー・カステル・ド・サン=ピエール Charles-Irénée Castel de Saint-Pierre 1694年-1743年、聖職者
  6. ピエール=ルイ・モロー・ド・モペルテュイ Pierre-Louis Moreau de Maupertuis 1743年-1759年、天文学者
  7. ポンピニャン侯爵ジャン=ジャック・ルフラン Jean-Jacques Lefranc、marquis de Pompignan 1759年-1784年、行政官・経済学者
  8. ジャン=シフラン・モーリー Jean-Sifrein Maury 1784年、聖職者・政治家。再編成で1803年に除籍、座席番号15も参照
  9. ミシェル=ルイ=エティエンヌ・レニョー・ド・サン=ジャン・ダンジェリ Michel-Louis-Étienne Regnaud de Saint-Jean d'Angély 1803年-1819年、政治家・弁護士
  10. ピエール=シモン・ラプラス Pierre-Simon Laplace 1816年-1827年、政治家・数学者
  11. ピエール=ポール・ロワイエ=コラール Pierre-Paul Royer-Collard 1827年-1845年、政治家
  12. シャルル・ド・レミュザ Charles de Rémusat 1846年-1875年、政治家・哲学者
  13. ジュール・シモン Jules Simon 1875年-1896年、政治家・哲学者
  14. アルベール・ド・マン Albert de Mun 1897年-1914年、政治家・軍人
  15. アルフレッド・ボードリヤール Alfred Baudrillart 1918年-1942年、聖職者・歴史家
  16. オクターヴ・オーブリー Octave Aubry 1946年-1946年、歴史家・官僚
  17. エドゥアール・エリオ Édouard Herriot 1946年-1957年、政治家・文学 歴史家
  18. ジャン・ロスタン Jean Rostand 1959年-1977年、生物学者・哲学者
  19. ミシェル・デオン Michel Déon 1978年-2016年、小説家
  20. ダニエル・ロンドー 2019年選出、作家、外交官

座席番号9

  1. ニコラ・ファレ Nicolas Faret 1634年-1646年、詩人
  2. ピエール・デュ・リエ Pierre du Ryer 1646年-1658年、劇作家
  3. セザール・デストレ César d'Estrées 1658年-1714年、聖職者・政治家
  4. ヴィクトール=マリー・デストレ Victor-Marie d'Estrées 1715年-1737年、政治家・軍人
  5. シャルル=アルマン=ルネ・ド・ラ・トレモイユ Charles-Armand-René de la Trémoille 1738年-1741年、貴族
  6. アルマン・ド・ロアン=スビーズ Armand de Rohan-Soubise 1741年-1756年、聖職者
  7. アントワーヌ・ド・マルヴァン・ド・モンタゼ Antoine de Malvin de Montazet 1756年-1788年、聖職者
  8. スタニスラス・ド・ブーフレール Stanislas de Boufflers 1788年-1815年、詩人
  9. ルイ=ピエール=マリー=フランソワ・バウール=ロルミアン Louis-Pierre-Marie-François Baour-Lormian 1815年-1854年、詩人・劇作家
  10. フランソワ・ポンサール François Ponsard 1855年-1867年、劇作家
  11. ジョゼフ・オートラン Joseph Autran 1868年-1877年、詩人
  12. ヴィクトリアン・サルドゥー Victorien Sardou 1877年-1908年、劇作家
  13. マルセル・プレヴォー Marcel Prévost 1909年-1941年、小説家
  14. エミール・アンリオ Émile Henriot 1945年-1961年、小説家・文学 評論家
  15. ジャン・ゲーノ Jean Guéhenno 1962年-1978年、随筆家
  16. アラン・ドゥコー Alain Decaux 1979年-2016年、歴史家
  17. パトリック・グランヴィル 2018年選出、小説家

座席番号10

  1. アントワーヌ・ゴドー Antoine Godeau 1634年-1672年、聖職者・詩人
  2. エスプリー・フレシエ Esprit Fléchier 1672年-1710年、聖職者
  3. アンリ・ド・ネスモン Henri de Nesmond 1710年-1727年、聖職者
  4. ジャン=ジャック・アムロ・ド・シャイユー Jean-Jacques Amelot de Chaillou 1727年-1749年、政治家
  5. シャルル・ルイ・オーギュスト・フーケ・ド・ベル=イル Charles-Louis-Auguste Fouquet de Belle-Isle 1749年-1761年、政治家・軍人
  6. ニコラ=シャルル=ジョセフ・トリュブレ Nicolas-Charles-Joseph Trublet 1761年-1770年、聖職者
  7. ジャン=フランソワ・ド・サン=ランベール Jean-François de Saint-Lambert 1770年-1803年、詩人・哲学者
  8. ユーグ=ベルナール・マレ Hugues-Bernard Maret 1803年-1839年、政治家・外交官
  9. ジョゼフ・レネ Joseph Lainé 1816年-1835年、政治家・行政官
  10. エマニュエル・メルシエ・デュパティ Emmanuel Mercier Dupaty 1836年-1851年、詩人・劇作家
  11. アルフレッド・ド・ミュッセ Alfred de Musset 1852年-1857年、劇作家・詩人
  12. ヴィクトール・ド・ラプラード Victor de Laprade 1858年-1883年、詩人
  13. フランソワ・コペー François Coppée 1884年-1908年、詩人・小説家
  14. ジャン・エカール Jean Aicard 1909年-1921年、詩人・小説家
  15. カミーユ・ジュリアン Camille Jullian 1924年-1933年、歴史家・言語学者
  16. レオン・ベラール Léon Bérard 1934年-1960年、政治家・弁護士
  17. ジャン・ギトン Jean Guitton 1961年-1999年、神学者
  18. フロランス・ドゥレ Florence Delay 2000年選出、小説家・劇作家

座席番号11

  1. フィリップ・アベール Philippe Habert 1634年-1638年、詩人
  2. ジャック・エスプリ Jacques Esprit 1639年-1678年、政治家
  3. ジャック=ニコラ・コルベール Jacques-Nicolas Colbert 1678年-1707年、聖職者
  4. クロード=フランソワ・フラギエ Claude-François Fraguier 1707年-1728年、聖職者
  5. シャルル・ドルレアン・ド・ロトラン Charles d'Orléans de Rothelin 1728年-1744年、聖職者
  6. ガブリエル・ジラール Gabriel Girard 1744年-1748年、聖職者
  7. アントワーヌ=ルネ・ド・ヴォワイエ・ダルジャンソン・ド・ポルミ Antoine-René de Voyer d'Argenson de Paulmy 1748年-1787年、政治家
  8. アンリ=カルダン=ジャン=バティスト・ダゲッソー Henri-Cardin-Jean-Baptiste d'Aguesseau 1787年-1826年、政治家
  9. シャルル・ブリフォー Charles Brifaut 1826年-1857年、詩人・劇作家
  10. ジュール・サンドー Jules Sandeau 1858年-1883年、小説家・劇作家
  11. エドモン・アブー Edmond About 1884年-1885年、小説家・劇作家
  12. レオン・セイ Léon Say 1886年-1896年、政治家・経済学者
  13. アルベール・ヴァンダル Albert Vandal 1896年-1910年、歴史家
  14. ドニー・コシャン Denys Cochin 1911年-1922年、政治家
  15. ジョルジュ・ゴヨー Georges Goyau 1922年-1939年、歴史家
  16. ポール・アザール Paul Hazard 1940年-1944年、歴史家・哲学者
  17. モーリス・ガルソン Maurice Garçon 1946年-1967年、弁護士・小説家・歴史家
  18. ポール・モラン Paul Morand 1968年-1976年、外交官・小説家・劇作家・詩人
  19. アラン・ペールフィット Alain Peyrefitte 1977年-1999年、政治家・外交官
  20. ガブリエル・ド・ブロイ Gabriel de Broglie 2001年選出、歴史家

座席番号12

  1. ジェルマン・アベール・ド・セリジー Germain Habert de Cérizy 1634年-1654年、聖職者
  2. シャルル・コタン Charles Cotin 1655年-1681年、聖職者
  3. ルイ・ド・クルシヨン・ド・ダンジョー Louis de Courcillon de Dangeau 1682年-1723年、聖職者・政治家
  4. シャルル=ジャン=バティスト・フルレオー・ド・モルヴィル Charles-Jean-Baptiste Fleureiau de Morville 1723年-1732年、政治家
  5. ジャン・テラソン Jean Terrasson 1732年-1750年、聖職者・哲学者
  6. クロード・ド・ティアール・ド・ビシー Claude de Thiard de Bissy 1750年-1810年、軍人
  7. ジョゼフ=アルフォンス・エスメナール Joseph-Alphonse Esménard 1810年-1811年、政治家
  8. シャルル・ラクルテール・ジューヌ Charles Lacretelle Jeune 1811年-1855年、歴史家
  9. ジャン=バティスト・ビオ Jean-Baptiste Biot 1856年-1862年、物理学者・数学者
  10. ルイ・ド・カルネ Louis de Carné 1863年-1876年、政治家
  11. シャルル・ブラン Charles Blanc 1876年-1882年、美術 評論家
  12. エドゥアール・パイユロン Édouard Pailleron 1882年-1899年、詩人・劇作家
  13. ポール・エルヴュー Paul Hervieu 1900年-1915年、小説家・劇作家
  14. フランソワ・ド・キュレル François de Curel 1918年-1928年、劇作家
  15. シャルル・ル・ゴフィCharles le Goffic、1930年-1932年、小説家・歴史家
  16. アベル・ボナール Abel Bonnard 1932年-1968年、詩人・小説家・政治家
  17. ジュール・ロマン Jules Romains 1946年-1972年、小説家・劇作家・詩人
  18. ジャン・ドルメソン Jean d'Ormesson 1973年-2017年、小説家

座席番号13

  1. クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアク Claude-Gaspard Bachet de Méziriac 1634年-1638年、文法学者・数学者
  2. フランソワ・ド・ラ・モート=ル=ヴェイエ François de La Mothe-Le-Vayer 1639年-1672年、評論家、文法学者・哲学者
  3. ジャン・ラシーヌ Jean Racine 1672年-1699年、劇作家・数学者・物理学者・医者
  4. ジャン=バティスト=アンリ・ド・ヴァランクール Jean-Baptiste-Henri de Valincour 1699年-1730年、修史官・海軍大将
  5. ジャン=フランソワ・ルリジェ・ド・ラ・フェイ Jean-François Leriget de La Faye 1730年-1731年、政治家
  6. プロスペル・ジョリオ・ド・クレビヨン Prosper Jolyot de Crébillon 1731年-1762年、劇作家
  7. クロード=アンリ・ド・フュゼ・ド・ヴォワズノン Claude-Henri de Fusée de Voisenon 1762年-1775年、聖職者、劇作家・詩人
  8. ジャン・ド・デュー=レーモン・ボワジェラン・ド・キュセ Jean de Dieu-Raymond Boisgelin de Cucé 1776年-1804年、聖職者
  9. ジャン=バティスト・デュロー・ド・ラ・マール Jean-Baptiste Dureau de la Malle 1804年-1807年、翻訳者
  10. ルイ=ブノワ・ピカール Louis-Benoît Picard 1807年-1828年、喜劇俳優・詩人・小説家・劇作家
  11. アントワーヌ=ヴァンサン・アルノー Antoine-Vincent Arnault 1829年-1834年、詩人・寓話作家・劇作家。座席番号16も参照
  12. ウジェーヌ・スクリーブ Eugène Scribe 1834年-1861年、劇作家
  13. オクターヴ・フイエ Octave Feuillet 1862年-1890年、小説家・劇作家
  14. ピエール・ロティ Pierre Loti 1891年-1923年、小説家・軍人
  15. アルベール・ベナール Albert Besnard 1924年-1934年、画家・版画家
  16. ルイ・ジレ Louis Gillet 1935年-1943年、美術・文学史家
  17. ポール・クローデル Paul Claudel 1946年-1955年、詩人・劇作家・小説家・外交官
  18. ヴラディミール・ドルメソン Wladimir d'Ormesson 1956年-1973年、政治家・年代記編者・小説家
  19. モーリス・シューマン Maurice Schumann 1974年-1998年、政治家・随筆家・ジャーナリスト・小説家・歴史家
  20. ピエール・メスメル Pierre Messmer 1999年-2007年、官僚・政治家
  21. シモーヌ・ヴェイユ Simone Veil 2008年-2017年、政治家・法律家
  22. マウリツィオ・セラ Maurizio Serra 2020年選出、作家・外交官

座席番号14

  1. フランソワ・メナール François Maynard 1634年-1646年、行政官・詩人
  2. ピエール・コルネイユ Pierre Corneille 1647年-1684年、劇作家・弁護士
  3. トマ・コルネイユ Thomas Corneille 1684年-1709年、劇作家 ピエールの弟
  4. アントワーヌ・ウダール・ド・ラ・モット Antoine Houdar de La Motte 1710年-1731年、劇作家
  5. ミシェル=セルス=ロジェ・ド・ビュシ=ラビュタン Michel-Celse-Roger de Bussy-Rabutin 1732年-1736年、聖職者
  6. エティエンヌ・ロレオー・ド・フォンスマーニュ Étienne Lauréault de Foncemagne 1736年-1779年、聖職者
  7. ミシェル=ポール=ギー・ド・シャバノン Michel-Paul-Gui de Chabanon 1779年-1792年、劇作家
  8. ジャック=アンドレ・ネジョン Jacques-André Naigeon 1803年-1810年、百科事典編集者
  9. ネポミュセーヌ・ルメルシエ Népomucène Lemercier 1810年-1840年、詩人・劇作家
  10. ヴィクトル・ユーゴー Victor Hugo 1841年-1885年、詩人、劇作家・小説家
  11. シャルル・ルコント・ド・リール Charles Leconte de Lisle 1886年-1894年、詩人・劇作家
  12. アンリ・ウーセー Henry Houssaye 1894年-1911年、歴史家・小説家
  13. ルイ=ユベール・リヨテ Louis-Hubert Lyautey 1912年-1934年、兵士
  14. ルイ・フランシェ・デスペレー Louis Franchet d'Espèrey 1934年-1942年、政治家・軍人
  15. ロベール・ダルクール Robert d'Harcourt 1946年-1965年、文学 歴史家・随筆家
  16. ジャン・ミストレール Jean Mistler 1966年-1988年、小説家・随筆家・文学史家・音楽評論家・政治家
  17. エレーヌ・カレール・ダンコース Hélène Carrère d'Encausse 1990年選出、歴史家

座席番号15

  1. ギヨーム・ボートリュー Guillaume Bautru 1634年-1665年、政治家
  2. ジャック・テステュ・ド・ベルヴァル Jacques Testu de Belval 1665年-1706年、聖職者・詩人
  3. フランソワ=ジョゼフ・ド・ボーポワル・ド・サントレール François-Joseph de Beaupoil de Sainte-Aulaire 1706年-1742年、軍人・詩人
  4. ジャン=ジャック・ドルトゥス・ド・メラン Jean-Jacques Dortous de Mairan 1743年-1771年、物理学者・数学者
  5. フランソワ・アルノー François Arnaud 1771年-1784年、聖職者
  6. ギー=ジャン=バティスト・タルジェ Gui-Jean-Baptiste Target 1785年-1806年、行政官
  7. ジャン=シフラン・モーリー Jean-Sifrein Maury 1806年-excluded by ordinance 1816年、聖職者・政治家。座席番号8も参照
  8. フランソワ=グザヴィエ=マルク=アントワーヌ・ド・モンテスキュー=フェザンサック François-Xavier-Marc-Antoine de Montesquiou-Fézensac 1816年 - 1832年、聖職者・政治家
  9. アントワーヌ・ジェー Antoine Jay 1832年-1854年、政治家
  10. ユスタザード・シルヴェストル・ド・サシ Ustazade Silvestre de Sacy 1854年-1879年、文学評論家
  11. ウジェーヌ・ラビッシュ Eugène Labiche 1880年-1888年、劇作家・小説家
  12. アンリ・メラック Henri Meilhac 1888年-1897年、劇作家
  13. アンリ・ラヴダン Henri Lavedan 1898年-1940年、劇作家・小説家
  14. エルネスト・セリエール Ernest Seillière 1946年-1955年、文学史家・哲学史家・随筆家
  15. アンドレ・シャンソン André Chamson 1956年-1983年、小説家、随筆家・歴史家
  16. フェルナン・ブローデル Fernand Braudel 1984年-1985年、文明史家
  17. ジャック・ロラン Jacques Laurent 1986年-2000年、小説家・随筆家・ジャーナリスト
  18. フレデリック・ヴィトゥー Frédéric Vitoux 2001年選出、作家・ジャーナリスト

座席番号16

  1. ジャン・シルモン Jean Sirmond 1634年-1649年、修史家
  2. ジャン・ド・モントルル Jean de Montereul 1649年-1651年、聖職者
  3. フランソワ・タルマン・レネ François Tallemant l'Aîné 1651年-1693年、聖職者
  4. シモン・ド・ラ・ルベール Simon de la Loubère 1693年-1729年、外交官・詩人
  5. クロード・サリエ Claude Sallier 1729年-1761年、聖職者・言語学者
  6. ジャン=ジル・デュ・コエトロスケ Jean-Gilles du Coëtlosquet 1761年-1784年、聖職者
  7. アンヌ=ピエール・ド・モンテスキウ=フェザンサック Anne-Pierre de Montesquiou-Fézensac 1784年-1798年、政治家
  8. アントワーヌ=ヴァンサン・アルノー Antoine-Vincent Arnault 1803年、詩人・寓話作家・劇作家。規定により1816年除名、1829年座席番号13に再選出
  9. リシュリュー公爵アルマン・デュ・プレシ Armand du Plessis, Duc de Richelieu 1816年-1822年、政治家
  10. ボン=ジョゼフ・ダシエ Bon-Joseph Dacier 1822年-1833年、言語学者
  11. ピエール=フランソワ・ティソ Pierre-François Tissot 1833年-1854年、詩人・歴史家
  12. フェリックス・デュパンルー Félix Dupanloup 1854年-1878年、聖職者
  13. エドム=アルマン=ガストン・ドーディフレ=パスキエ Edme-Armand-Gaston d'Audiffret-Pasquier 1878年-1905年、政治家
  14. アレクサンドル・リボ Alexandre Ribot 1906年-1923年、政治家・弁護士・行政官・法学者
  15. アンリ・ロベール Henri Robert 1923年-1936年、弁護士・歴史家
  16. シャルル・モーラス Charles Maurras 1938年、ジャーナリスト・政治家・随筆家・詩人。除名されていないが、座席番号は1945年にヴィシー政権への協力で「公認された欠番」となった
  17. アントワーヌ・ド・レヴィ・ミルポワ Antoine de Lévis Mirepoix 1953年-1981年、小説家・歴史家・随筆家
  18. レオポルド・セダール・サンゴール Léopold Sédar Senghor 1983年-2001年、セネガル共和国初代大統領、政治家・詩人・随筆家
  19. ヴァレリー・ジスカール・デスタン Valéry Giscard d'Estaing 2003年-2020年、フランス第五共和政第3代共和国大統領

座席番号17

  1. フランソワ・ド・コーヴィニー・ド・コロンビー François de Cauvigny de Colomby 1634年-1649年、詩人
  2. フランソワ・トリスタン・レルミート François Tristan l'Hermite 1649年-1655年、劇作家・詩人
  3. イッポリト=ジュール・ピレ・ド・ラ・メナルディエール Hippolyte-Jules Pilet de La Mesnardière 1655年-1663年、評論家・詩人・歴史家
  4. サンテニャン公爵フランソワ=オノラ・ド・ボーヴィリエ François-Honorat de Beauvilliers, duc de Saint-Aignan 1663年-1687年、兵士
  5. フランソワ=ティモレオン・ド・ショワジ François-Timoléon de Choisy 1687年-1724年、聖職者
  6. アントワーヌ・ポルテイユ Antoine Portail 1724年-1736年、政治家
  7. ピエール=クロード・ニヴェル・ド・ラ・ショッセ Pierre-Claude Nivelle de La Chaussée 1736年-1754年、劇作家
  8. ジャン=ピエール・ド・ブーゲンヴィル Jean-Pierre de Bougainville 1754年-1763年、歴史家
  9. ジャン=フランソワ・マルモンテル Jean-François Marmontel 1763年-1799年、哲学者・随筆家
  10. ルイ=マルスラン・ド・フォンターヌ Louis-Marcelin de Fontanes 1803年-1821年、政治家・詩人・ジャーナリスト
  11. アベル=フランソワ・ヴィルマン Abel-François Villemain 1821年-1870年、政治家・文学 評論家
  12. エミール・リットレ Émile Littré 1871年-1881年、言語学者・哲学者
  13. ルイ・パストゥール Louis Pasteur 1881年-1895年、化学者
  14. ガストン・パリス Gaston Paris 1896年-1903年、言語学者・文学 歴史家
  15. フレデリック・マッソン Frédéric Masson 1903年-1923年、歴史家
  16. ジョルジュ・ルコント Georges Lecomte 1924年-1958年、小説家・随筆家・美術 評論家・歴史家
  17. ジャン・ドレー Jean Delay 1959年-1987年、精神科医・随筆家・小説家
  18. ジャック=イヴ・クストー Jacques-Yves Cousteau 1988年-1997年、海洋学者・映画監督・随筆家
  19. エリック・オルセナ Érik Orsenna 1998年選出、政治家・小説家

座席番号18

  1. ジャン・ボードワン Jean Baudoin 1634年-1650年、翻訳家
  2. フランソワ・シャルパンティエ François Charpentier 1650年-1702年、小説家
  3. ジャン=フランソワ・ド・シャミラール Jean-François de Chamillart 1702年-1714年、聖職者
  4. クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール Claude-Louis-Hector de Villars 1714年-1734年、政治家・兵士
  5. オノレ=アルマン・ド・ヴィラール Honoré-Armand de Villars 1734年-1770年、政治家
  6. エティエンヌ=シャルル・ド・ロメニー・ド・ブリエンヌ Étienne-Charles de Loménie de Brienne 1770年-1794年、聖職者、政治家・哲学者
  7. ジャン=ジェラール・ラキュエ・ド・セッサック Jean-Gérard Lacuée de Cessac 1803年-1841年、政治家
  8. アレクシス・ド・トクヴィル Alexis de Tocqueville 1841年-1859年、政治家・歴史家
  9. アンリ・ラコルデール Henri Lacordaire 1860年-1861年、聖職者
  10. アルベール・ド・ブロイ Albert de Broglie 1862年-1901年、政治家、外交官・歴史家
  11. メルシオール・ド・ヴォギュエ Melchior de Vogüé 1901年-1916年、考古学者・歴史家
  12. フェルディナン・フォシュ Ferdinand Foch 1918年-1929年、陸軍軍人
  13. フィリップ・ペタン Philippe Pétain 1929年-1946年、陸軍軍人・政治家(ヴィシー政権国家主席〈元首〉)、※1946年-1952年:ペタンの除名により、空席
  14. アンドレ・フランソワ=ポンセ André François-Poncet 1952年-1978年、政治家・外交官
  15. エドガール・フォール Edgar Faure 1978年-1988年、政治家・歴史家
  16. ミシェル・セール Michel Serres 1990年-2019年、哲学者

座席番号19

  1. フランソワ・ド・ポルシェール・ダルボー François de Porchères d'Arbaud 1634年-1640年、詩人
  2. オリヴィエ・パトリュ Olivier Patru 1640年-1681年、弁護士
  3. ニコラ・ポティエ・ド・ノヴィヨン Nicolas Potier de Novion 1681年-1693年、行政官
  4. フィリップ・ゴワボー=デュボワ Philippe Goibaud-Dubois 1693年-1694年、翻訳家
  5. シャルル・ボワロー Charles Boileau 1694年-1704年、聖職者
  6. ガスパール・アベイユ Gaspard Abeille 1704年-1718年、聖職者
  7. ニコラ=ユベール・ド・モンゴー Nicolas-Hubert de Mongault 1718年-1746年、聖職者
  8. シャルル・ピノ・デュクロ Charles Pinot Duclos 1746年-1772年、文法学者・歴史家
  9. ニコラ・ボーゼ Nicolas Beauzée 1772年-1789年、文法学者
  10. ジャン=ジャック・バルテルミー Jean-Jacques Barthélemy 1789年-1795年、聖職者
  11. マリー=ジョゼフ・シェニエ Marie-Joseph Chénier 1803年-1811年、詩人・劇作家
  12. フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン François-René de Châteaubriand 1811年-1848年、政治家・詩人・小説家
  13. ポール・ド・ノエル Paul de Noailles 1849年-1885年、歴史家
  14. エドゥアール・エルヴェ Édouard Hervé 1886年-1899年、政治家
  15. ポール・デシャネル Paul Deschanel 1899年-1922年、政治家
  16. オーギュスト・ジョナール Auguste Jonnart 1923年-1927年、政治家・高級官僚・外交官
  17. モーリス・パレオローグ Maurice Paléologue 1928年-1944年、外交官・歴史家
  18. シャルル・ド・シャンブラン Charles de Chambrun 1946年-1952年、外交官
  19. フェルナン・グレッグ Fernand Gregh 1953年-1960年、詩人・文学評論家・歴史家
  20. ルネ・クレール René Clair 1960年-1981年、映画監督・小説家
  21. ピエール・モワノー Pierre Moinot 1982年-2007年、高級官僚・小説家
  22. ジャン=ルー・ダバディ Jean-Loup Dabadie 2008年-2020年、ジャーナリスト・作詞家・脚本家

座席番号20

  1. ポール・エー・デュ・シャアストレ Paul Hay du Chaastelet 1634年-1636年、弁護士
  2. ニコラ・ペロー・ダブランクール Nicolas Perrot d'Ablancourt 1637年-1664年、翻訳家
  3. ロジェ・ド・ビュシー=ラビュタン Roger de Bussy-Rabutin 1665年-1693年、小説家
  4. ジャン=ポール・ビニョン Jean-Paul Bignon 1693年-1743年、聖職者
  5. アルマン=ジェローム・ビニョン Armand-Jérôme Bignon 1743年-1772年、政治家
  6. ルイ=ジョルジュ・ド・ブレキニー Louis-Georges de Bréquigny 1772年-1795年、歴史家
  7. ポンス=ドニ・エクシャール=ルブラン Ponce-Denis Écouchard-Lebrun 1803年-1807年、詩人
  8. フランソワ=ジュスト=マリー・レヌアール François-Juste-Marie Raynouard 1807年-1836年、弁護士・詩人・劇作家
  9. フランソワ=オーギュスト・ミニェ François-Auguste Mignet 1836年-1884年、歴史家
  10. ヴィクトル・デュリュイ Victor Duruy 1884年-1894年、政治家・歴史家
  11. ジュール・ルメートル Jules Lemaître 1895年-1914年、劇作家・評論家
  12. アンリ・ボルドー Henry Bordeaux 1919年-1963年、弁護士・小説家
  13. ティエリ・モルニエ Thierry Maulnier 1964年-1988年、ジャーナリスト・劇作家
  14. ジョゼ・カバニス José Cabanis 1990年-2000年、行政官・小説家
  15. アンジェロ・リナルディ Angelo Rinaldi 2001年選出、作家

座席番号21

  1. マラン・ル・ロワ・ド・ゴンベヴィル Marin le Roy de Gomberville 1634年-1674年、小説家
  2. ピエール=ダニエル・ユー Pierre-Daniel Huet 1674年-1721年、聖職者
  3. ジャン・ボワヴァン・ル・カデ Jean Boivin le Cadet 1721年-1726年、大学教授
  4. サンテニャン公爵ポーリッポリト・ド・ボーヴィリエ Paul-Hippolyte de Beauvilliers, Duc de Saint-Aignan 1726年-1776年、政治家
  5. シャルル=ピエール・コラルドー Charles-Pierre Colardeau 1776年、詩人・劇作家
  6. ジャン=フランソワ・ド・ラ・アルプ Jean-François de la Harpe 1776年-1803年、詩人・劇作家・評論家
  7. ピエール=ルイ・ラクルテル・レネ Pierre-Louis Lacretelle l'Aîné 1803年-1824年、弁護士
  8. フランソワ=グザヴィエ=ジョゼフ・ドロ François-Xavier-Joseph Droz 1824年-1850年、哲学者・歴史家
  9. シャルル・ド・モンタランベール Charles de Montalembert 1851年-1870年、哲学者
  10. アンリ・ドルレアン Henri d'Orléans, Duc d'Aumale 1871年-1897年、兵士・政治家・歴史家
  11. ウジェーヌ・ギヨーム Eugène Guillaume 1898年-1905年、彫刻家
  12. エティエンヌ・ラミー Étienne Lamy 1905年-1919年、随筆家、政治家・弁護士
  13. アンドレ・シュヴリヨン André Chevrillon 1920年-1957年、随筆家・文学史家・評論家
  14. マルセル・アシャール Marcel Achard 1959年-1974年、劇作家・ジャーナリスト
  15. フェリシアン・マルソー Félicien Marceau 1975年-2012年、劇作家・小説家・随筆家
  16. アラン・フィンケルクロート Alain Finkielkraut 2014年選出、哲学者・随筆家

座席番号22

  1. アントワーヌ・ジェラール・ド・サンタマン Antoine Gérard de Saint-Amant 1634年-1661年、詩人
  2. ジャック・カッサーニュ Jacques Cassagne 1662年-1679年、聖職者・詩人
  3. クレシー伯爵ルイ・ド・ヴェルジュ Louis de Verjus, Comte de Crécy 1679年-1709年、政治家
  4. ジャン=アントワーヌ・ド・メム Jean-Antoine de Mesmes 1710年-1723年、行政官
  5. ピエール=ジョゼフ・アラリ Pierre-Joseph Alary 1723年-1770年、聖職者
  6. ガブリエル=アンリ・ガヤール Gabriel-Henri Gaillard 1771年-1806年、聖職者・歴史家・文法学者・ジャーナリスト
  7. ルイ=フィリップ・ド・セギュール Louis-Philippe de Ségur 1803年-1830年、外交官・歴史家・詩人・劇作家
  8. ジャン=ポン=ギヨーム・ヴィエネ Jean-Pons-Guillaume Viennet 1830年-1868年、政治家・詩人・劇作家
  9. ジョゼフ・ドーソンヴィル Joseph d'Haussonville 1869年-1884年、政治家・外交官
  10. リュドヴィック・アレヴィ Ludovic Halévy 1884年-1908年、劇作家・歌劇作家・小説家
  11. ウジェーヌ・ブリュー Eugène Brieux 1909年-1932年、劇作家
  12. フランソワ・モーリアック François Mauriac 1933年-1970年、小説家・随筆家・文学評論家
  13. ジュリアン・グリーン Julien Green 1971年-1998年、小説家・劇作家
  14. ルネ・ド・オバルディア René de Obaldia 1999年選出、劇作家・詩人

座席番号23

  1. ギヨーム・コルテ Guillaume Colletet 1634年-1659年、弁護士・劇作家
  2. ジル・ボワロー Gilles Boileau 1659年-1669年、詩人
  3. ジャン・ド・モンティニー Jean de Montigny 1670年-1671年、聖職者・詩人
  4. シャルル・ペロー Charles Perrault 1671年-1703年、詩人
  5. アルマン=ガストン=マクシミリアン・ド・ロアン Armand-Gaston-Maximilien de Rohan 1703年-1749年、聖職者・政治家
  6. ルイ=ギー・ド・ゲラパン・ド・ヴォレアル Louis-Gui de Guérapin de Vauréal 1749年-1760年、聖職者・政治家
  7. シャルル=マリー・ド・ラ・コンダミーヌ Charles-Marie de la Condamine 1760年-1774年、探検家
  8. ジャック・ドリル Jacques Delille 1774年-1813年、聖職者・詩人
  9. フランソワ=ニコラ=ヴァンサン・カンプノン François-Nicolas-Vincent Campenon 1813年-1843年、詩人
  10. マルク・ジラルダン Marc Girardin 1844年-1873年、政治家・文学 評論家
  11. アルフレッド・メジエール Alfred Mézières 1874年-1915年、文学史家・政治家・随筆家
  12. ルネ・ボワレーヴ René Boylesve 1918年-1926年、小説家・詩人
  13. アベル・エルマン Abel Hermant 1927年-1950年、小説家・随筆家・ジャーナリスト
  14. エティエンヌ・ジルソン Étienne Gilson 1946年-1978年、中世哲学研究者
  15. アンリ・グイエ Henri Gouhier 1979年-1994年、哲学者・文学評論家
  16. ピエール・ロザンベール Pierre Rosenberg 1995年選出、美術史家・随筆家

座席番号24

  1. ジャン・シロン Jean Silhon 1634年-1667年、政治家
  2. ジャン=バティスト・コルベール Jean-Baptiste Colbert 1667年-1683年、政治家
  3. ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ Jean de la Fontaine 1684年-1695年、詩人
  4. ジュール・ド・クレランボー Jules de Clérambault 1695年-1714年、聖職者
  5. ギヨーム・マッシュー Guillaume Massieu 1714年-1722年、聖職者
  6. クロード=フランソワ=アレクサンドル・ウットヴィル Claude-François-Alexandre Houtteville 1722年-1742年、聖職者
  7. ピエール・カルレ・ド・シャンブラン・ド・マリヴォー Pierre Carlet de Chamblain de Marivaux 1742年-1763年、劇作家・小説家
  8. クロード=フランソワ・リサルド・ド・ラドンヴィリエ Claude-François Lysarde de Radonvilliers 1763年-1789年、聖職者
  9. ヴォルネー伯爵コンスタンタン=フランソワ・シャスブーフ Constantin-François Chasseboeuf, Comte de Volney 1803年-1820年、哲学者
  10. クロード=エマニュエル・ド・パストレ Claude-Emmanuel de Pastoret 1820年-1840年、政治家・弁護士・詩人
  11. サントレール伯爵ルイ・ド・ボーポワイユ Louis de Beaupoil, Comte de Sainte-Aulaire 1841年-1854年、政治家
  12. ブロイ公爵アシーユ・レオンス・ヴィクトール・シャルル Achille Léonce Victor Charles, Duc de Broglie 1855年-1870年、政治家
  13. プロスペル・デュヴェルジエ・ド・オーランヌ Prosper Duvergier de Hauranne 1870年-1881年、政治家
  14. アルマン・プリュドム Armand Prudhomme 1881年-1907年、詩人・随筆家
  15. アンリ・ポアンカレ Henri Poincaré 1908年-1912年、数学者・天文学者・技師・哲学者
  16. アルフレッド・カピュ Alfred Capus 1914年-1922年、劇作家・ジャーナリスト・随筆家
  17. エドゥアール・エストニエ Édouard Estaunié 1923年-1942年、小説家・技師
  18. ルイ=パストゥール・ヴァレリー=ラドー Louis-Pasteur Vallery-Radot 1944年-1970年、医者
  19. エティエンヌ・ヴォルフ Étienne Wolff 1971年-1996年、生物学者
  20. ジャン=フランソワ・ルベル Jean-François Revel 1997年-2006年、歴史家・随筆家
  21. マックス・ガロ Max Gallo 2007年-2017年、歴史家・文学者・政治家

座席番号25

  1. クロード・ド・レストワール Claude de L'Estoile 1634年-1652年、劇作家・詩人
  2. コワスラン公爵アルマン・ド・カンブース Armand de Camboust, Duc de Coislin 1652年-1702年、軍人
  3. コワスラン公爵ピエール・ド・カンブース Pierre de Camboust, Duc de Coislin 1702年-1710年、貴族
  4. アンリ=シャルル・ド・コワスラン Henri-Charles de Coislin 1710年-1732年、聖職者
  5. ジャン=バティスト・シュリアン Jean-Baptiste Surian 1733年-1754年、聖職者
  6. ダランベールことジャン・ル・ロン Jean Le Rond, dit d'Alembert 1754年-1783年、哲学者・数学者
  7. マリー=ガブリエル=フローラン=オーギュスト・ド・ショワズール=グッフィエ Marie-Gabriel-Florent-Auguste de Choiseul-Gouffier 1783年、1803年、伝記作家、再編成で除名
  8. ジャン=エティエンヌ=マリー・ポルタリー Jean-Étienne-Marie Portalis 1803年-1807年、政治家・哲学者・弁護士
  9. ピエール・ロジョン Pierre Laujon 1807年-1811年、詩人・作詞家
  10. シャルル=ギヨーム・エティエンヌ Charles-Guillaume Étienne 1811年-1816年、詩人・劇作家。規定により除名、座席番号32も参照
  11. マリー=ガブリエル=フローラントーギュスト・ド・ショワズール=グッフィエ Marie-Gabriel-Florent-Auguste de Choiseul-Gouffier (2度目)、1816年-1817年
  12. ジャン=ルイ・ラヤ Jean-Louis Laya 1817年-1833年、詩人・劇作家
  13. シャルル・ノディエ Charles Nodier 1833年-1844年、小説家・詩人・文法学者
  14. プロスペル・メリメ Prosper Mérimée 1844年-1870年、小説家
  15. ルイ・ド・ロメニー Louis de Loménie 1871年-1878年、随筆家
  16. イッポリト・テーヌ Hippolyte Taine、1878年-1893年、随筆家・歴史家
  17. アルベール・ソレル Albert Sorel 1894年-1906年、歴史家
  18. モーリス・ドネー Maurice Donnay 1907年-1945年、劇作家
  19. マルセル・パニョル Marcel Pagnol 1946年-1974年、劇作家・映画監督・小説家
  20. ジャン・ベルナール Jean Bernard 1975年-2006年、内科医
  21. ドミニク・フェルナンデス Dominique Fernandez 2007年選出、小説家・文芸評論家

座席番号26

  1. アマーブル・ド・ブルゼー Amable de Bourzeys 1634年-1672年、聖職者・学者
  2. ジャン・ガロワ Jean Gallois 1672年-1707年、聖職者
  3. エドム・モンジャン Edme Mongin 1707年-1746年、聖職者
  4. ジャン=イニャス・ド・ラ・ヴィーユ Jean-Ignace de la Ville 1746年-1774年、聖職者・外交官
  5. ジャン=バティスト=アントワーヌ・シュアール Jean-Baptiste-Antoine Suard 1774年-1817年、随筆家
  6. フランソワ・ロジェ François Roger 1817年-1842年、詩人・劇作家
  7. アンリ・パタン Henri Patin 1842年-1876年、博士
  8. ガストン・ボワシエ Gaston Boissier 1876年-1908年、歴史家・言語学者
  9. ルネ・ドゥーミック René Doumic 1909年-1937年、文学史家・評論家・随筆家
  10. アンドレ・モロワ André Maurois 1938年-1967年、小説家・随筆家・文学史家・評論家
  11. マルセル・アルラン Marcel Arland 1968年-1986年、小説家・随筆家・文学史家・評論家
  12. ジョルジュ・デュビー Georges Duby 1987年-1996年、歴史家
  13. ジャン=マリー・ルアール Jean-Marie Rouart 1997年選出、小説家・随筆家

座席番号27

  1. アベル・セルヴィアン Abel Servien 1634年-1659年、政治家
  2. ジャン=ジャック・ルノー・ド・ヴィレイエ Jean-Jacques Renouard de Villayer 1659年-1691年、政治家
  3. ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル Bernard le Bovier de Fontenelle 1691年-1757年、劇作家・哲学者
  4. アントワーヌ=ルイ・セギエ Antoine-Louis Séguier 1757年-1792年、弁護士
  5. ジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエール Jacques-Henri Bernardin de Saint-Pierre 1803年-1814年、随筆家
  6. エティエンヌ・エニャン Étienne Aignan 1814年-1824年、ジャーナリスト・劇作家
  7. アレクサンドル・スーメ Alexandre Soumet 1824年-1845年、詩人・劇作家
  8. リュドヴィック・ヴィテ Ludovic Vitet 1845年-1873年、考古学者
  9. エルム=マリー・カロ Elme-Marie Caro 1874年-1887年、哲学者
  10. ポール=ガブリエル・ドッソンヴィル Paul-Gabriel d'Haussonville 1888年-1924年、政治家・弁護士
  11. オーギュスト=アルマン・ド・ラ・フォルス Auguste-Armand de la Force 1925年-1961年、歴史家
  12. ジョゼフ・ケッセル Joseph Kessel 1962年、ジャーナリスト・小説家
  13. ミシェル・ドロワ Michel Droit 1980年-2001年、小説家
  14. ピエール・ノラ Pierre Nora 2001年選出、歴史家

座席番号28

  1. ジャン=ルイ・ゲー・ド・バルザック Jean-Louis Guez de Balzac 1634年-1654年、随筆家
  2. ポール=フィリップ・アルドゥアン・ド・ペレフィクス Paul-Philippe Hardouin de Péréfixe 1654年-1670年、聖職者・歴史家
  3. フランソワ・ド・アルレー・ド・シャンヴァロン François de Harlay de Champvallon 1671年-1695年、聖職者
  4. アンドレ・ダシエ André Dacier 1695年-1722年、言語学者・翻訳家
  5. ギヨーム・デュボワ Guillaume Dubois 1722年-1723年、聖職者・政治家
  6. シャルル=ジャン=フランソワ・エノー Charles-Jean-François Hénault 1723年-1770年、行政官
  7. シャルル=ジュス・ド・ボヴォー Charles-Just de Beauvau 1771年-1793年、政治家・軍人
  8. フィリップ=アントワーヌ・メルラン・ド・ドゥエ Philippe-Antoine Merlin de Douai 1803年-1838年、政治家・弁護士 規則により解任。
  9. アントワーヌ=フランソワ=クロード・フェラン Antoine-François-Claude Ferrand 1816年-1825年、行政官・詩人・歴史家・劇作家
  10. カシミール・ドラヴィーニュ Casimir Delavigne 1825年-1843年、詩人・劇作家
  11. シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ Charles-Augustin Sainte-Beuve 1844年-1869年、随筆家・詩人
  12. ジュール・ジャナン Jules Janin 1870年-1874年、小説家・評論家
  13. ジョン・ルモワンヌ John Lemoinne 1875年-1892年、外交官・ジャーナリスト
  14. フェルディナン・ブリュンティエール Ferdinand Brunetière 1893年-1906年、文学評論家・文学史家・随筆家
  15. アンリ・バルブー Henri Barboux 1907年-1910年、弁護士
  16. アンリ・ルージョン Henry Roujon 1911年-1914年、高級官僚・随筆家・小説家
  17. ルイ・バルトゥー Louis Barthou 1918年-1934年、政治家・行政官・歴史家・文学史家。暗殺
  18. クロード・ファレール Claude Farrère 1935年-1957年、小説家・随筆家・歴史家
  19. アンリ・トロワイヤ Henri Troyat 1959年-2007年、小説家・文学史家・歴史家
  20. ジャン=クリストフ・リュファン Jean-Christophe Rufin 2008年選出、物理学者・小説家

座席番号29

  1. ピエール・バルダン Pierre Bardin 1634年-1635年、哲学者・数学者
  2. ニコラ・ブルボン Nicolas Bourbon 1637年-1644年、聖職者
  3. フランソワ=アンリ・サロモン・ド・ヴィルラード François-Henri Salomon de Virelade 1644年-1670年、弁護士
  4. フィリップ・キノー Philippe Quinault 1670年-1688年、詩人・劇作家
  5. フランソワ・ド・カリエール François de Callières 1688年-1717年、言語学者
  6. アンドレ=エルキュール・ド・フルーリー André-Hercule de Fleury 1717年-1743年、聖職者・政治家
  7. ポール・ダルベール・ド・リュイヌ Paul d'Albert de Luynes 1743年-1788年、聖職者
  8. ジャン=ピエール・クラリス・ド・フロリアン Jean-Pierre Claris de Florian 1788年-1794年、劇作家・小説家・詩人
  9. ジャン=フランソワ・ケラヴァ Jean-François Cailhava 1803年-1813年、劇作家・詩人・評論家
  10. ジョゼフ・ミショー Joseph Michaud 1813年-1839年、ジャーナリスト・歴史家
  11. マリー=ジャン=ピエール・フルーランス Marie-Jean-Pierre Flourens 1840年-1867年、生理学者
  12. クロード・ベルナール Claude Bernard 1868年-1878年、医者
  13. エルネスト・ルナン Ernest Renan 1878年-1892年、哲学者
  14. ポール=アルマン・シャルメル=ラクール Paul-Armand Challemel-Lacour 1893年-1896年、政治家・外交官
  15. ガブリエル・アノトー Gabriel Hanotaux 1897年-1944年、政治家・外交官・歴史家
  16. アンドレ・シーグフリード André Siegfried 1944年-1959年、歴史家・地理学者
  17. アンリ・ド・モンテルラン Henry de Montherlant 1960年-1972年、劇作家・小説家・随筆家
  18. クロード・レヴィ=ストロース Claude Lévi-Strauss 1973年-2009年、人類学者
  19. アミン・マアルーフ Amin Maalouf 2011年選出、小説家

座席番号30

  1. ラカン侯爵オノラー・ド・ビュエイユ Honorat de Bueil, marquis de Racan 1634年-1670年、詩人
  2. フランソワ=セラファン・レニエ=デマレ François-Séraphin Régnier-Desmarais 1670年-1713年、聖職者・文法学者
  3. ベルナール・ド・ラ・モンノワ Bernard de La Monnoye 1713年-1728年、言語学者・評論家
  4. ミシェル・ポンセ・ド・ラ・リヴィエール Michel Poncet de La Rivière 1728年-1730年、聖職者
  5. ジャック・アルディオン Jacques Hardion 1730年-1766年、歴史家
  6. アントワーヌ=レオナール・トマ Antoine-Léonard Thomas 1766年-1785年、詩人
  7. ジャック=アントワーヌ・イッポリト・ド・ギベール Jacques-Antoine-Hippolyte de Guibert 1785年-1790年、劇作家
  8. ジャン=ジャック・レジ・ド・カンバセレス Jean-Jacques-Régis de Cambacérès 1803年- 1816年政治家。規則により除籍、1824年死去
  9. ボナール子爵ルイ・ガブリエル Louis-Gabriel, vicomte de Bonald 1816年-1840年、哲学者・著述家
  10. ジャック=フランソワ・アンスロー Jacques-François Ancelot 1841年-1854年、詩人・小説家・劇作家
  11. エルネス・ラグヴェ Ernest Legouvé 1855年-1903年、詩人・小説家・劇作家・随筆家
  12. ルネ・バザン René Bazin 1903年-1932年、小説家・随筆家
  13. テオドール・ゴスラン Théodore Gosselin 1932年-1935年、歴史家
  14. ジョルジュ・デュアメル Georges Duhamel 1935年-1966年、医者・随筆家・小説家・詩人・劇作家
  15. モーリス・ドリュオン Maurice Druon 1966年-2009年、政治家・小説家
  16. ダニエル・サルナーヴ Danièle Sallenave 2011年選出、小説家・ジャーナリスト

座席番号31

  1. ピエール・ド・ボワサ Pierre de Boissat 1634年-1662年、軍人
  2. アントワーヌ・フュルティエール Antoine Furetière 1662年-1685年、詩人・寓話作家・小説家。除外されたが新たに選出されなかった。1688年死去
  3. ジャン・ド・ラ・シャペル Jean de La Chapelle 1688年-1723年、詩人
  4. ピエール=ジョゼフ・トゥリエ・ドリヴェ Pierre-Joseph Thoulier d'Olivet 1723年-1768年、聖職者・文法学者
  5. エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック Étienne Bonnot de Condillac 1768年-1780年、聖職者・哲学者
  6. ルイ=エリザベート・ド・ラ・ヴェルニュ・ド・トレッサン Louis-Élisabeth de La Vergne de Tressan 1780年-1783年、詩人・物理学者
  7. ジャン=シルヴァン・バイイ Jean-Sylvain Bailly 1783年-1793年、数学者。断頭(ギロチン)罪
  8. エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス Emmanuel-Joseph Sieyès 1803年-1816年、聖職者・随筆家・外交官。規則により除籍、1836年死去
  9. トロフィーム=ジェラール・ド・ラリー=トランダル Trophime-Gérard de Lally-Tollendal 1816年-1830年、政治家
  10. ジャン=バティスト・サンソン・ド・ポンジェヴィル Jean-Baptiste Sanson de Pongerville 1830年-1870年、詩人
  11. グザヴィエ・マルミエ Xavier Marmier 1870年-1892年、小説家・詩人
  12. アンリ・ド・ボルニエ Henri de Bornier 1893年-1901年、劇作家・詩人
  13. エドモン・ロスタン Edmond Rostand 1901年-1918年、劇作家・詩人
  14. ジョゼフ・ベディエ Joseph Bédier 1920年-1938年、言語学者
  15. ジェローム・タロー Jérôme Tharaud 1938年-1953年、小説家
  16. ジャン・コクトー Jean Cocteau 1955年-1963年、劇作家・詩人・振付師・映画監督・画家
  17. ジャック・リュフ Jacques Rueff 1964年-1978年、経済学者・上級官僚
  18. ジャン・デュトゥール Jean Dutourd 1978年-2011年、小説家
  19. マイケル・エドワーズ Michael Edwards 2013年選出、文学者

座席番号32

  1. クロード・ファーヴル・ド・ヴォージュラス Claude Favre de Vaugelas 1634年-1650年、文法学者
  2. ジョルジュ・ド・スキュデリー Georges de Scudéry 1650年-1667年、小説家・劇作家・詩人
  3. フィリップ・ド・ダンジョー Philippe de Dangeau 1667年-1720年、軍人・総督・外交官
  4. ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ Louis-François-Armand du Plessis de Richelieu 1720年-1788年、軍人・放蕩者・政治家
  5. フランソワ=アンリ・ダルクール François-Henri d'Harcourt 1788年-1802年、軍人
  6. リュシアン・ボナパルト Lucien Bonaparte 1803年-1816年、政治家、規則により除名
  7. ルイ=シモン・オージェ Louis-Simon Auger 1816年-1829年、ジャーナリスト・劇作家
  8. シャルル=ギヨーム・エティエンヌ Charles-Guillaume Étienne 1829年-1845年、詩人・劇作家(座席番号25参照)
  9. アルフレッド・ド・ヴィニー Alfred de Vigny 1845年-1863年、詩人
  10. カミーユ・ドゥーセ Camille Doucet 1865年-1895年、詩人・劇作家
  11. シャルル・コスタ・ド・ボールガール Charles Costa de Beauregard 1896年-1909年、歴史家・政治家
  12. イッポリト・ラングロワ Hippolyte Langlois 1911年-1912年、軍人
  13. エミール・ブートルー Émile Boutroux 1912年-1921年、哲学者・哲学史家
  14. ピエール・ド・ノラック Pierre de Nolhac 1922年-1936年、歴史家・美術史家・詩人
  15. ジョルジュ・グラント Georges Grente 1936年-1959年、聖職者・歴史家・随筆家
  16. アンリ・マシス Henri Massis 1960年-1970年、随筆家・文学評論家・文学史家
  17. ジョルジュ・イザール Georges Izard 1971年-1973年、政治家・弁護士・ジャーナリスト・随筆家
  18. ロベール・アロン Robert Aron 1974年-1975年、歴史家・随筆家
  19. モーリス・ランス Maurice Rheims 1976年-2003年、小説家・美術 歴史家
  20. アラン・ロブ=グリエ Alain Robbe-Grillet 2004年-2008年、小説家・映画監督
  21. フランソワ・ヴェイエルガンス François Weyergans 2009年-2019年、小説家・映画監督

座席番号33

  1. ヴァンサン・ヴォワチュール Vincent Voiture 1634年-1648年、詩人
  2. フランソワ=ウデ・ド・メズレー François-Eudes de Mézeray 1648年-1683年、弁護士
  3. ジャン・バルビエ・ドクール Jean Barbier d'Aucour 1683年-1694年、弁護士
  4. フランソワ・ド・クレルモン=トネール François de Clermont-Tonnerre 1694年-1701年、聖職者
  5. ニコラ・ド・マレジュー Nicolas de Malézieu 1701年-1727年、批評家・詩人
  6. ジャン・ブーイエ Jean Bouhier 1727年-1746年、行政官・考古学者
  7. ヴォルテールことフランソワ=マリー・アルエ François-Marie Arouet dit Voltaire 1746年-1778年、劇作家・歴史家・哲学者・詩人
  8. ジャン=フランソワ・デュシー Jean-François Ducis 1778年-1816年、詩人・劇作家
  9. レーモン・ド・セーズ Raymond de Sèze 1816年-1828年、弁護士
  10. バラント男爵プロスペル・ブリュジエール Prosper Brugière, baron de Barante 1828年-1866年、政治家
  11. ジョゼフ・グラトリー Joseph Gratry 1867年-1872年、聖職者・哲学者
  12. ルネ・タイヤンディエ René Taillandier 1873年-1879年、政治家
  13. マクシム・デュ・カン Maxime Du Camp 1880年-1894年、随筆家・小説家
  14. ポール・ブールジェ Paul Bourget 1894年-1935年、小説家、詩人・劇作家
  15. エドモン・ジャルー Edmond Jaloux 1936年-1949年、小説家、文学評論家・文学史家
  16. ジャン=ルイ・ヴォードワイエ Jean-Louis Vaudoyer 1950年-1963年、小説家・詩人・随筆家・美術史家
  17. マルセル・ブリオン Marcel Brion 1964年-1984年、小説家・美術史家・随筆家
  18. ミシェル・モール Michel Mohrt 1985年-2011年、編集者・随筆家・小説家・文学史家
  19. ドミニク・ボナ Dominique Bona 2013年選出、小説家

座席番号34

  1. オノラ・ド・ポルシェール・ロジエ Honorat de Porchères Laugier 1634年-1653年、詩人
  2. ポール・ペリッソン Paul Pellisson 1653年-1693年、歴史家
  3. フランソワ・ド・ラ・モート・フェヌロン François de Salignac de La Mothe Fénelon 1693年-1715年、聖職者・随筆家
  4. クロード・グロ・ド・ボーズ Claude Gros de Boze 1715年-1753年、博学者・貨幣研究家
  5. クレルモン伯ルイ・ド・ブルボン=コンデ Louis de Bourbon Condé de Clermont 1753年-1771年、聖職者
  6. ピエール=ローラン・ビュイレット・ド・ベロワ Pierre-Laurent Buirette de Belloy 1771年-1775年、劇作家・俳優
  7. エマニュエル=フェリシテ・ド・デュルフォール・ド・デュラ Emmanuel-Félicité de Durfort de Duras 1775年-1789年、政治家・軍人
  8. ドミニク=ジョゼフ・ガラ Dominique-Joseph Garat 1803年-1816年、政治家・弁護士・哲学者。規則により除籍、1829年の再入会を拒む。1833年死去
  9. ルイ=フランソワ・ド・ボーセ Louis-François de Bausset 1816年-1824年、聖職者・政治家
  10. イアサント=ルイ・ド・ケラン Hyacinthe-Louis de Quélen 1824年-1839年、聖職者
  11. マチュー・モレ Mathieu Molé 1840年-1855年、政治家
  12. フレデリック=アルフレッド・ド・ファルー Frédéric-Alfred de Falloux 1856年-1886年、政治家・歴史家
  13. オクターヴ・グレアール Octave Gréard 1886年-1904年、上級官僚、文学史家・文学評論家
  14. エミール・ジュバール Émile Gebhart 1904年-1908年、美術史家・文学史家・文学評論家
  15. レイモン・ポワンカレ Raymond Poincaré 1909年-1934年、国家元首・政治家・弁護士・随筆家
  16. ジャック・バンヴィル Jacques Bainville 1935年-1936年、歴史家・ジャーナリスト
  17. ジョゼフ・ド・ペキドゥ Joseph de Pesquidoux 1936年-1946年、小説家・随筆家
  18. モーリス・ジュヌヴォワ Maurice Genevoix 1946年-1980年、小説家
  19. ジャック・ド・ブルボン・ビュッセ Jacques de Bourbon Busset 1981年-2001年、政治家・随筆家・小説家
  20. フランソワ・チェン François Cheng 2002年選出、詩人・翻訳家・小説家

座席番号35

  1. アンリ=ルイ・アベール・ド・モンモール Henri-Louis Habert de Montmort 1634年-1679年、ホテル経営者
  2. ルイ・イルラン・ド・ラヴォー Louis Irland de Lavau 1679年-1694年、聖職者
  3. ジャン=フランソワ=ポール・ルフェーヴル・コマルタン Jean-François-Paul Lefèvre Caumartin 1694年-1733年、聖職者
  4. フランソワ=オーギュスタン・パラディ・ド・モンクリフ François-Augustin Paradis de Moncrif 1733年-1770年、詩人・音楽家・劇作家
  5. ジャン=アルマン・ド・ロクロール Jean-Armand de Roquelaure 1771年-1818年、聖職者
  6. ジョルジュ・キュヴィエ Georges Cuvier 1818年-1832年、古生物学者
  7. アンドレ・デュパン André Dupin 1832年-1865年、政治家・弁護士
  8. アルフレッド=オーギュスト・キュヴィエ=フルリー Alfred-Auguste Cuvillier-Fleury 1866年-1887年、歴史家・文学評論家
  9. ジュール・クラルティ Jules Claretie 1888年-1913年、小説家・劇作家・評論家
  10. ジョゼフ・ジョフル Joseph Joffre 1918年-1931年、政治家・軍人
  11. マキシム・ウェイガン Maxime Weygand 1931年-1965年、軍人
  12. ルイ・ルプランス=ランゲ Louis Leprince-Ringuet 1966年-2000年、物理学者・通信技師・科学歴史家・随筆家
  13. イヴ・プリカン Yves Pouliquen 2001年-2020年、内科医

座席番号36

  1. マラン・キュロー・ド・ラ・シャンブル Marin Cureau de La Chambre 1634年-1669年、内科医・哲学者
  2. ピエール・キュロー・ド・ラ・シャンブル Pierre Cureau de La Chambre 1670年-1693年、聖職者
  3. ジャン・ド・ラ・ブリュイエール Jean de La Bruyère 1693年-1696年、随筆家・道学者
  4. クロード・フルーリ Claude Fleury 1696年-1723年、聖職者
  5. ジャック・アダム Jacques Adam 1723年-1735年、言語学者
  6. ジョゼフ・セギー Joseph Séguy 1736年-1761年、聖職者
  7. ルイ=ルネ=エドゥアール・ド・ロアン=ゲメネー Louis-René-Édouard de Rohan-Guéménée 1761年-1803年、聖職者・政治家・哲学者・詩人
  8. ジャン・ドヴェーヌ Jean Devaines 1803年、官僚
  9. エヴァリスト・ド・フォルジュ・ド・パルニ Évariste de Forges de Parny 1803年-1814年、詩人
  10. ヴィクトール=ジョゼフ=エティエンヌ・ド・ジュイ Victor-Joseph-Étienne de Jouy 1815年-1846年、ジャーナリスト・評論家・劇作家
  11. アドルフ=ジョゼフ・シモニス・エンピス Adolphe-Joseph Simonis Empis 1847年-1868年、詩人・劇作家
  12. オーギュスト・バルビエ Auguste Barbier 1869年-1882年、詩人
  13. アドルフ・ペロー Adolphe Perraud 1882年-1906年、聖職者
  14. フランソワ=デジレ・マチュー François-Désiré Mathieu 1906年-1908年、聖職者・歴史家
  15. ルイ・デュシェーヌ Louis Duchesne 1910年-1922年、聖職者・歴史家・言語学者
  16. アンリ・ブレモン Henri Brémond 1923年-1933年、聖職者・文学史家・文学評論家
  17. アンドレ・ベルソール André Bellessort 1935年-1942年、随筆家・文学評論家・歴史家・文学史家
  18. ルネ・グルッセ René Grousset 1946年-1952年、美術史家
  19. ピエール・ガゾット Pierre Gaxotte 1953年-1982年、歴史家・ジャーナリスト
  20. ジャック・スーステール Jacques Soustelle 1983年-1990年、社会学者(ラテンアメリカ)・民族学者・政治家・随筆家
  21. ジャン=フランソワ・ドニオー Jean-François Deniau 1992年-2007年、政治家・随筆家・小説家
  22. フィリップ・ボーサン Philippe Beaussant 2008年-2016年、小説家・音楽学者
  23. バルバラ・カッサン Barbara Cassin 2018年選出、文献学者、哲学者

座席番号37

  1. ダニエル・エー・デュ・シャストレ・ド・シャンボン Daniel Hay du Chastelet de Chambon 1635年-1671年、聖職者・数学者
  2. ジャック=ベニーニュ・ボシュエ Jacques-Bénigne Bossuet 1671年-1704年、聖職者・歴史家
  3. メルシオール・ド・ポリニャック Melchior de Polignac 1704年-1741年、聖職者・政治家・言語学者・詩人
  4. オデ=ジョゼフ・ジリ Odet-Joseph Giry 1741年-1761年、聖職者
  5. シャルル・バトゥー Charles Batteux 1761年-1780年、聖職者
  6. アントワーヌ=マラン・ルミエール Antoine-Marin Lemierre 1780年-1793年、詩人・劇作家
  7. フェリックス=ジュリアン=ジャン・ビゴ・ド・プレアムヌー Félix-Julien-Jean Bigot de Préameneu 1803年-1825年、政治家・弁護士
  8. マチュー・ド・モンモランシー Mathieu de Montmorency 1825年-1826年、政治家・外交官
  9. アレクサンドル・ギロー Alexandre Guiraud 1826年-1847年、劇作家・詩人・小説家
  10. ジャン=ジャック・アンペール Jean-Jacques Ampère 1847年-1864年、文学史家
  11. リュシアン=アナトール・プレヴォ=パラドル Lucien-Anatole Prévost-Paradol 1865年-1870年、文学、評論家
  12. カミーユ・ルッセ Camille Rousset 1871年-1892年、歴史家
  13. ポール・テュロー=ダンジャン Paul Thureau-Dangin 1893年-1913年、歴史家
  14. ピエール・ド・ラ・ゴルス Pierre de La Gorce 1914年-1934年、歴史家・行政官・弁護士
  15. モーリス・ド・ブロイ Maurice de Broglie 1934年-1960年、軍人・物理学者
  16. ウジェーヌ・ティスラン Eugène Tisserant 1961年-1972年、聖職者・言語学者
  17. ジャン・ダニエルー Jean Daniélou 1972年-1974年、聖職者・神学者・歴史家・随筆家
  18. ロベール=アンブロワーズ=マリー・カレ Robert-Ambroise-Marie Carré 1975年-2004年、聖職者
  19. ルネ・ジラール René Girard 2005年-2015年、哲学者
  20. ミシェル・ザンク Michel Zink 2017年選出、小説家、中世学者、文献学者

座席番号38

  1. オージェ・ド・モレオン・ド・グラニエ Auger de Moléon de Granier 1635年-1636年、聖職者? 窃盗により除籍、1650年死去
  2. バルタザール・バロ Balthazar Baro 1636年-1650年、劇作家・詩人
  3. ジャン・ドゥジャ Jean Doujat 1650年-1688年、弁護士
  4. ウジェーヌ・ルノドー Eusèbe Renaudot 1688年-1720年、聖職者
  5. アンリ=エマニュエル・ド・ロケット Henri-Emmanuel de Roquette 1720年-1725年、聖職者
  6. ピエール・ド・パルデラン・ダンタン Pierre de Pardaillan d'Antin 1725年-1733年、聖職者
  7. ニコラ=フランソワ・デュプレ・ド・サン=モール Nicolas-François Dupré de Saint-Maur 1733年-1774年、経済学者・統計学者
  8. ギヨーム=クレティアン・ド・ラモワニョン・ド・マルシュルブ Guillaume-Chrétien de Lamoignon de Malesherbes 1775年-1794年、政治家・行政官。断頭(ギロチン)刑
  9. フランソワ・アンドリュー François Andrieux 1803年-1833年、弁護士・詩人・劇作家
  10. アドルフ・ティエール Adolphe Thiers 1833年-1877年、政治家・歴史家
  11. アンリ・マルタン Henri Martin 1878年-1883年、歴史家
  12. フェルディナン・ド・レセップス Ferdinand de Lesseps 1884年-1894年、外交官
  13. アナトール・フランス Anatole France 1896年-1924年、小説家・詩人
  14. ポール・ヴァレリー Paul Valéry 1925年-1945年、詩人、文学評論家・随筆家
  15. アンリ・モンドール Henri Mondor 1946年-1962年、外科医・内科医・文学史家・科学史家
  16. ルイ・アルマン Louis Armand 1963年-1971年、鉱山技師・官僚・経済学者
  17. ジャン=ジャック・ゴーティエ Jean-Jacques Gautier 1972年-1986年、演劇評論家・小説家・ジャーナリスト・随筆家
  18. ジャン=ルイ・キュルティス Jean-Louis Curtis 1986年-1995年、小説家・随筆家
  19. フランソワ・ジャコブ François Jacob 1996年-2013年、生物学者
  20. マルク・ランブロン Marc Lambron 2014年選出、小説家

座席番号39

  1. ルイ・ジリ Louis Giry 1636年-1665年、弁護士
  2. クロード・ボワイエ Claude Boyer 1666年-1698年、聖職者・劇作家・詩人
  3. シャルル=クロード・ジュネスト Charles-Claude Genest 1698年-1719年、聖職者
  4. ジャン=バティスト・デュボス Jean-Baptiste Dubos 1720年-1742年、聖職者・歴史家
  5. ジャン=フランソワ・デュ・バレー・デュ・レズネル Jean-François Du Bellay du Resnel 1742年-1761年、聖職者
  6. ベルナール=ジョゼフ・ソーラン Bernard-Joseph Saurin 1761年-1781年、弁護士・詩人
  7. コンドルセ侯爵ジャン=アントワーヌ=ニコラ・ド・カリター Jean-Antoine-Nicolas de Caritat、marquis de Condorcet 1782年-1794年、哲学者・数学者。獄中で服毒自殺
  8. ガブリエル・ヴィラール Gabriel Villar 1803年-1826年、聖職者
  9. シャルル=マリー=ドリモン・ド・フェレット Charles-Marie-Dorimond de Féletz 1826年-1850年、聖職者
  10. デジレ・ニザール Désiré Nisard 1850年-1888年、随筆家
  11. ウジェーヌ=メルシオール・ヴォギュエ Eugène-Melchior de Vogüé 1888年-1910年、随筆家・歴史家・文学評論家・外交官
  12. アンリ・ド・レニエ Henri de Régnier 1911年-1936年、詩人、小説家・随筆家
  13. ジャック・ド・ラクルテール Jacques de Lacretelle 1936年-1985年、小説家
  14. ベルトラン・ポワロ=デルペシュ Bertrand Poirot-Delpech 1986年-2006年、ジャーナリスト・随筆家・小説家
  15. ジャン・クレール Jean Clair 2008年選出、小説家・随筆家・ジャーナリスト

座席番号40

  1. ダニエル・ド・プリエザック Daniel de Priézac 1639年-1662年、法学博士
  2. ミシェル・ル・クレール Michel Le Clerc 1662年-1691年、弁護士
  3. ジャック・ド・トゥレー Jacques de Tourrei 1692年-1714年、翻訳家
  4. ジャン=ロラン・マレ Jean-Roland Mallet 1714年-1736年、王室従者
  5. ジャン=フランソワ・ボワイエ Jean-François Boyer 1736年-1755年、聖職者
  6. ニコラ・ティレル・ド・ボワモン Nicolas Thyrel de Boismont 1755年-1786年、聖職者
  7. クロード=カルロマン・ド・リュリエール Claude-Carloman de Rulhière 1787年-1791年、外交官・詩人・歴史家
  8. ピエール=ジャン=ジョルジュ・カバニス Pierre-Jean-Georges Cabanis 1803年-1808年、内科医・生理学者
  9. アントワーヌ=ルイ=クロード・デステュット・ド・トラシー Antoine-Louis-Claude Destutt de Tracy 1808年-1836年、哲学者
  10. フランソワ・ギゾー François Guizot 1836年-1874年、政治家・歴史家
  11. ジャン=バティスト・デュマ Jean-Baptiste Dumas 1875年-1884年、政治家・化学者
  12. ジョゼフ・ベルトラン Joseph Bertrand 1884年-1900年、数学者・科学史家
  13. マルスラン・ベルトロ Marcellin Berthelot 1900年-1907年、政治家・化学者・随筆家・科学史家
  14. フランシス・シャルム Francis Charmes 1908年-1916年、外交官・ジャーナリスト
  15. ジュール・カンボン Jules Cambon 1918年-1935年、外交官・弁護士・高級公務員
  16. リュシアン・ラカーズ Lucien Lacaze 1936年-1955年、海軍将官
  17. ジャック・シャストネ Jacques Chastenet 1956年-1978年、ジャーナリスト・歴史家・外交官
  18. ジョルジュ・デュメジル Georges Dumézil 1978年-1986年、言語学者・文明史家
  19. ピエール=ジャン・レミ Pierre-Jean Rémy 1988年-2010年、外交官・小説家・随筆家
  20. グザヴィエ・ダルコス Xavier Darcos 2013年選出、官僚・政治家

脚注


アカデミー・フランセーズの会員の一覧


MIKAKO


MIKAKO


MIKAKO(芸名 みかこ 7月28日 生まれは、日本のシャンソン歌手。東京都目黒区生まれ。身長165cm。日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。血液型 B型。星座 しし座。日本シャンソン協会 正会員。) 

人物

歌手活動の以前・シャンソンとの出会い

  • 女優を目指し、演技に必要な知識、実技を学ぶため日本大学芸術学部映画学科演技コースに入学する。卒業制作映画「素直になりたい」の主役で、 映画学科奨励賞受賞。円・演劇研究所、東京ヴォードヴィルショー等で演技を学ぶ。1997年シャンソニエのオーディションに合格する。シャンソンは「3分間の人生ドラマ」と言われているように人生の喜怒哀楽を表現する歌が多く、人物の内面を表現するところは芝居に通じるところがあり本格的にシャンソンを歌いはじめる。1998年アコーディオニストとしても有名な歌手パトリック・ヌジェに師事しフランス語のシャンソンも学びはじめる。

レパートリーはシャンソン他

  • レパートリーはシャンソン、フレンチポップス、Jポップス、オリジナル曲など幅広く歌っている。代表曲としてはフレンチポップス「あなたが好きで、たまらない!」、また、オリジナル曲としては「鳥になって..」、「こもれびの中で」などがある。

シャンソンの祭典「パリ祭」出演

  • 日本のシャンソンの祭典「パリ祭(毎年開催・NHKホール他)」に1999年より連続出演する。

東京オペラシティコンサートホールで記念コンサート等開催

  • 東京オペラシティコンサートホールにて2007年10周年記念コンサート、2012年15周年記念コンサートを開催する。 

日本シャンソン館に毎月出演

  • 日本に一つ存在するシャンソン専門のミュージアム、日本シャンソン館 (住所、群馬県渋川市)が主催する毎月1回の定例ソロライブのレギュラー歌手として2008年から毎月出演し、そのライブ数は2016年5月に100回を超えた。

震災復興ソング・コンサート等

  • 2011年3月11日の震災直後、震災復興ソングとして加藤登紀子が歌う「今どこにいますか」を2012年シングルCDカバーし、各地のシャンソンライブのプログラムに取り入れ、震災の悲惨さを忘れないよう歌い続けている。
    また、2014年には福島県福島市飯坂温泉で震災支援コンサートに出演している。

作詞活動とオリジナル曲ライブ

  • 以前から作詞活動をしており、2015年からペンネームを「サウスミカ」としてオリジナル曲等の作詞を数多く作り「オリジナル曲ライブ」と題して2016年4月からライブを開催し活動中である。

Parlez-moi d'amour ”パーレ モワ ダムール”の活動

  • 2013年MIKAKOを中心に3人のフランス人ミュージシャンと結成された4人グループ、“パーレ モワ ダムール”としてもユニット活動をしている。観客との一体感をつくりだす新感覚の劇場型シャンソンライブ『Parlez-moi d'amour Live』を自ら企画・出演し、高校の文化祭で公演するなど『若い世代にもシャンソンを』届ける活動にも力を入れている。

歌に対する姿勢

  • シャンソンがブームだった時代が経過し、現在はいろいろな分野の音楽が親しまれている。シャンソンファンの方々にはもちろんのこと、若い世代にも、もっとシャンソンの魅力を伝え聴いて頂こうと高校の文化祭にも出演ている。
    また、本人はブログで、「各コンサート、イベントライブを通じて心に残る歌を目指して歌っている」と記述している。
Turnbull & Asser

活動履歴

1990年代

1997年

  • シャンソニエのオーディションに合格しシャンソンを歌い始める。

1998年

  • アコーディオニストとしても有名な歌手パトリック・ヌジェに師事しフランス語でもシャンソンを学び始める。
  • 初のソロバースデイ・ソロコンサートを開催する。
  • 「甲府富士屋ホテル10周年記念シャンソンの夕べ」MIKAKOコンサートに出演する。

1999年 

  • 「第37回パリ祭」(NHKホール他)コーラスグループメンバー最年少で初出演する。NHK BS2で放送される。
  • 「パトリック エ セザミ」コンサート(渋谷じぁん・じぁん)に出演する。
  • 「パトリック エラ ヌーベルバーグコンサート」(六本木 スイートベイジル139)に出演する。

2000年代

2000年

  • 「桑山哲也コンサート」に菅原洋一とゲスト出演する。(中原市民ホール)。
  • サホロ・ミュージック・フェスティバル」(北海道)北海道文化放送「GO!GO!北海道」テレビ生出演する。 
  • 「第38回パリ祭」(NHKホール他)に出演する。

2001年

  • 「Le Tandemライブ」(六本木 スイートベイジル139)、サンケイスポーツの記事に掲載する。
  • 「日本丸・世界一周クルーズ」豪華客船シャンソンショーに出演する。
  • 「おりえんとびーなす号・カムチャッカクルーズ」豪華客船シャンソンショーに出演する。
  • 「石井好子・永六輔シャンソンコンサート」(南青山マンダラ)に出演する。
  • NHK「青春のポップス」に三人グループ「Le Tandem」メンバーでテレビ出演する。
  • 「第39回パリ祭」(NHKホール他)に出演する。

2002年

  • NHK教育「フランス語会話」に出演する。
  • NHK BS2「素晴らしき音楽仲間たち」に出演する。
  • 「第40回パリ祭」(NHKホール他)に出演する。

2003年

  • 「第41回パリ祭」(NHKホール他)に出演する。
  • フジテレビ「KISS ME ODAIBA」のハートステージでMIKAKOライブに出演する。(1回目出演)
  • TBSテレビ 西村京太郎スペシャル”十津川警部シリーズ”第30作「パリ~東京殺人ルート」の中でヒロイン高島礼子(シャンソン歌手役)の歌の吹き替えをする。『さくらんぼの実る頃』をフランス語で歌う。

2004年

  • 初オリジナルCD「AVEC TOI」をリリースする。
  • 「第42回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。NHK BS2他、国際サテライトにより世界15カ国で放送される。
  • TOKYO MX「シャンソンを貴方に」に出演する。(10月)
  • フジテレビイベント「ホットファンタジー」でMIKAKOライブに出演する。(2年連続)

2005年

  • 「第43回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。
  • 東京オペラシティ「ランチタイムコンサート」でMIKAKOコンサートに出演する。
  • フジテレビイベント「ホットファンタジー」でMIKAKOライブに出演する。(3年連続)

2006年

  • 「第44回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。NHK BS2にて放送される。
  • 東京オペラシティ「開業10周年記念ランチタイムコンサート」でMIKAKOコンサートvol.2に出演する。
  • フジテレビイベント「ホットファンタジー」で、MIKAKOライブに出演する。(4年連続)

2007年

  • 10周年記念CD「MON PETIT ANGE~私の小さな天使~」をリリースする。
  • 「第45回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。NHK BS2にて放送される。
  • 東京オペラシティコンサートホールにて10周年記念コンサートを開催する。観客1,000人以上を前に熱唱する。

2008年

  • 東京オペラシティ「ランチタイムコンサート」でMIKAKOコンサートvol.3に出演する。
  • 「第46回パリ祭」でシェルブールの雨傘コーナーで赤い傘の女性を演じ、全国5か所でのパリ祭全公演に出演する。NHK BS2にて放送される。 
  • 「温時間」(岡山放送)に生出演する。『エマニュエル夫人』をフランス語で歌う。
  • 「トワイライト・ベイヴメント」(FM岡山)に生出演する。
  • 「ART STATION~美術空間を求めて~」(TOKYO MX)に出演する。番組では芦野宏をレポートする。
  •  レディオ湘南「ざいつきげんの音楽鍋」に生出演する。

2009年

  • 『あなたが好きで、たまらない!』『鳥になって・・』を配信スタートする。
  • 夕刊フジに記事掲載する。
  • 「第47回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。NHK BS2、NHK FMラジオにて放送する。
  • ニッポン放送「垣花正 あなたとラッキー!」の番組内にてオリジナル曲「愛へかわる瞬間」流される。 

2010年

  • 「第48回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。

2011年

  • 「第49回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。

2012年

  • シングルCD「今どこにいますか」をリリースする。 
  • 東海ラジオ「兵藤ゆきのハッピーにゆきね~!」ゲスト出演。「今どこにいますか」流される。
  • 群馬テレビ「ひるポチッ!」、ワイド番組のゲストとして生出演しCD「今どこにいますか」を宣伝する。
  • 東京オペラシティコンサートホールにて15周年記念コンサートを開催する。
  • シングルCD「わたしと小鳥とすずと」をリリースする。
  • 「第50回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。 

2013年

  • 3人のフランス人と共に観客と一体感を作り出す新感覚の劇場型ライブ「Parlez-moi d'amour Live」を企画・出演する。東京や日本シャンソン館で公演する。
  • 「第51回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。

2014年

  • 2003年に放送されたTBSテレビの人気ドラマシリーズ西村京太郎サスペンス十津川警部第30作「パリ東京殺人ルート」DVDで発売。主役のシャンソン歌手役 高島礼子の歌の吹き替えで「さくらんぼの実る頃」を歌う。
  • 産経新聞(全国版)朝刊2面「きょうの人」にクローズアップされ掲載される。
  • 川口リリア・ワンコイン・コンサート MIKAKOシャンソンコンサートに出演する。前売りチケット600枚が即完売し、会場満員の観客の前で歌う。
  • 「にっぽん丸 小笠原と硫黄島周遊クルーズ」パトリック・ヌジェやスイングジャズパラドックスのメンバーと船内のメインホールでコンサートに出演する。
  • 「第52回パリ祭」(NHKホール)にソロ出演する。
  • 「Parlez-moi d'amour Live vol.4」栄北高等学校 文化祭の前夜祭へ出演し全校生徒、その家族・両親など1300人以上の前で公演する。
  • 群馬テレビ「ひるポチッ!」にゲスト生出演する。
  • fm gunma『ラジオの文化祭in富岡』公開生放送へゲスト出演する。
  • 日本シャンソン館でのイベント第2回「バニョル・エ・シャンソン」~フランス車オーナーズ・ミーティングin日本シャンソン館~ へ出演する。ゲストに富岡製糸場で国際交流員として働くダミアン・ロブションを招き、トーク&デュエットをする。
  • 福島県福島市「飯坂温泉シャンソンと共に 復興支援シャンソンコンサート MIKAKOシャンソンコンサート」に出演する。

2015年

  • 小江戸川越童謡の会 創立19周年記念 MIKAKOシャンソンコンサートに出演する。
  • リリスホールでの午後の音楽会 MIKAKOシャンソンコンサートに出演する。
  • 「第53回パリ祭」(東京NHKホール、小田原、金沢の3公演)にソロ出演する。
  • 日本シャンソン館20周年記念ライヴに出演する。
  • 群馬テレビ「ひるポチッ!」にゲスト生出演する。(4月に1回、9月に1回)
  • 日本シャンソン館イベント第3回「バニョル・エ・シャンソン 」に出演する。スペシャルゲストにフローラン・ダバディを迎え、様々な新聞や群馬テレビニュース番組でも話題になる。
  • オリジナル曲「こもれびの中で」を配信開始する。カラオケ本舗まねきねこ 新機種「すきっと」で歌えるようになる。

2016年

  • MIKAKO オリジナル曲ライブ with pink suede shoes in 立川BABELを開催する。
  • 群馬テレビ「ひるポチッ!」に生出演する。(4月)
  • 産経新聞群馬版に「MIKAKOさん、シャンソン聖地で100回目のステージ」として掲載される。
  • 上毛新聞西北毛版「ひと」欄に記事が掲載される。
  • 「第54回パリ祭」(東京・NHKホール)にソロ出演する。
  • MIKAKO オリジナル曲ライブ in cafeあすなろ(群馬県高崎)を開催し、上毛新聞県央版に記事が掲載される。
  • MIKAKO オリジナル曲ライブ in 吉祥寺SCARABを開催する。
  • 埼玉県狭山市市民センター主催 MIKAKOクリスマスコンサートに出演する。(狭山市市民センター コミュニティホール)スペシャルゲストに山口良一を迎え共演する。

2017年

  • MIKAKO オリジナル曲ライブ in November Eleventhを開催する。
  • 2017年春の宵シャンソンコンの夕べMIKAKOシャンソンコンサートに出演する。(新潟県魚沼市 小出郷文化会館小ホール)
  • MIKAKOライブ in November Eleventhを開催する。スペシャルゲストに山口良一を迎え共演する。
  • 群馬テレビ「ひるポチッ!」に生出演する。(6月・10月)
  • まえばしCITYエフエム「お熱いのがお好き」にゲスト生出演する。(6月・10月)
  • いせさきFM76.9MHz「情報アイランド」ゲスト出演する。
  • 「第55回パリ祭」(東京・NHKホール)にソロ出演する。
  • MIKAKOバースデーライヴ in 日本シャンソン館に出演し、上毛新聞に日本シャンソン館でのバースデーライヴの記事が掲載される。
  • まえばしCITYエフエム「ひるどき845カフェ」ゲスト出演する。
  • MIKAKO シャンソンライブ in カフェギャラリーシャインに出演する。(埼玉県与野)
  • 第4回富岡製糸場工女まつり第10回シャンソンシルクコンサートMIKAKOコンサートに出演する。( 富岡製糸場富岡製糸場東置繭所(国宝))スペシャルゲストに水島優、特別出演者に富岡製糸場国際交流員ダミアン・ロブションを迎える。
  • 東京新聞 朝刊 群馬版トップ記事で第4回富岡製糸場工女まつり第10回シャンソンシルクコンサートが掲載される。
  • 被害者支援センターすてっぷぐんま 被害者支援講演会にて被害者支援ソング「明日はきっといい日」を発表する。(群馬会館)
    被害者支援ソング「明日はきっといい日」(作詞・作曲 サウスミカ、歌 MIKAKO)。

2018年

  • 被害者支援センターすてっぷぐんま被害者支援ソング「明日はきっといい日」レコーディング。(演奏:ひまわり楽団)
  • 群馬県庁県民ホールにて「県民防犯の日ふれあいコンサート」へ出演する。被害者支援センターすてっぷぐんま 被害者支援ソング「明日はきっといい日」(作詞・作曲サウス ミカ)を歌う。上毛新聞県央版に「県民防犯の日ふれあいコンサート」の記事が載り文面で紹介される。
  • 病院にてMIKAKOコンサートに出演する。
  • 産経新聞群馬版に掲載される。(2018.5.24)
  • 群馬テレビお昼の情報番組「ひるポチッ!」「ゲストコーナー」へ生出演。(5月・10月)
  • 自動車整備振興会渋川支部・渋川警察署共催「マイカー点検教室」(群馬県渋川市子持社会体育館アリーナにて開会)アトラクション「ひまわり楽団」マイカー点検教室ふれあいコンサートを実施。そのコンサートの中で被害者支援センターすてっぷぐんま被害者支援ソング「明日はきっといい日」制作発表&MIKAKOミニコンサート開催する。
  • まえばしCITYエフエム 4つの番組に生出演する。「ひるどき845カフェ」「お熱いのがお好き」「防犯チャンネル845」「Air Place」(6月・11月)
  • 「第56回パリ祭」(NHKホール)第6回小田原パリ祭へ出演する。
  • 上毛新聞・社会欄に掲載される。(2018.7.16)
  • MIKAKOバースデーライヴ in 日本シャンソン館に出演する。
  • MIKAKO シャンソンライブ in カフェギャラリーシャイン出演する。(埼玉県与野>
  • まえばしCITYエフエムへ生出演。「お熱いのがお好き」「防犯チャンネル845(9月)
  • 桐生タイムスに掲載される。(2018.9.21)
  • 日本シャンソン館主催第6回フランス車オーナーズ・ミーティング「バニョル・エ・シャンソン」のイベントライブへ出演する。スペシャルゲスト山口良一。上毛新聞 朝刊に掲載される。(2018.10.18)
  • せせらぎMIKAKOシャンソンコンサートに出演する(ボランティア活動)
  • 「被害者支援 ふれあいコンサート」へ出演する。演奏:群馬県警察音楽隊。高崎警察署一日警察署長を務める。場所:イオンモール高崎セントラルコート(群馬県) 「被害者支援ふれあいコンサート」のことが群馬テレビのニュース番組で流される。

2019年

  • まえばしCITYエフエム 4つの番組に生出演する。「ひるどき845カフェ」「お熱いのがお好き」「防犯チャンネル845」「Air Place」(1月)
  • 「春を呼ぶシャンソン」MIKAKOコンサート(さわやかスペース初台)に出演する。(ボランティア活動)
  • 日本シャンソン館ヴァレンタインMIKAKOライブに出演する。
  • シャンパーニュ47年記念MIKAKOライブに出演する。
  • ボニージャックスディナーライブへゲスト出演する。
  • 「平成ありがとう!ライブ」(池之端ライブスペースQUI・スペシャルゲスト山口良一)に出演する。
  • 第57回パリ祭(NHKホール)で「アイドルを探せ」をROLLY(ギター演奏)と共演する。
  • 小田原パリ祭(小田原)で「アイドルを探せ」をROLLY(ギター演奏)と共演する。
  • 日本シャンソン館バースデーライブ MIKAKOライブ。上毛新聞に掲載される。
  • 午後の音楽会第105回プレミアムコンサートMIKAKOシャンソンコンサート(横浜市栄公会堂)に出演する。来場者数約400人
  • フレンチレストラン虎ノ門プティトノーでMIKAKOライブを開催する。
  • 「第202回安全安心まちづくりふれあいコンサート」ひまわり楽団コンサート(群馬県渋川市・三原田自治会館)へ出演。(ボランティアライブ)
  • 渋川警察署管内安全安心まちづくりフェア~ひまわり楽団200回達成記念コンサート~第3部犯罪被害者支援活動コーナー 被害者支援ミニコンサートに出演する。(群馬県渋川市子持社会体育館アリーナにて開会)へMIKAKOゲスト出演する。
  • 小さな音楽会クリスマスにむけてMIKAKOソロコンサート(関前コミュイティーセンター・レクリエーション室)に出演する。

   

ディスコグラフィ

1.シングル

2.アルバム

3.音楽ダウンロード配信曲

  • 音楽配信するために録音した歌「あなたが好きで、たまらない!」「鳥になって..」は、現在配信中。
    また、完売してしまったCD「今どこにいますか」のカップリング・オリジナル曲「こもれびの中で」を聴きたいと言うリクエストが多く配信した経緯がある。

1「あなたが好きで、たまらない!」(2009年配信開始~現在配信中)

訳詞 矢田部道一

2「鳥になって..」 (2009年配信開始~現在配信中)

作詞 森 浩美、作曲 藤田ゆかり

3「こもれびの中で」 (2015年10月配信開始~2016.10月配信終了)  

作詞 MIKAKO 作曲 masa-aki

4.DVD

西村京太郎サスペンス 十津川警部第30作「パリ東京殺人ルート」 (2014年3月19日DVD発売)

  • 2003年放送、TBS人気ドラマシリーズ「パリ東京殺人ルート」主役のシャンソン歌手役 高島礼子の歌の吹き替えをする。(歌は「さくらんぼの実る頃」)

脚注

外部リンク

  • MIKAKO オフィシャルサイト
  • YouTube MIKAKO チャンネル♪
  • MIKAKO フェイスブックページ
  • MIKAKO インスタグラム
  • MIKAKO アメーバブログ「MIKAKOと3つのヒ・ミ・ツ」
  • iTunes「あなたが好きで、たまらない!」配信ページ
  • iTunes「鳥になって・・」配信ページ
  • 日本シャンソン館 ホームページ

MIKAKO


シルヴィ・ヴァルタン


シルヴィ・ヴァルタン


シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan, 1944年8月15日 - )はフランスの歌手。ライヴ・ステージが定評のエンターテイナーで、音楽レパートリーはロックの他にジャズやバラードまで幅広い。ブルガリア生まれで8歳からフランス・パリ育ち。1961年リセ在学中の17歳でパリ・オランピア劇場に初出演。アメリカ音楽が台頭し始める中、ロック歌手としてデビュー。一方で、1964年に「アイドルを探せ」(La plus belle pour aller danser)が世界中で大ヒットした。以来、1970年代から1980年代の1~2か月に亘るパリ公演ロングランと国内外での長期公演ツアー黄金期を経てブランクなしに第一線で活動。新譜制作や公演を定期的に行う。1984年からアメリカ在住(ロサンゼルスとパリ半々の生活を送る)。フランスで4000万枚のレコードとCDを売上げ、ブリジット・バルドーやカトリーヌ・ドヌーブよりも雑誌の表紙に登場したアーティスト (2011年時点)。黄金期は精力的に海外巡演を行い世界中にファンを持つ。2021年にステージ・キャリア60周年を迎え、第50作目のオリジナル・アルバムを発表して10月にパリ公演を開催する。

略歴

フランス音楽界に17歳でデビューし、当初はアメリカン・ロックのフランス語カバーを歌う。ハスキー・ヴォイスと容姿やファッションで一躍若者のアイドルとなる。1963年、19歳で初渡米。アメリカ・ナッシュヴィルのRCA本拠地で国内外で大ヒットとなる「La plus belle pour aller danser(踊りに行く一番の美人)」(邦題「アイドルを探せ」)収録のアルバム第3作「Sylvie à Nashville」をエルヴィス・プレスリーのオーケストラやコーラスと共に直接同時録音。また1965年まで憧れていたニューヨークを頻繁に訪れ有名TV番組に出演する。1965年5月初来日。前月4月に20歳で21歳のロック歌手ジョニー・アリディと結婚 - アイドル同士の結婚はファンのイメージを壊すとのマネージャーの忠告に 《アイドルという職業はない》 と反論。音楽レパートリーはロックからジャズやバラードまで広くダイナミックな公演活動をするエンターテイナー。1970年からニューヨークやロサンゼルスでダンスに励み2004年迄はアクロバットなタンゴから空中ダンスやタップダンス含め様々なダンス・シーンを織り交ぜた豪華絢爛スペクタクルを興行。デビュー以来、現在までコンスタントに新譜を発表し新譜をテーマにコンサート活動を繰り広げている。1960年代デビューのスター歌手の中で稀有な存在である。2013年は50年ぶりにキャリアの原点であるナッシュヴィルに戻りCountry Rockをテーマに新譜「SYLVIE IN NASHVILLE」を録音。

  • 1944年8月15日 ブルガリアで誕生(父Georges Robert Vartan、母Ilona)
  • 1952年12月 8歳でフランス・パリへ家族で移住
  • 1961年 17歳を迎える年の春、RCA音楽プロデューサーの兄エディ・ヴァルタンに懇願され代役で初レコーディング。11月RCAと契約
  • 1963年3月 初渡米、アルバム「Sylvie à Nashville」をナッシュヴィルRCA本拠地にてレコーディング
  • 1964年 「La plus belle pour aller danser(邦題:アイドルを探せ)」大ヒット、オランピア劇場でビートルズと共演
  • 1965年 20歳でロック歌手ジョニー・アリディと結婚 (1980年11月離婚)、5月世界コンサート・ツアーの一環で初来日し全国ツアー
  • 1968年4月 自動車事故に遭う、「Irrésistiblement(あなたのとりこ)」「La Maritza(想い出のマリザッア)」大ヒット
  • 1969年 イタリアTVシリーズ・ショウ番組主演「Doppia Coppia」
  • 1970年2月 2度目の自動車事故に遭う、9月にオランピア劇場公演、「悲しみの兵士 / Les hommes qui n'ont plus rien à perdre」日本で大ヒット
  • 1975年 パレ・デ・コングレ初公演、イタリアTVシリーズ・ショウ番組主演「Punto e Basta」
  • 1979年 アルバム「I don't want the night to end(アメリカン・ナイト)」全曲英語盤発売
  • 1981年 パレ・デ・スポール初公演
  • 1982年 ラス・ヴェガス公演
  • 1983年 パレ・デ・コングレ11週間ノンストップ・ロングラン公演
  • 1984年6月 アメリカ人プロデューサー、トニー・スコッティと再婚
  • 1985年 アルバム「Made in USA」(日本盤:ダブル・エクスポジャー)全曲英語盤発売
  • 1990年10月 ブルガリア・ソフィア初公演、12月に人道支援団体「Sylvie Vartan pour la Bulgarie」をブルガリア赤十字社の下に設立
  • 1994年11月 映画主演 「L'Ange Noir(黒衣の天使)」(邦題「甘い媚薬」)公開
  • 1998年 フランスTV「Irrésistiblement Sylvie」高視聴率獲得、CD発売される
  • 2004年 パレ・デ・コングレ公演、自叙伝『Entre l'ombre et la lumière(影と光の間で)』が30万部のベストセラー、パリ・ガリエラ美術館が衣裳展「Sylvie Vartan, revue de mode」を4か月間開催
  • 2011年11月 サル・プレイエルにてステージ・キャリア50周年記念特別公演、フランス芸術文化最高勲章を授与される
  • 2013年10月 アルバム「Sylvie in Nashville」発売(2013年5月ナッシュヴィル録音)
  • 2015年9月 演劇初主演「Ne me regardez pas comme ca」
  • 2017年9月 オランピア劇場公演
  • 2018年 パリ追加公演、国内外ツアー (日本公演(大阪: 5/31 東京: 6/1)
  • 2021年10月 パリ公演 "SYLVIE, LE RECITAL" (Théâtre Edouard VII 劇場)、第50作目のアルバム発売
Turnbull & Asser

来歴

8歳でフランス・パリへ移住

1944年8月15日 ブルガリア・ソフィア近郊、ソフィア州スヴォゲ市イスクレツ (Iskrets)にある産院)で誕生。1952年に家族でフランス・パリへ移住。ソフィアのフランス大使館プレス担当だったフランス国籍(フランス東部アルザス地方生まれ)のブルガリア人の父親と、ハンガリー人の母親を持つ。母親は、ハンガリー・ブダペストで今も残る壮大な教会堂を手掛けた著名な建築家の娘で、父親が第一次世界大戦直後にブルガリア当局から首都ソフィア復興のために請願されて一家でソフィアに移住した。ソフィアでフランス系電気会社を経営していたシルヴィの祖父と父親は共にフランス生まれで、父親はソフィアのフランス語学校で教育を受けている。2人共フランス語に堪能でその文化に傾倒していたことからシルヴィはその影響下で幼少時代を過ごした。父親は多才で、オペラを愛しピアノを弾き作曲をし絵も描いたが、プロの彫刻家であったことから、政府の要請でスターリンとゲオルギ・ディミトロフ(第二次世界大戦後成立したブルガリア人民共和国の初代首相)一緒のブロンズ像を制作している。1952年12月にビザを入手し共産体制へ変ったブルガリアからフランスへ両親と兄と家族4人でフランス・パリに亡命した。ちなみに、Sylvie Vartanの名について、アルメニア人の名字である「バルタニヤン」であるとする巷の一認識がある。しかし本人は自伝やインタヴューで≪祖父のルーツがアルメニアに遡るが家族の姓はVartan≫と語り、Sylvie Vartanは本名(出生名)であると明言。

1961年 / 初レコーディングとオランピア劇場

シルヴィは祖父・父親・兄がピアノなど楽器演奏もする芸術一家に育ち、演劇学校進学とコメディ・フランセーズを夢見ていた。7歳年上の兄エディ・ヴァルタン(Eddie Vartan、2001年死去)はジャズ・トランペッター(当初ブルーノートで演奏していた)、ジャズ・バンドを持つ音楽家、かつRCAの音楽プロデューサーでもあった。1961年春、エディが担当したデュエット・レコード制作で、録音途中に突然降板したイギリス人女優の代役に立ったのがシルヴィの歌手デビューとなった。曲目は前任者の高音の声質を真似てハミングしたコミカルな歌「Panne d'essence(ガス欠)」(Floyd RobinsonのOut of gas)であった。土壇場での交代劇だったために6月発売されたレコード・ジャケットには男性歌手フランキー・ジョルダン (Frankie Jordan) のみ写っている。ジョルダンも当時は歯科学生でロックに夢中なあまり趣味で歌いピアノを弾いていた。

偶然参加したシルヴィには滑稽極まりない作品に見えたこの歌は意外なヒットとなり同年12月にジルベール・ベコーのパリ・オランピア劇場公演第一部に相手役のジョルダンと招待されて初めて観客の前で歌う。この一寸の出演は伝説のオランピア劇場支配人ブリュノ・コカトリックス (Bruno Coquatrix) の目に止まり、数週間後のヴァンス・テイラー (Vince Taylor) 公演の第一部出演を依頼される。この公演にシルヴィは初めてステージ衣装を作って臨み「Quand le film est triste(Sad movie makes me cry、悲しきスクリーン)」等を歌う。1962年5月ベコーの国内ツアーに参加するが、娘の芸能界入りに特に猛反対だったシルヴィの母は巡演に出るには兄エディの付添いを条件とした。「悲しきスクリーン」 を録音した時の事を先の「ガス欠」のソングライターでもあるジョルジュ・アルベ (Georges Arber) は「シルヴィには既に彼女特有の歌い方があった。その時に私は彼女は成功すると分かった。とにかく彼女はその可能性を持っていた」

音楽的嗜好はジャズ音楽家の兄エディの影響で、十代のデビュー前、カウント・ベイシー、 マイルス・デイヴィス、オスカー・ピーターソンなどのオランピア劇場公演を兄と一緒に鑑賞。また エラ・フィッツジェラルド、モダン・ジャズ・カルテットなどを聴く。ジャズ・ロックンロール・R&Bなどアメリカ音楽に魅了され、思春期に好んで聴いたのは: エルヴィス・プレスリー、レイ・チャールズ、ビル・ヘイリー、リトル・リチャード、ブレンダ・リー。舞台俳優を夢見ていた文学少女のリセエンヌはこうして奇妙にも歌手の道を辿る。1970年代に入るとフランスはシルヴィ・ヴァルタンをそのショウアップされたエネルギッシュなステージぶりから「show-woman américaine(アメリカ的Show-woman)」と形容するようになる。スタジオ活動よりライヴ・ステージ志向が強いのはこの当初の舞台俳優への志が源となっている。デビュー当時は常に作曲家の兄エディ率いるエディ・ヴァルタン・オーケストラが同行して妹シルヴィを支えた。

1960年代 / 初来日と世界ツアー World Tour

1963年「Tous mes copains(邦題:おセンチな17才)」が最初の大ヒットとなる。同年6月、伝説の音楽雑誌『サリュ・レ・コパン (Salut les copains)』の1周年記念で開催したパリ・ナシオン広場コンサートに15万人の若者が集まりシルヴィ達「若者のアイドル」に熱狂する。「サリュ・レ・コパン」は1959年にジャズ・写真・芸術の熱狂的ファンでアメリカの最新音楽に精通するダニエル・フィリパキ(Daniel Filipacchi、後のアシェット・フィリパキ・メディア社長)とフランク・テノ(Frank Ténot、ジャズ評論家)がラジオEurope1で始めた伝説の人気ロック音楽番組「サリュ・レ・コパン」の成功によりその延長で出版まで及んだもの。シルヴィの兄でジャズ・トランペッターのエディ・ヴァルタンとこの二人を結びつけたのもジャズである。フィリパキは16歳年下のシルヴィをデビュー時に小さな妹のように可愛がった。シルヴィはこの1963年から1965年は頻繁にアメリカ・ニューヨークを訪れる。1963年9月、19歳を迎えて間もなく第3作目アルバム「Sylvie à Nashville/日本盤:夢のアイドル」をRCA本拠地ナッシュヴィルで録音。その際に先ずニューヨークへ行くがサリュ・レ・コパン誌は写真入りでこの模様を報道。翌1964年5月の訪問ではTime誌のインタヴューや他の雑誌撮影そしてCBSの人気番組ジョニー・カーソン「トゥナイト・ショウ」の歌の録画等の他にRCA側のディナー出席等で過密スケジュールであった。同年11月にまた3週間滞在し英語盤アルバム「Gift wrapped from Paris」(日本盤:パリからの贈り物)を録音。翌1965年3月中旬はNBCのポール・アンカの番組に出演し、また「トゥナイト・ショウ」に2度目の出演をする。

1964年、「La plus belle pour aller danser(踊りに行く一番の美人)」(邦題:アイドルを探せ)等の大ヒットにより4回目のパリ・オランピア劇場公演が1964年1月16日から2月5日迄行われる。これはビートルズとアメリカのトリニ・ロペズ (Trini Lopez) との共演。当時のビートルズは人気沸騰前で、観客を動員したのはトリニ・ロペズとシルヴィであった。同年フランス映画「Cherchez l'idole(アイドルを探せ)」に出演、主題歌となった「La plus belle pour aller danser」(邦題は映画タイトルと同じ「アイドルを探せ」)を歌い、ハスキー・ヴォイスと容貌でスターとなる。ジョルジュ・ガルヴァレンズ (Georges Garvarentz) とシャルル・アズナヴールの作品で、19歳を迎えたシルヴィがナッシュビルのRCA本拠地で名ギタリストのチェット・アトキンスChet Atkins指揮の下でエルヴィス・プレスリーのミュージシャンやコーラスと直接同時録音したLP「Sylvie à Nashville」収録曲。

アルバム「Sylvie à Nashville」は、英語曲3作を含み、スウェーデン・トルコ・ペルー等も含めて世界的に広くリリースされる。フランスでは長期間に亘り大ヒットし商業的にも大成功となる。シングル・カットされた 「Si je chante」(恋のショック) そして日本でも長期間トップとなった「La plus belle pour aller danser」(邦題:アイドルを探せ)は其々売上第一位にランクされる。本アルバムはシルヴィ本人にとり、その後のキャリアの上で重要な一作だという。この19歳の初渡米でニューヨークでTV出演も行い、滞在中に見た「一つの文化であると同時に厳しいビジネスでもある尊重されたアーティストの存在」に衝撃を受けた。「ニューヨークしか夢見ていなかった」シルヴィに「ニューヨークはアメリカを発見させてくれた」。当時フランスは、アメリカン・ロックのカバー曲を歌うシルヴィ達ティーン世代の振興音楽を「Yéyé(イエ・イエ)」と揶揄し一まとめに括って中味も才能もない歌手のように捉え、アメリカとはメンタル的に雲泥の差があった時代。若く好奇心旺盛なシルヴィは「仕事に対する考え方とやり方において高水準を求める気難しさや厳格さやインスピレーションなど多くを学んだ」。2000年代に入ってフランス雑誌のインタヴューで「アメリカは其々の時代とても進歩している。その音楽も時代を感じさせない。」と語っている。

黄金の60年代の若者達の「Yéyé(アメリカン・ロック)」への過激な熱狂について、1980年末12月28日にTF1のインタヴュー番組「Nouveau rendez-vous」に独占出演したシルヴィ・ヴァルタンは、彼女のキャリアを映像で辿る中、同年代の歌手仲間で友人の一人でもあるフランソワーズ・アルディを途中ゲストに迎え2人は肯定的に答えている。シルヴィ「私達は冷静で本心から歌っていた」、フランソワーズ「その通り。アメリカやイギリスの影響を受けたりコピーしたりで真のオリジナリティーを欠いたかもしれないが、屈託ない私達はとにかくその音楽に夢中で17歳の年齢なりに直向きだった


1965年4月12日、人気絶頂期の20歳で、21歳の若きフランス国民的ロッカーであるジョニー・アリディと結婚。翌1966年8月14日に一人息子で現在はシンガー・ソングライターのダヴィド・アリディ」(David Hallyday)が誕生する。同年に全曲英語アルバム「Gift wrapped from Paris」アメリカ発売。挙式後の5月に世界ツアーの一環で初来日し羽田空港には大勢のファンが殺到した。

1965年世界ツアーのため兄エディはイギリスで気鋭のミュージシャン2人をスカウト。ドラマーのトミー・ブラウン (Tommy Brown) とギタリストのミッキー・ジョーンズで、彼等は1964年から1970年代半ば迄シルヴィに斬新な曲を多く作り主要ブレーンとなる。1960年代から1970年代シルヴィと共に世界ツアーをする。1968年「Face au soleil(太陽に向かって)」、1971年「Suzan」「Annabel」「Une poignée de monnaie(一握りのお金)」、1974年「Rock'n'roll man」等。シルヴィは同様のポップ路線を続けなかった理由について、「彼等イギリス人のような才能あるソングライターに以来出会った事がないからです」と話している。ジョーンズは後にグループ「フォリナー」を結成した。

1968年4月に自動車事故に遭い左腕を骨折するが7月に「Irrésistiblement(あなたのとりこ)」、「Baby Capone(ベイビー・カポネ)」が大ヒットし12月にアルバム「La Maritza(想い出のマリッヅア)」(日本盤は「パリの妖精」)から「想い出のマリッザア」など新曲7曲を含めたプログラムで1週間のオランピア公演凱旋。年内及び翌1969年は2度の世界ツアーに出て、夏の60日長期ツアーではオランダを含め欧州から南米や北アフリカを巡る。「Ballade pour une fugue(愛のフーガ)」のビデオ・クリップをテレビ放映、11月にシングル「Abracadabra(アブラカダブラ)」発売。

「Irrésistiblement(あなたのとりこ)」製作時について、シルヴィの重要なブレーンの一人で「Irrésistiblement」や「La Maritza」など70年代前半まで数々の大ヒット曲を提供したジャン・ルナール (Jean Renard) はこう語っている、「Baby CaponeはYé-Yéの香りを残す論理的な続き、しかし進展が必要であったしシルヴィ自身もそれを感じていた。私はメロディーを変化・発展させるためもっと高音で歌えるかとシルヴィに訊くと彼女は頷きました。いわゆる裏声の楽節にその可能性があった。そこで私達は一緒に取り組み彼女は驚くべき達成をしたのです。」 「1968年オランピア劇場公演で彼女は正真正銘のスターになった。シルヴィとは、優しく親切な振る舞い・礼儀正しさ・ダンス・動きの優美な女性らしい身体、そして、熟達していない時もあるのは確かだが彼女にはある明白な本物があった。スラブ人である真実や何か深いものがある。空々しいものではない、法螺で物事は動かない。それは、彼女を特異な存在にしている彼女独特のあのハスキー・ヴォイス。彼女は多彩な面を持つダイアモンドでした、彼女はそれを1968年オランピア劇場公演で表明したのです。」

1968-1969年はイタリアでも「Irrésistiblemente」「Come un ragazzo(男の子のように)」そして「Zum zum zum」が大ヒットし人気絶頂、国営テレビRAIで3か月間の主演音楽番組「Doppia Coppia」を持った。70年1月にはイタリア語盤「Abracadabra」と「La Maritza」発売。「Buonasera buonacera」「Blam blam blam」「Nostalgia」など堪能なイタリア語で多数レコード録音した。

1970年代 / オランピア劇場 L'OLYMPIA 1970 〜 豪華絢爛スペクタクル

レパートリーはロックからジャズ、R&B、ラテン、バラードまで幅広くダイナミックなライブ・ステージが本領と言われる。契機となったのは、1970年ニューヨークでの「ポップ・ロックそしてとてもソウルなジャズ・ベースでもって ≪最新で≫ 革新的な動きについて並はずれたテクニックを持っていた」アバンギャルドな黒人ダンサー、ジョジョ・スミス (Jojo Smith) のダンス・スタジオ通い。この体験は2月の2度目の自動車事故の1週間後に残る傷痕の治療のため訪れた音楽の街で深く傷心のシルヴィの心身に新たな力を注ぐものとなる。「自分の公演に身体的な広がりや深さを取り入れてより完璧な一人のアーティストでありたい」と考えていた。その年の大半ニューヨークに滞在。クラシック・バレエとは違ったスミスの新しい逞しい踊りに触発され、同年1970年9月のオランピア劇場公演を構想する。当時のフランスでは画期的となったモダン・ダンスを取り入れた本パリ公演、振付・演出はジョジョ・スミス。ゴスペル・R&B・ソウル・ポップが渾然一体となった若いヴォーカル・グループ、ボイズ・オブ・イースト・ハーレム (the Voices of East Harlem) の面々を連れスミス本人も出演した「SYLVIE A L'OLYMPIA 70」(同年10月発売)はキャリアのターニングポイントとなる。このブルーのライヴ・アルバムのジャケット写真にはシルヴィのバックで歌い踊るスミスやボイズ・オブ・イースト・ハーレムの姿がある。本公演のためフィリップ・ラブロ (Philippe Labro) と兄エディ・ヴァルタンは「La nuit(夜)」を製作。ギターと「Bad moon rising」で幕開け、「Love or let me be lonely」のバレエ、そしてスミス一座とボイズオブ・イースト・ハーレムが登場する「Let the Sunshine In」「Love, Peace & Freedom」でフィナーレとなる。会場にはブリジット・バルドー、N・ドロン、バルバラ、フランソワーズ・アルディ、ルイ・アラゴンらが姿を見せた。シルヴィは、ボイズ・オブ・イースト・ハーレムについてはニューヨークでスミスに連れられてハーレムのアポロ・シアターで感動的なジャッキー・ウィルソンの公演を見た日と同様、街の通りで演じる彼等を初めて見た日を鮮明に覚えているという。

この1970年2月の(助手席に乗っての)自動車事故からの復帰公演となりキャリアのターニングポイントと言われる記念碑的オランピア劇場公演は、同年12月に後年ファンの間で伝説となるポートレート・ドキュメンタリー番組「Sylvissima」(シルヴィシマ/スィルヴィスィマ)でTV放映される。当時のフランスで≪画期的≫と言われたモダンダンスを取り入れたロックな本スペクタクルに向けたニューヨークとパリでのリハーサル風景と公演模様の2部構成。公演後の楽屋でフィナーレのジーンズ姿のまま壁を背に座りこみブーツを脱ぎ棄ててステージの幕引きに対する不満を吐き出して塞ぎ込み両手で顔を覆って泣く姿など本公演に掛ける26歳を迎えたばかりの若きエンターテイナー・シルヴィ・ヴァルタンの横顔。本オランピア劇場公演の後、監督フランソワ・レシャンバックの1972年ドキュメンタリー・フィルム「Mon amie Sylvie(モナミ・シルヴィ)」は1971年から1972年オランピア劇場公演迄カリフォルニアから南米を旅するアーティストの公私の姿を収録。YSLのラメのジャンプスーツで「Shaft」を踊った1972年の同劇場公演後は大ホールに場所を移し、1975年から1983年はパレ・デ・コングレ (Palais des Congrès) やパレ・デ・スポール (Palais des Sports) にて、ショウアップされた長期に亘るスペクタクルを興行。

1970年7月、ニューヨーク録音の「Aime-moi(愛の経験)」そして「Les Hommes(悲しみの兵士)」、「Abracadabra」など収録のアルバム「Aime-moi」発表。1971年12月に兄エディ・ヴァルタン、バンドのトミー・ブラウンやミッキー・ジョーンズ等の作品をロンドンの名スタジオOlympic Sound Studiosで録音したシルヴィ・ヴァルタンの代表作に挙げられている「Sympathie」(日本盤「哀しみのシンフォニー」)発表。「Suzan(スーザン)」「Annabel(アナベル)」「Une poignée de monnaie(一握りのお金)」「Riche(愛に生きる私)」「California(カリフォルニア)」「Parle-moi de ta vie(あなたのことを教えて)」「Comme un arbre arraché(はり倒された木のように)」など全11曲。日本では、12月末日にイタリアで録音され現地発売された「Caro Mozart(哀しみのシンフォニー)」(イタリア語)を追加収録し翌1972年発売。本作はモーツァルト交響曲第40番ト短調K550第一楽章アレグロをモチーフにPaolo Dossena, Francesco Valgrandeがポップ調にアレンジ製作したもの。

1972年9月オランピア劇場公演。亡き父親(1970年7月逝去)へのオマージュ「Mon père(モン・ペール)」を発表し本公演で歌う。この72年公演はロサンゼルスにアパルトマンを借り一人息子ダヴィドや母親を呼び寄せてショウ準備に励む。振付・舞台演出のハワード・ジェフレー (Howard Jeffrey) とリハーサルを行う。ショウの主作品であるシルヴィお気に入りのアイザック・ヘイズの「SHAFT」に乗せて男性ダンサー達と踊る。新曲「Mon père(モン・ペール)」、「Medley (Rock 'n' Roll music – Never been to Spain – Proud Mary)」、「A song for you」(Leon Russell レオン・ラッセル1970年作品)、クラシック・シャンソン「Ne me quitte pas(行かないで)」(ジャック・ブレル)などプログラムは様々なスタイルだが、それはシルヴィの意図する構成だった。シルヴィの興味は特定の音楽カテゴリーより音楽全体。本オランピア公演プログラムも「其々が当時の自分自身の状態と好みに合ったものだ」。1973年「Non je ne suis plus la même(愛のかたち)」大ヒット。

1973年6月『サリュ・レ・コパン』誌のシルヴィの言葉「私はミュージック・ホールに恋している。私は一歌手だと思っていない、大ヒット曲が沢山ある歌手ではないしそれを望んでもいない。ヒット・パレードの思いのままになるような事には怯えるだろう。私はステージで一連の多彩な要素を見せたい。私の公演にやって来る観客は歌だけを期待してはいない、多面的なスペクタクルを心待ちにしている。」

1975年秋、フランス国内サマー・ツアーの後に1か月間のパレ・デ・コングレ・ド・パリ初公演に臨む。振付・舞台演出ウォルター・ペインター (Walter Painter)。大勢のダンサーを従えた大掛かりな本公演は翌1976年2月と12月に追加がされた。オープニングとフィナーレは「Toute ma vie」(Osmond BrothersのLove meのカバー)。隣国イタリアでは国営TVでシリーズ・ショウ番組「Punto e Basta」を持つ。1976年に「L'amour c'est comme les bateaux(愛の小舟)」、「Qu'est-ce qui fait pleurer les blondes ?(そよ風のブロンド)」が大ヒット。

1977年秋、パレ・デ・コングレに戻る。ボブ・マッキーの斬新な豹柄衣裳を纏った写真家ヘルムート・ニュートンによる公演ポスターとライヴ・アルバムのジャケットも話題を呼ぶ。パリの街頭の各所に約2m四方のその公演ポスターが連なって貼られる。振付・演出クロード・トンプソン (Claude Thompson)。アンディスピュテッド・トゥルース(The Undisputed Truth)、サイケデリック・ソウル・ファンクグループのYou+Me=Loveに乗せて赤い衣装で踊るバレー、豹柄衣裳で熱唱する「Ne pars pas comme ça」(同年にアメリカ・グラミー賞R&B女性シンガー賞を受賞したThelma Houstonの「Don't Leave Me This Way」のカバー)、そして白の衣装で広いステージを縦横に歌い踊る実兄エディ・ヴァルタン (Eddie Vartan) 作曲「Dancing star(ダンスィング・スター)」のフィナーレなど見せ場の多い1か月に亘る本公演は翌1978年3月20日から4月2日まで2週間の追加となる。観客の中にはモナコ王室のプリンス・プリンセスの姿も。またパリに居合せたミック・ジャガーも来場し楽屋も訪問した。1978年「Disco queen(ディスコ・クイーン)」、1979年12月には「Nicolas(初恋のニコラ)」が大ヒットし年末の『Paris Match』誌の表紙を飾る。

1980年代 / 豪華絢爛スペクタクル ロング・ラン 〜 私生活優先

翌1980年は特異な新曲「La chanson au brouillon」 で無邪気な子供達への眼差しを歌っている。私生活では一人息子ダヴィドが13歳である。年末から1981年3月ロサンゼルスに留まり2年前にサインしていた初冬からのパレ・デ・スポール・ド・パリ (Palais des Sports de Paris) 公演の準備に入る。3月下旬に来日し第10回東京音楽祭に審査員として出席。夏に「L'amour c'est comme une cigarette(愛はジダンの香り)」(Morning trainのフランス語カバー)がメガ・ヒットし、11月に長期間のパレ・デ・スポール初公演に臨む。振付・舞台演出Claude Thompson。ボブ・マッキー作シースルーの衣装で自ら演じたSYLVIEの文字がポスターとなった6週間スペクタクル、「Nicolas(初恋のニコラ)」のアンコール・シーン。会場にはタキシード姿のジョニーと息子ダヴィド、またカトリーヌ・ドヌーブ、ジャック・ドゥミ、ジョージ・チャキリス、アンドレ・テシネ、ロマン・ポランスキー、ナタリー・バイなど映画界からも多数訪れた。翌1982年1月初旬最終日を迎えるや直ぐに6週間のスイス・ベルギーを含む冬期ツアーに出発、8月に1か月の国内サマー・ツアー、そして12月ラスヴェガスのMGMグランドホテルへと続く。

1983年パレ・デ・コングレに戻りショウを開催。振付・舞台演出Claude Thompson。本公演は9月10日から11月20日まで11週間ノン・ストップというロング・ランで25万人を動員。休む間もなく11月28日から3週間の国内ツアーへ。翌1984年6月初旬に再婚後もロサンゼルスやアトランティック・シティで劇場公演をし夏にはフランス国内サマー・ツアー。
83年パレ・デ・コングレでの「11週間ノンストップ・ロングラン公演」の6-9週間後には同ホールはもう充分だという気持になる。86年アルバム「Virage」を最後にRCAから移籍するが同公演もRCA時代最後のパレ・デ・コングレ公演となる。2年毎の費用も膨大なパリ公演のため前々から計画し全て騒々しいリズムで送る生活にうんざり気味になり始めていたシルヴィは、家族生活に優先を置き直しこれまでと違う静かな暮らしを望むようになる。この記録的パリ・ロングランと翌84年の一万人の大観衆がひしめいた野外公演を含む熱狂の国内サマーツアーを後にフランスでの公演活動は6年間、1990年迄休止する。84年6月に再婚し又、一人息子ダヴィドが18歳になり私生活上大事な時期でもあった。新譜録音は行っているがそのような大観客の目の前から遠のく事はキャリア上の大きな決断となる。実際、アメリカ人と再婚しアメリカ西海岸でも生活するようになった事もあり、フランスの一般大衆は「シルヴィ・ヴァルタンはアメリカに移住した」との印象を持つ。

1979年にアメリカ進出を狙ったアメリカ的ワイルドな出で立ちのジャケットが際立つ全曲英語アルバム「I don't want the night to end(アメリカン・ナイト)」、1985年に「Made in USA」を発売。2作共、公式サイトのファン投票では其々の年代で「Sympathie」や「Confidances」と共に一番人気の、代表的アルバム。

1970年から1984年は大掛かりなスペクタクルで正にステージ活動、フランス全土と世界長期ツアーの黄金期。音楽だけではなく、ボブ・マッキーからイヴ・サンローラン、クリスチャン・ディオール、シャネル(ラガーフェルド)等、アメリカ・フランスのクチュリエによるオートクチュール衣裳も注目を浴びた。2004年10月から翌2005年2月迄、ガリエラ美術館 (Musée Galliera) が、「Sylvie Vartan, revue de mode(シルヴィ・ヴァルタンとモード展)」を開催。« revue de mode »の « revue »は、雑誌とスペクタクル公演 « magazine et spectacle » の2つの意味を持ち、展覧会は両方の側面から構成される。

1989年10月、数年のステージ・ブランクを経て、アルバム「Confidanses(バルタン気質)」を発表しステージ活動再開を告知。モノクロ・ジャケットに見る通り外見や装いも70年代半ばから83年迄のスペクタクル時代のゴージャスさや85年アルバム「Made in USA」発売時のアメリカ的ワイルドさからもすっかり抜け出し、全体的にシンプルでスポーティーな一面が顕著になる。長いストレート・ヘアーにナチュラル・メーク、フラット・シューズやテニスシューズを履き、カジュアル・エレガンスが際立つ装いが見られた。

1990年代 / ソフィア初公演・ステージ活動再開

1984年6月に再婚しその後ステージ活動を一時休止するが、1989年東欧の社会主義体制が崩壊した翌年1990年ブルガリア・ソフィア初公演を契機に活動を再開し数年毎にパリ公演・国内外ツアーを行う。

1990年にエティエンヌ・ダオーのアレンジで再録した「Quand tu es là(ゲーム・オブ・ラブ)」がヒット。10月6日にソフィア初公演、1989年10月の新譜「Confidanses(バルタン気質)」から「C'est fatal(セ・ファタル)」「Il pleut sur London(ロンドンに雨が降る)」などの新曲に加え「Mon Père(モン・ペール / 私の父)」、ジョン・レノンの「イマジン」、ブルガリア・フォルクロールも含めたプログラムで観客4000人の前で歌う。またフランス文化を愛した祖父が幼少のシルヴィへよく歌ったシャルル・トレネの「Le soleil a rendez-vous avec la lune(太陽と月)」をエピソードと共に披露。同年12月フランスTVで放映され、またCDライヴ「Enregistrement public à Sofia」発売。また、兄エディとブルガリア赤十字社の下に人道支援団体「Sylvie Vartan pour la Bulgarie」を設立。

1991年1月22日から、湾岸戦争が勃発しパリ市街も不穏な中、パレ・デ・スポールにて3週間に亘って公演し久しぶりにファンの前に戻る。アメリカ人ジェリー・エヴァンス (Jerry Evans) の瑞々しい振り付けやリズミカルな曲目が光るポップ・ロック公演。オープニングの「Par amour, pour pitié(愛と同情と)」、「Dancing in the streets」、子供達が成長しかつての自分達のように飛び立って行くその心境を歌う未編集の新作 「Les enfans s'en vont(子供達は去って行く)」などを披露。1989年には一人息子ダヴィドが22歳で結婚し独立している。1992年6月に2週間の日本ツアー、アルバム「Confidanses(邦題:バルタン気質)」収録の新曲に加えア・カペラでブルガリア・フォルクロール「Moya Goro」を歌った。

同年1992年12月には夏にロサンゼルス録音の新譜アルバム「Vent d'Ouest(英訳:Wind from West)」発表。Michel Compte撮影のダンサー風シルエットのシルヴィのセピア色写真が新しくブックレットも含めてストーリーを持った作品。1993年夏、ア・カペラのカバー曲「Tes tendres années(テンダー・イヤーズ)」のヒットにより、長年一緒に仕事をしたベテランのミュージシャンやコーラスとの同時録音アコースティック・アルバム「Sessions acoustiques」を一気に製作。

1995年1月、新譜「Sessions acoustiques」をテーマにカジノ・ド・パリ (Casino de Paris) 初公演。収録曲に加えヌガロの「Le Cinéma」、フェレ「La vie d'artiste(アーティストの生涯)」、ブレル「La chanson des vieux amants(懐かしき恋人の唄)」などのクラシック・シャンソン、本公演限定のダイナミックな新曲「Je ne peux pas te quitter (comme ça)(こんな風に別れられない)」、また「Divertissement sur Cyrano(シラノのスケッチ)」 などテアトラルな側面も見せた新しいアコースティック・コンサート。

1996年、ファン達には長年のトレード・マークの一つだったロングヘアーからショートヘアーの軽快なスタイルに変え、アメリカとフランス両大陸に住むシルヴィのライフ・スタイルを映した「Back to LA」「Je n'aime encore que toi(あなただけを)」収録のヒット・アルバム「Toutes les femmes ont un secret(全ての女性は秘密を持っている)」を持ってオランピア劇場公演。
1997年7月に特別な新作CD「Sylvie Vartan chante pour les enfants(シルヴィ・ヴァルタン子供達に歌う)」を発売、フランスの伝統的な童謡やフォルクロールにシルヴィとエディが其々作曲した新作2曲を収録した絵本の様な装丁のアルバム。翌1998年、シルヴィはブルガリアから女の子を養女に迎えることになるが子供に対する愛情に溢れる。

1999年に娘ダリナへのオマージュ「Darina」や息子ダヴィド作曲のハードなロック 「Ma vérité」、兄エディの「Les robes」を含む「Sensible」を発表して再びオランピア劇場に戻る。この1999年公演「Tour de siècle」は第1部をほとんど1950年代の古き良きパリに捧げたクラシック・シャンソン・メドレーという特殊な構成をとった。後の2011年7月ニューヨーク初公演の際のインタヴューの中でシルヴィはこの様に語っている:「フランスの歌のレパートリーに傾いたり、母が聞いていた歌へ(1999年の)パリ・オランピア劇場公演でオマージュを捧げたいと思ったのは、やっと2000年になる寸前の事です。16歳の頃はジャズやロックに夢中でした。両親は典型的なフランスの歌(クラシック・シャンソン)を聞いていました、シャルル・アズナヴールやレオ・フェレやジベール・ベコーです。私は遅くなってからこの素晴らしい歌の財産を発見しました。」

2000年代 / スペクタクル 〜 コンサート

2001年6月に重要なブレーンで最愛の兄エディ・ヴァルタンを見送った後メディアから遠ざかるが、2004年春に新譜「SYLVIE」を発表。主にイタリアのミュージシャン達(ショウにも出演)による作品を携えて全盛期のパレ・デ・コングレにて9月28日から10月10日まで2週間のスペクタクルを開催。若いダンサーを引き連れて歌い踊り本来のエレガンス・ダイナミズムを取り戻す。ほぼ同時期、パリ市モード博物館(ガリエラ美術館)にて4か月間の衣裳展「Sylvie Vartan, revue de mode(シルヴィ・ヴァルタンとモード展)」が開催される。合わせてELLE誌10月25日号の表紙に登場。また4月発売された自叙伝『Entre l'ombre et la lumière』(影と光の間で)がエッセー部門1位にランクされベストセラーとなる。

2007年春、1960年代の欧米のスタンダード曲を収録した新譜「Nouvelle Vague(ヌーヴェルヴァーグ)」を制作。「Il est 5 heures, Paris s'éveille(午前5時、パリは目覚める)」からボブ・ディランの「風に吹かれて」(フランス語ヴァージョン)、ビートルズの「Drive my car」そして「スヴニール・スヴニール(Souvenir, souvenir)」、「Stand by me」(イタリア語 / 日本盤ボーナス)まで、シルヴィがパリに移住した日の少女時代を象徴するような歌からアメリカン・ロックに夢中のリセ時代・思春期に聞いた歌などが収録されている。シルヴィは2004年刊行の自伝本で「私は悲しみや幸せで死んでしまわないために歌う」と書いている通り、当時シルヴィは数年来母の病状が重くて寝たきりの状態で大変に苦しい時期にいた。オリジナル作品だと製作に時間を要するため他アーティストの曲を歌って一呼吸し生気を取り戻したシルヴィ本人の「救いのアルバム」。しかし7月初旬の発売日直前、6月下旬に最愛の母が逝く。本作を携え開催した翌2008年3月のパレ・デ・コングレ公演は、トニー・スコッティが初めて舞台演出をし、従来のダンサー達の出演はない。この年はアーティスティックな面で急転換の年となる。≪観客により近く歌詞がより伝わるようなステージ≫を好むようになる。

2009年9月、ミュージシャンと直接同時録音のアコースティック新譜アルバム「Toutes peines confondues(悲しみは全て混じって)」発売と同時に、オランピア劇場でシルヴィ・ヴァルタンには新しいリサイタル形式のアコースティック・コンサートを開催。シルヴィ作曲を含む新作同様、母を亡くして間もないシルヴィが歌うシャンソン歌手バルバラの「Mon enfance(私の幼い頃)」が話題となる。ジョニー・アリディが第2部に連日ゲスト出演。続く国内外ツアーでイスタンブールからソフィアまで巡演。バルバラの「Mon enfance(私の幼い頃)」について、「バルバラの生き方が好きだ。ショウ・ビジネスと距離を置いていた、そして自分の職業に対して大きな愛情を持っていた。『私の幼い頃』は私の同一体験だ。歌わずにいられない。私はその言葉に入り込むだけだ、目を閉じるとそこに自分自身を見る。私のテンポと感情のリズムで歌う」 又、他誌のインタヴューの中で「レパートリーの中であなたを要約する歌はあるか?」の問いにこの歌を挙げて:「最近まで注意を払ったことがなかった。この歌の意図・事柄やその言葉に心を打たれた、それは私自身のものだった。バルバラが “mures écrasée /押し潰された木イチゴの匂い ” を思い浮かべる時にそれは明らか。子供の頃、私達の家の庭に大きな木イチゴの木があった、大きな布を敷いて木イチゴをその上に落とした・・・」

2010年代 / コンサート

2010年3月1日オランピア劇場公演ライヴCD / DVD「SYLVIE LIVE」発売。続いて同劇場にて3日間の追加公演の最中に12月初旬のパリ・シャトレ座 (Théâtre du Chatelet) 初公演が決定する。11月に新譜アルバム『Soleil Bleu(ソレイユ・ブルー / 青い太陽)』をリリース。若手シンガー・ソングライター、ケレン・アン等のプロデュース。ケレン・アンは作曲の他ミュージシャンやコーラスとしても参加。これに先立って9月21日公共放送フランス3はシルヴィ特別番組を放映。また、2年ぶりに来日し11月15日に在日フランス商工会議所の年次イヴェント・ガラGALA2010に招待されてアルバム・タイトルでもある新曲「Soleil Bleu(青い太陽)」(作者でシンガー・ソングライターJulien Doreジュリアン・ドレとのデュオ)を初披露。12月5日シャトレ座初公演は最新作『Soleil Bleu(青い太陽)』の初披露の場となる。プログラムは、アルバム全12曲中11曲が「Mon enfance(私の幼い頃)」と共に核となり全32曲。

2011年レコード・デビュー50周年を迎える。インタヴューされる毎に、従来、自分のキャリアを祝う事に無関心であると話す。2009年9月オランピア劇場公演以来アコースティック・リサイタル・ツアーを行い、2010年11月の凱旋により9月30日から10月2日迄再びパリ・シャトレ座公演を行う。「コンサート・ツアー2011」は2月10日スペイン・バルセロナのカタルーニャ音楽堂公演から始まり、7月にモントリオールとニューヨーク(ロウズ・リージェンシー・ホテル・ファインスタインズ(ボール・ルーム))で、11月はイタリアで公演。本コンサート前、3月は一カ月間パリ8区のマリニー劇場 (Théâtre Marigny) で演劇出演をする。アメリカでロングラン上演された話題の作品で1月から6月まで上演される「L'amour, La mort, Les fringues (Love, Loss and What I Wore)」- 脚色・演出ダニエール・トンプソン、オリジナル脚本ノラ・エフロンとデリア・エフロン、原作アイリーン・ベッカーマン、翻訳本『あのときわたしが着ていた服』。女性5人が舞台に登場する朗読劇で5人の俳優は毎月交代で演じ総勢30人が出演。

11月にステージ・キャリア50周年を迎えて、11月23日にファン待望の50周年記念コンサートをパリのクラシック音楽の殿堂、サル・プレイエル(Salle Pleyel)でソフィア・フィルハーモニー管弦楽団(Sofia Philharmonic Orchestra/指揮Deyan Pavlovパブロフ・デヤン)を伴って開催。2時間半を超える本特別公演にはフランスとブルガリア両国の文化大臣も姿を見せ2000人の観客を前に30数曲を歌った。プログラムは1964年の大ヒット曲「アイドルを探せ」(フランス語原題:La plus belle pour aller danser/踊りに行く一番の美人)でスタートし、ブルガリア音楽2曲「Oblatche le bialo」「Moya Goro」の他「Je croyais」(1976)を含むスタンダード・ヒット曲、また本コンサートのために制作された新曲2曲等、第二部は白いタキシード姿で登場し「La Maritza」(想い出のマリヅァ)や1972年以来コンサートの定番である「Mon père」(モン・ペール/私の父)そしてデビュー直後の十代のヒット曲メドレー、フィナーレではジャック・ブレルの「Quand on n'a que l'amour」(愛しかない時)を歌いあげ、最後に「Ma vie c'est moi l'ai choisie」(フランス語・ヴァージョン「My way」)を朗読した。公演後、ブルガリア文化大臣は同国勲章Saint Cyrille et Methode et Le Siecle d'orを授与、又レコード会社SonyRCAはこれまでレコード4千万枚を売上げた実績に対して特別トロフィーを贈った。翌日付Le Mondeル・モンド紙は「Toujours la plus belle pour aller chanter」(いつも、歌う一番の美人)の見出しで記事を掲載し「オーケストラは"シンフォニズム"はせず、当世風や流行に傾倒しない一つの行儀のいいバラエティーのアレンジに徹した。」「約40曲程を歌ったステージは記念公演という罠に掛からなかった。プレイエルで、シルヴィ・ヴァルタンはシンプルで心のこもった舞台魂だったといえる。」と結んだ。12月14日、フランス文化大臣から同国芸術文化勲章-等級コマンドゥーが授与され、その模様は高視聴率を誇る民放TF1のTVニュース13時が放映。「大臣は4千万枚のレコード売上を達成したスター・アーティストが持つ≪そのユーモアとプロフェッショナリズム≫を語りまたサル・プレイエル公演での≪その気品、ポエジーや陽気≫に言及した。」「この≪本物のアメリカ的ロックンローラー≫は≪B.バルドーやC.ドヌーヴよりも多く≫メディアに写真撮影されたとの事。」 12月にサル・プレイエル公演ライヴCD2枚組そして2012年2月にDVDが発売される。

2011年はまた、1990年に今は亡き実兄エディ・ヴァルタンと共に設立した故国ブルガリアへの人道支援活動をする非政府団体 Association Sylvie Vartan pour la Bulgarieが20周年を迎える。特に新生児医療に尽くして来て多くの要請があると言う

2012年6月「The Ultimate Collection (Coffret des années RCA rééditions)」(RCA時代1961-1986のオリジナル41作品のリマスター・レプリカ復刻盤CD全集)が発売開始される。これはスタジオ録音盤、ライヴ録音盤(日本公演ツアー盤を含む)、TVコメディ・ミュージカル・ショウ主演番組など初CD化を含めた正に全集。ミニチュア・ペーパースリーヴ(紙ジャケ仕様)でCD本体のデザインは黒のドーナツ盤。2013年末まで約1年に亘り限定生産されるコレクション・ボックス。日本ではフランス発売後に単品で発売される。

2013年は2月初旬の日本公演(東京と大阪)から活動スタートとなった。日本公演後、3月5日パリで記者会見を開き今後の活動について、「2014年にカントリー・ロック・ポップな新譜を持って公演ツアーを予定」 。翌朝3月6日付ル・パリジャン紙は「尽きることのないシルヴィ・ヴァルタン」の見出しで写真入り会見記事を一面に載せた。5月に1963年以来50年ぶりにアメリカ・テネシー州ナッシュヴィルに戻り新譜を録音。猛暑の8月初旬、コルシカ島アジャクシオを含む南仏リゾート地での4日間野外≪シンフォニー・ツアー≫はパリ・サル・プレイエル公演(2011年)に優とも劣らぬ大盛況で閉幕した。

10月14日に新譜「SYLVIE IN NASHVILLE」 をリリース。5月にカントリーロックをテーマに≪音楽の街≫ナッシュヴィルに戻りStarstruck Studiosにて録音した意欲作。マイケル・ロイド(Michael Lloyd)指揮の下、起用した現地名ミュージシャン達はニール・ダイアモンド(Neil Diamond)、スティング(Sting)、テイラー・スウィフト(Taylor Swift)等と仕事をした中堅。オリジナル新作とカバー (「I Like It I Love It」、「Cheveux au vent」 (Against the Wind)、「Mr. John B」(「Sloop John B」)、「Etrangere」他)から成る英語1曲含む全13曲。コレクター限定版には別に2曲収録。バイオグラフィー的な歌詞を持つナンバーも多い。新譜発売を控え、10月6日フランス国営放送F2のニュース番組に独占ゲストで出演、キャリア50周年を経てなお新譜制作・コンサート・映画出演とそれは全て進展するばかりだとのコメントで迎えられた。≪フランス語は響きが美しい文学的な言語、ただ私が好むリズム、アップ・テンポの音楽に合わせるのは・・・≫とその難しさにも触れた。10月14日、新譜リリース同夜に新譜独占披露コンサート、ショーケースをテアトル・ドゥ・パリThéâtre de Parisで開催。「ここ数年方向を模索しているように見えただけに歓迎すべき中軸の置き直しを行った。失っていた活力を取り戻している。シルヴィ・ヴァルタンが歌うカントリーは快い熱狂だ。彼女の人気によってフランスの大衆が持つカントリー音楽への頑固な誤解(カウボーイとバンジョーといった固定観念)が消えることを願う。」同日付Le FIGARO紙。別インタヴューで ≪約10年ほど(2004年以降)歌詞を優先したむしろリサイタル的コンサートを行って来たその末に今はリズムを当初のようなロックを求めた≫ ≪たとえ新譜制作をしなくても公演をやれる、私はそのアイディアで溢れているから。例えば1970年オランピア劇場公演がそうだったように。≫ またLe Monde紙は「愛するものに忠実である、アメリカはエルドラド理想郷のままあるアルバムを出した。42枚目のスタジオ録音盤だ。エレクトリック・ギター、2拍子テンポ、十代の表情、カントリーのバイオリンを添えるといった60年代のリラックスしたロックの秘法に基づいて堂々と主張している。時は過ぎる幻想は長く続く。これらフランスとアメリカの出会いは教えるものがある、魂(精神)はアメリカ人で心(感情)はフランス人である。」「シルヴィは間違いなく本物の若き女性だ、2014年2月のフォリー・ベルジェール公演を約束する。」

2014年2月中旬に「SYLVIE IN NASHVILLE」を持ってパリ・フォリー・ベルジェール(Folies Bergere)にて新しい躍動感溢れるコンサート(公演名 "Sylvie à la folie")を開催。"folie"は英語の"crazy"の類義語。幕間なしで(新譜とコレクター限定盤収録曲全15曲中)新曲14曲を含めて25曲以上を歌った。"Nos retrouvailles" (私たちの再会)で幕開け、アンコールも新譜から陽気なアメリカ娘といえる "Sandy" でソワレは頂点に達し会場は狂喜と熱狂の渦と化した。凝った舞台演出はなく音楽100%の新しいステージ。本番前2月8日のアヴァン・プルミエ(試演)について12日付Le Figaro紙は従来公演の定番であった往年のヒット曲を一つも歌わなかった事に触れて ≪彼女はあえてリスクを冒した≫ と会場にいたシルヴィの友人の一人である映画プロデューサーの称賛の言葉を載せ、又 「ナッシュヴィルはシルヴィ・ヴァルタンに感謝すべき」と書いた。
日本公演を4月16日から19日に東京と大阪で開催し、公演初日に新譜「シルヴィ・イン・ナッシュビル」が日本発売される。日本公演の後、ソフィア公演へ直行。1990年、2009年に続いて3回目の国立文化センターでの公演となる。広告も壮大で巨大な広告塔が街頭を飾り又ビルの外壁一面を覆う広告まで設置された。国を挙げての歓迎ぶりで大統領や文化大臣も来場。今回の訪問では、「Sylvie Vartan pour la Bulgarie/シルヴィ・ヴァルタン・ブルガリア人道支援団体」の現地病院への貢献活動(5万ユーロ相当の新生児医療機器を贈呈) に対しシルヴィ・ヴァルタンにソフィア名誉市民の称号が授与される。またブルガリア国営ラジオにて記者会見そして現地刊行されたばかりの2012年フランス刊行の自叙伝の翻訳版のサイン会など公演前後のイベントもあり過密日程をこなす。
6月から7月は新譜メインのパリ公演プログラムで昨年に続いてフランス国内サマー・ツアーに出る。猛暑の野外公演に5千人から1万人が集った。8月15日に70歳を迎えた。同日付Le Figaro紙は: 「年月の流れを感じさせない人たちがいるものだ、シルヴィ・ヴァルタンはそれに属する」。

2015年は2月から2013年に続いてナッシュヴィルでアルバム制作に入る。 4月にパリ・オランピア劇場公演。2013年発表のナッシュヴィル録音アルバムを中心に、自身の往年の名曲やファン達が熱望してきた1977年アルバム収録曲(初披露)やナッシュヴィルで制作中の新譜収録予定の真新しいロック・ナンバーまで、安定したパワフルな歌声とリズムで音楽のジャンルを超えたアーティストであることを改めて強く印象に残した公演。翌日の仏紙 LE FIGARO が報じた通り "幕間なし" で約30曲をエネルギッシュに演じた。国営TV局F2もその公演模様をリポートした。9月から4か月間パリの劇場にて演劇初主演。コメディ作品で定評のあるイザベル・メルゴー(映画監督・脚本家・女優)との共演でチケット・セールスの上位を占める。11月にステージ・キャリア半世紀を超えるシルヴィ・ヴァルタンを彼女のモードで辿る写真集 「Le Style Vartan」刊行、また 新作アルバム 「Une Vie en Musique」 発表。本作は7月に録音したレパートリーの再録で、シルヴィに由縁のある街、ソフィア、パリ、ロサンゼルスに因んだ全16曲を収録。同時期、1961年から1986年RCA時代シングル盤レプリカ復刻CD全集(コレクション・ボックス)が発売される。多方面で大活躍の年となる。

2016年4月、約一世紀を生きた敬愛する母親(2007年逝去)の回想本を刊行。秋から2017年春まで2015年に好評だった主演コメディ演劇のフランス国内巡演。
本業の方は、2017年9月オランピア劇場公演(オランピア劇場初公演50周年を記念し、半世紀のキャリアを2部構成でスクリーン映像と共に動的な音楽で辿った)。 2018年3月16日と4月14日にグラン・レックス劇場で追加公演。同月はブルガリアの2都市で、それぞれ4,000人の観客を前に熱唱し、相変わらず一段と心温かい拍手喝采を受ける。5/30と6/1に4年ぶりに日本公演。シルヴィ・ヴァルタンは常にフランス公演と同じ名ミュージシャンや舞台照明の第一人者を伴って来日するが、今回も同様で、彼等とロック色濃い正味2時間30分(幕間20分含む3時間)のライヴで37曲を演じた。10月から12月にフランス国内及びベルギーでコンサート・ツアーをする。 2019年10月パリ公演(Grand Rex劇場)は、フランスの国民的ロック歌手ジョニー・アリディ(1943-2017)へのオマージュ公演で、プログラムの7割がアリディのレパートリーから。

2020年代 / コンサート

2021年にステージ・キャリア60周年を迎える。第50作目のオリジナル・アルバムを発表して10月にパリで新しい公演、リサイタルを開催する( "SYLVIE, LE RECITAL" - Théâtre Edouard VII 劇場)。


日本での成功

日本の音楽シーンにおいては、100万枚以上を売上げた「アイドルを探せ」、「悲しみの兵士」、「あなたのとりこ」、「哀しみのシンフォニー 」、「想い出のマリッツァ」、「愛の経験」、「アブラカダブラ」、「愛のかたち」、「ディスコ・クイーン」、「初恋のニコラ」等、1965年から1970年代に多くのヒットを放った。1965年5月、20歳の時に初来日。1970年代は北海道から沖縄まで過密日程にて3、4週間に亘る全国ツアーを行った。この時期、RCAは横断幕を持って羽田空港で出迎えた。70年代の長期全国公演ツアーの黄金期を経て現在までコンスタントに来日公演を開催している。

  • 1965年5月世界ツアーの一環で初来日し羽田空港には千人ものファンが殺到した。シルヴィは回想録(2004年フランス発売の自叙伝)の中で、フランスから遠い極東の国での成功・空港で制服姿の学生達が小さな旗を振って大歓迎する光景を見て驚いたと記している。当時の日本はまだ観光で訪れる人があまりいなかった時代でまた遠かったこともあり、アンカレッジ経由の飛行機の中はほとんどシルヴィ・ヴァルタン一行の貸切状態だった。羽田空港に到着直後には歓迎の横断幕「Bienvenue!! SYLVIE VARTAN」をバックにVictorレコード会社開催の記者会見に兄エディを伴って出席。エディ・ヴァルタン・オーケストラと共に約3週間の日本全国ツアーを行う。  (1995年発売「RCAスタジオ録音全集1961-1986」のブックレットに来日時の写真が1枚載っている、街中の人力車の上で女子高生に取囲まれて彼女等が満面の笑みで一斉に差しだす紙に嬉しそうにサインしている姿だ。20歳のシルヴィは公演の合間にショッピングを楽しみ、青山辺りで買った麻の仕立ての良い女の子のワンピースを大変に気に入っていたようで約40年間も大事にキープしていた。というのも、フランスや日本の雑誌インタヴューの中で2004年頃に一人娘のダリナ(当時7歳)に初めて着せたと話している)
  • 1971年5月に6年ぶり2度目の来日、約一カ月のツアーではジャニス・ジョプリン の「ミー・アンド・ボビー・マギー(Me and Bobby McGee)」、ビートルズ「ゲット・バック(Get Back)」を披露。また滞在中に日本語でレコード録音、オリジナル曲「恋人時代」「女の時間」など見事な発音で歌い、レコード・ジャケットには「親日家」と評されている。「想い出のマリッツァ」「私のすべて」の日本語ヴァージョンも録音。73年にはクラシック・シャンソン、ジャック・ブレルの「行かないで(Ne me quitte pas)」を熱唱。
  • 1978年は前年秋の壮大なパリ公演を持って更に華麗でダイナミックなダンスシーンを披露した。(2012年フランスRCAが発売するオリジナル41作品リマスター・レプリカ復刻限定盤CD全集「The Ultimate Collection」に1971年と73年日本公演ライヴ盤が初CD化され日本語曲5作がボーナストラックで収録される。)
  • 1985年には、前年にパリのシルヴィ・ヴァルタン・ダンススタジオをプランタン銀座に開いたこともあり、コカ・コーラ・ライトのCMに出演、同年発売の全曲英語アルバム「ダブル・エクスポジャー」収録曲「ライトな関係」が流れた。
  • 1992年6月、前年1月のパリ・パレ・デ・スポール公演を持って来日し2週間の日本全国ツアー。新譜「バルタン気質」から「セ・ファタル」「ロンドンに雨が降る」、また流暢な日本語で長々と挨拶し「この歌を勇気と希望を失わずに戦い続けているブルガリアの人々のために歌いたいと思います」と締めくくり、ア・カペラでブルガリア・フォルクロール「Moya Goro」を披露した。この歌はパリ公演の前年1990年10月(東欧の共産体制が崩壊した翌年)のソフィア初公演で初めて歌っている。
  • 1995年6月には(2月のパリ公演後に)横浜フランス映画祭に主演作「L'Ange Noir(黒衣の天使)」(邦題:甘い媚薬)を持って団長として来日。
  • 2000年に入って、2005年と2008年にパリ・パレ・デ・コングレ公演を持って東京公演、新譜「永遠にあなたのとりこ〜愛しのシルヴィ」「ヌーヴェル・ヴァーグ」を披露し渋谷Bunkamuraオーチャード・ホールは連日満員。新譜の他に2005年は1965年20歳の初来日で録音し放映されたレナウンのCM曲 「レナウン・ワンサカ娘」 をシャネル(ラガーフェルド)の白いワンピース・ドレス姿で初めてステージで披露した、このシーンはTV放映されている。(これは来日記念盤でもある2004年パリ公演DVD日本盤ボーナストラックだったことへの特別配慮と見える。)2008年には日本で1970年、1973年に大ヒットしたスタンダード曲、「悲しみの兵士」、「哀しみのシンフォニー」を約30年ぶりに披露。また日本到着日や翌朝にTV出演するなど精力的に活動。其々コンサート・プログラムが発行され、2005年の在仏ジャーナリスト・木立玲子の寄稿は哲学者ミッシェル・フーコーの言葉「プログレ・オン・ムーヴマン」の意外な連想で始まるがシルヴィ自叙伝(フランス2004年刊行のベストセラー)にまで触れながら分析、「一時代を印し、その存在自体が集団の記憶と化したアイドル歌手が、一人歩きしてしまった自分のイメージの罠に足をすくわれることなく新陳代謝し、前進し続けるのは容易な技ではない。しかしここに一人例外がいる。シルヴィ・バルタンである。歌手という職業を自分の手に取り戻す意志、客観性を備えていた。脱アイドル精神が、シルヴィ・バルタンというアイドルを時代を超えたアイドルに仕上げるという逆説。」また80年のフィガロ紙の記事を引用「彼女は、他人の視線を基準にして生きることの危険性をいち早く理解した」。2008年はフランス版プログラムの翻訳が一部載っていて47年のキャリア1961-2004年まで其々の年を振り返るシルヴィのコメントが記されている。
  • 2010年11月に2年ぶりに来日、在日フランス商工会議所の年次イヴェント・ガラ (GALA2010) に招待されてANAインターコンチネンタル・ホテルにて特別コンサートをする。フランス発売目前の最新ポップ・アルバム「Soleil Bleu(青い太陽)」から同名の新曲「Soleil Bleu」を作者の若きシンガー・ソングライターのジュリアン・ドレ (Julien Dore) とデュエット初披露した。
  • 2011年4月30日、パリ8区のクラシックコンサート・ホールのサル・ガヴォ (Salle Gaveau) で開催された東日本大地震被災者支援チャリティー・コンサート「Tous en scène pour Japon」に出演。日本人演奏家も多く出演する中、65年日本でも大ヒットした「La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)」、「La Maritza(想い出のマリッヅア)」そして最新アルバム「Soleil Bleu(ブルーの太陽)」から「Sous ordonnance des étoiles(星の処方箋)」の全3曲を歌った。
  • 2013年2月7日から11日にビルボード・ライヴ東京・大阪公演。65年のTVCM曲「ワンサカ娘」も披露し全15曲。最新盤から「Sous ordonnance des étoiles」(デュエット曲)や「Mon enfance」などクラシック・シャンソンも4曲、アンコールはブレルの「Quand on a que l'amour(愛しかない時)」。「そこにシルヴィの強烈な個性が塗り込められ、ステージには、現在進行形の世界レベルの「歌」が立ち上がった。「流行」を消費せず、「文化」にまで高めるお国柄に脱帽。」「デュエット曲では、アルチュール H(アッシュ)の録音と共演。芸歴50年以上にして進化を続ける姿をみせつける。」
  • 2014年4月16日から19日に日本発売されたばかりの新譜「シルヴィ・イン・ナッシュビル」を持ってビルボード・ライヴ東京・大阪公演。ロックな新作から8曲と「Let it be me (Je t'appartiens)」(ジルベール・ベコー)含む全15曲にフィナーレはヒット曲4曲のメドレー。滞在中のラジオ・インタヴューで、これほど長い間現役で活動することが出来るそのモチベーションを保つ秘訣を聞かれて、「変化すること」「常に新しい事にチャレンジすること」 とシルヴィ。
  • 2018年5月末からの日本公演直前の5月29日、NHK夜の生放送の歌番組「歌のコンシェルジュ」に出演し、「アイドルを探せ」「あなたのとりこ」の2曲を披露。

来日公演・日本全国公演ツアー

  • 1965年5月8日から20日(初来日)
  • 1971年5月8日から26日
  • 1972年5月9日から29日
  • 1973年10月1日から15日
  • 1974年10月1日から23日
  • 1977年2月7日から28日
  • 1978年5月25日から6月17日
  • 1983年7月2日から4日 東京、大阪公演
  • 1984年4月30日 (ホテル・メリディアン東京でティナー・ショー)
  • 1992年6月19日から7月2日
  • 1999年6月1日から6日(東京・六本木スイート・ベイジル - 毎夜2回公演/全12公演)
  • 2005年3月28日から30日(3回公演、東京・渋谷Bunkamuraオーチャード・ホール)
  • 2008年3月26日から27日(3回公演、東京・渋谷Bunkamuraオーチャード・ホール)
  • 2010年11月15日(ANAインターコンチネンタル・ホテル、在日フランス商工会議所GALA2010にて特別コンサート)
  • 2013年2月7日から9日/11日(Billboard Live 東京/大阪 - 毎夜2回公演/全8公演)
  • 2014年4月16日、18日/19日(Billboard Live 大阪/東京 - 毎夜2回公演/全6公演)
  • 2018年5月31日、6月1日(NHK大阪ホール/東京・渋谷Bunkamuraオーチャード・ホール)

日本TV出演

公演やイヴェントのため2018年迄に20回以上来日している。初来日の1965年から1980年代前半迄は来日中に人気音楽番組にゲスト出演し歌った。

  • 1965年5月17日 フジテレビ 「ミュージックフェア」出演
  • 1965年5月22日 NHKテレビ 「夢であいましょう」出演
  • 1981年3月30日 TBS深夜番組「サウンド・イン"S" - Sound Inn "S"」で新曲「初恋のニコラ」を披露。前日の第10回「東京音楽祭」に審査員および外国審査員賞プレゼンターとして出演のため来日していた。(音楽祭で同席したアメリカ人、スコッティ・ブラザーズ・レコード会長トニー・スコッティと恋に落ち3年後1984年に再婚。)
  • 1984年4月4日 フジテレビ「夜のヒットスタジオ」初出演
  • 1980年代後半 テレビ朝日の番組「料理バンザイ!」がロサンゼルス宅を訪れて手製の「ムサカ」料理を紹介し素顔のシルヴィを放映。番組担当者を日本語で迎え入れた。
  • 1991年1月11日 テレビ東京「音楽マイ・ラブ 〜 世界のトーク&ミュージック」(Music My Love) はパリ16区にあるシルヴィの自宅でのインタビューを放映。「あなたのとりこ」が流れシャンゼリゼ大通りそしてシルヴィの白い邸宅と映像で始まる。「Double Exposure (Made in USA)」から「If you walk away」と1989年アルバム「Confidanses(バルタン気質)」から「ロンドンに雨が降る」のビデオ・クリップが流れる。このインタヴューは前年1990年9月末に収録されたらしく、番組の中でシルヴィは「来週ブルガリア・ソフィアで初公演をします」と興奮気味に話している(ちなみにソフィア公演は10月6日開催)。また時代を超えて第一線でいるのは日々の努力かと聞かれ「この職業はサイクルが早いから努力していたら大変です。努力ではなくて、情熱です。」「アーティストは好きだからやっているのです」また、「アメリカのアーティストのプロ精神は尊敬しています」「各国のセンスィビリティを少しずつ吸収しているのかもしれません。そういう風にしてより完璧なアーティストになれるのだと思います。」
  • 1995年6月 横浜フランス映画祭に主演作を持って来日の折、NHKのTVフランス語講座のインタヴューに応じる。本業についても聞かれて「(2月に)カジノ・ド・パリ公演を終えたばかりなので、来年、日本公演ツアーが出来ればと願っております。」
  • 2005年3月 「ザ・ワイド」のインタヴューに応じ、番組中に例の「バルタン星人」人形をプレセントされ笑顔ながら戸惑う。
  • 2008年3月6日 BS-iの音楽番組「Song To Soul」ー「永遠の一曲」で名曲「アイドルを探せ」(1963年19歳のアメリカ録音アルバム『Sylvie à Nashville(夢のアイドル)』収録曲)にまつわるエピソードを関係者等が語る。2008年3月末の来日公演を前に、2月パレ・デ・コングレ公演の真っただ中にパリで行われたシルヴィ・ヴァルタン本人とのインタビューと公演でこの一曲を歌う場面も放映。
  • 2008年3月26日 来日した翌朝8時30分にTBS「みのもんたの朝ズバッ!」に生出演。普段はマリンのジャケットにテニス・シューズがお気に入りのシルヴィ、バスケット・シューズのプレゼントに思わず笑顔を見せた。「私は家庭好きで、乱雑・対立する色・過激なモード・先の尖った靴・へそ出しが嫌い。それどころか、私はバスケット&白い靴下!」2010年12月12日フランス・ラジオ
  • 2011年7月26日 ニューヨークのフジテレビ「トゥデイズEye」で7月26・27日のニューヨーク初公演のため現地入りしたシルヴィのインタヴューを放映。4月パリで行われた東日本大震災被災者支援チャリティー・コンサート出演の際に購入したという胸に小さな日の丸そして白で希望と刺繍されたネービーブルーのポロにコンバースの真っ白なバスケット・シューズ姿で出演。
  • 2014年5月15日から5月27日 衛星放送Music Air 「Ma Headlines」で4月来日公演中に行ったシルヴィ・ヴァルタンのインタヴューを放映。
  • 2018年5月29日 NHK夜の生放送の歌番組「歌のコンシェルジュ」に出演。「アイドルを探せ」、そして「あなたのとりこ」を披露し "Irresistiblement" はファルセットを歌った。

レナウン「ワンサカ娘」TVCM

1965年5月、20歳の時に初来日した機会に制作された婦人服製造卸・レナウンの「ワンサカ娘」のTVCMで、1万ドル(当時のレートで360万円)のギャラで歌った。CMソングとしてヒットした。「ドライブウエイ、プールサイド、テニスコート、ロープウエイ」などの英語の歌詞で「イエイエ」が連呼されたこの歌は、1961年に小林亜星が作曲した。シルヴィの他に複数の日本人歌手が歌い、「1965年から1966年がシルヴィ・ヴァルタンだった」「6年間も歌い継がれ、この頃が絶頂だった」と評された。

あなたのとりこ

原題:Irrésistiblement
作詞:ジョルジュ・アベールGeorges Aber、作曲:ジャン・ルナールJean Renard。

フランス本国でのリリースは1968年7月、日本での初回発売は1969年1月。 この時点での注目度は低かったが、1970年11月に再発売すると人気に火がつき、 「オール・ジャパン・ポップ20」 (1967-1986年 文化放送制作・12局ネット 洋楽チャートラジオ番組) で1971年1月18日〜2月1日の3週連続で最高位2位を記録した。

2001年9月に公開された映画「ウォーターボーイズ」の挿入歌に使用され、2002年5月には一カ月間オリコンチャートの上位をキープするリバイバル・ヒットとなった。 その他にも、テレビCMで繰り返し使用されている。

  • 1987年 キヤノン EOS 650
  • 2002年 サントリーフーズ・緑水
  • 2004年 全日本空輸・羽田空港国内線第2ターミナル開業
  • 2009年 麒麟麦酒・ホップの真実
  • 2011年 スズキ・エコカー
  • 2013年 花王ソフィーナ: オーブクチュール

まさに歌詞の通りに「過ぎ行く時の中で 何度も引き寄せられて」半世紀近いロングラン・ヒットとなった。

フランスTV・名ドキュメンタリー・フィルム(1970/1972 - オランピア劇場公演)

「Sylvissima - Sylvie Vartan」(1970年12月9日放映)
ディレクター・監督: クロード・バロア(Claude Barrois)。「本ドキュメンタリー・フィルムは全てのシルヴィ・ヴァルタン・ファンにとって正に夢」と言われるポートレート記録映画。1970年9月の「画期的」パリ・オランピア劇場公演の際に彼女がその年に滞在していたニューヨークそしてパリにて収録された。ポップな本スペクタクルは同年2月の助手席に乗っての自動車事故遭遇からの復帰公演でもある。シルヴィは「当初何時もそばにいるカメラが気になった、でも直ぐにその存在を忘れ準備に没頭」し公演を迎えた。「ダンサーは厳しい、一夜にして成れない。一緒に踊るダンサー達は皆10年来踊っている」とシルヴィ(当時25歳)。リハーサルに明け暮れた。ニューヨーク滞在中「ダンサー、ジョジョ・スミスとの出会いから初めて自身で構想したスペクタクル」だけに、熱の入った華奢なシルエットで励むダンス・シーン、幕引きに対する不満を吐き出す感情的なシーン等アーティストの素顔・クリエーターの現場風景。身心の傷とそのコンプレックスと共にエンターテイナーの道を歩み始めたシルヴィ・ヴァルタンの記念碑的公演迄を描く。放映から約40年を経た2011年「奇跡的」に見つかりINAの修復を経て同年11月、シルヴィのステージ・キャリア50周年記念公演を目前に初めて(Télé Mélodyが)再放映。
第一部:オランピア劇場公演準備 - リハーサル(ニューヨークの振付師・黒人ダンサー、ジョジョ・スミス等と)、イヴ・サンローランのアトリエ衣装制作・試着、スタジオ録音、カリタ美容室、TV出演(公演プロモーション)、公演ポスター印刷・街頭への設置、パリ・ヴァンドーム広場でカルロス(タレントで前マネージャー兼世話役)と、シルヴィの楽屋、公演初日の夜(ブリジッド・バルドー、ジョニー・アリディ、支配人ブルーノ・コカトリ等の激励)、第二部:オランピア劇場公演全容
「Mon Amie Sylvie」(友人シルヴィ)(1972年11月25日放映)
監督:フランソワ・レシェンバッハFrancois Reichenbach。レシェンバッハが1971年から72年パリ・オランピア劇場公演まで世界中を旅するシルヴィ・ヴァルタンを追って撮影した記録映画(劇場公開ではなくTV放映された)。パリ郊外に所有するお城の森で小さな一人息子と遊ぶ姿から南北アメリカでの旅先生活、スタジオ録音、そして「SHAFT」をイヴ・サンローラン作ジャンプスーツで踊る本スペクタクル主要シーンやシルヴィ・ヴァルタン特有の黄金の長髪を前に激しく流して観客に応えるアンコールを含め公演模様も多く収録。この公演からリハーサルはダンサーの多い西海岸ロサンゼルスで行って来た。フランスで本作は何度も再放送されている。
収録曲:「わけは聞かないで Ne me demande pas pourquoi」、「ディリンダム Dillindam」、「ロックンロール・メドレー Medley Rock n'roll」、「あなたの名前 Je t'appelle」「モン・ペール Mon pere」「シャフトSHAFT」(バレー)、「狼Loup」、「Non c'est rien」、「行かないで Ne me quitte pas」「ソング・フォー・ユー Chanson pour vous」「出発Partir」

フランスTV・シルヴィ・ヴァルタン特集番組 / 1990 - 現在

プライム・タイム放映の1時間から2時間半の企画番組。 1998年の「Irrésistiblement SYLVIE」 は高視聴率を獲得してCD化され日本でも発売された。

  • 1990.11: Sylvie en Bulgarie (F2報道番組Envoye Special / ブルガリア初帰国リポート)
  • 1994.11: Sylvie Sa Vie (Canal+ / ポートレート・インタヴュー番組)
  • 1998.10: Irréistiblement SYLVIE (F2 / 音楽番組)
  • 2000.3: Qu'est-ce qui fait rêver Sylvie ? (TF1 / 音楽番組)
  • 2005.4: Au rythme du cœur (F2 / 音楽番組)
  • 2005.9: Entre l'ombre et la lumière(F3 (「影と光の間で)」2004年ベストセラー自叙伝と同タイトルのポートレート・インタヴュー番組)
  • 2010.9: Tout le monde l'appelle SYLVIE (皆は彼女をシルヴィと呼ぶ)(F3 / ミュージカル・フィルム)
  • 2015.9.30: Sylvie raconte Vartan (Paris Premiere/ ポートレート・ドキュメンタリー)

私生活

語学

フランス語の他、英語、イタリア語、スペイン語、ブルガリア語と5カ国語に堪能。日本語を勉強していた時期もあるという

好きな事柄

  • 趣味の一つが写真で、「対象は主に子供と動物」との事。
  • 音楽: R&B, Jazz, Rock'n' Roll
  • :クチナシ (gardenia) の花
  • :白
  • 男性の長所:誠実、寛大
  • 女性の長所:同上
  • 美徳:優しさ / 善良さ
  • 住みたい所:パリ、山岳の湖の傍
  • 詩人:ボードレール、ランボー
  • 音楽家:チャイコフスキー、モーツァルト、エルトン・ジョン
  • 歴史上の人物:ナポレオン
  • 歴史上のヒロイン:ジャンヌ・ダルク
  • 実社会のヒーロー:偉大な科学(研究)者
  • 実社会のヒロイン:マザー・テレサ

芸能一家のVartan家

エディ・ヴァルタン (Eddie Vartan)
7歳年上の実兄。音楽や美術に長ける父親譲りで、幼少にピアノを習い始め子供時代に既に学校でその音楽の才能を認められる。ソフィア・コンセルヴァトワール(音楽院)で学び、15歳でパリ移住後は楽器ホルンを入手、パリ国立高等音楽・舞踊学校で音楽の勉強を続けると同時にジャズ演奏に傾倒しトランペットに移行する。法学部に進むがジャズ好きが嵩じジャズ・トランペッターとなりバンドを持ち当初パリ・ブルーノート等で演奏をした音楽家。有名ラジオ番組担当ダニエル・フィリパッキ (Daniel Filipacchi、後のアシェット・フィリパキ・メディア社長) などジャズ専門家達と親交があり、RCA音楽プロデューサーそして作曲家となる。シルヴィを歌の世界へ導き、また生涯重要なブレーンであった。1960年代は自身の楽団、エディ・ヴァルタン・オーケストラ (Eddie Vartan Orchestre) を率いてシルヴィのスタジオ録音や国内外公演を指揮し作曲家としても多くの曲を書いた。映画音楽も製作。1990年にブルガリアでの少年時代を書いた自伝小説「Il a neigé sur le mont Vitocha(ヴィトシャ山に雪降る)」Editions Fixot刊。2001年6月19日パリにて64歳で逝去。
シルヴィへの主要作品:「Les vacances se suivent」1962年、「Je voudrais être garçon」1965年、「Sur un fil」1967年、「La nuit」1970年 / オランピア劇場、「California」1971年、「Toi mon aventure」1974年、「Dancing star」1977年、「Jour après Jour」1975年、「Orient-express」1981年、「Aimer」1982年、「Lucie」1983年、「P'tit bateau」1997年、「Les robes」1998年
トニー・スコッティ (Tony Scotti)
現在の夫。シルヴィが歌手ジョニー・アリディと離婚した翌年1981年3月、招待された第10回東京音楽祭の席で出会ったイタリア系アメリカ人で映画・音楽プロデューサー。互いに運命的な一目惚れで恋に落ち3年後の1984年6月2日にロサンゼルスで再婚。シルヴィが云うには、トニーは思春期の一人息子ダヴィドに不可欠な父親として大きな存在であった。トニーもまた2回目の結婚となり彼は子供は無かったため「ダヴィドを育てる事はとても大きな喜びであった」と語っている。また彼の音楽界デビュー前後にも尽力した。シルヴィはパリに住居を持つが、以来家族の住むロサンゼルスを拠点に活動する。2人の間にはダリナ (Darina) という一人娘がいる。1998年に生後6ヵ月で養女に迎えたブルガリアの子供である。
ジョニー・アリディ(Johnny Hallyday)
最初の夫でフランスの国民的人気ロック・シンガー。1965年に21歳で20歳のシルヴィと結婚。翌1966年に一人息子のダヴィド (David) が誕生するがその直後には早や離婚を望むシルヴィに対しジョニーは自殺未遂を起こすなど若きスター・カップルの結婚生活は常に波乱万丈であった。15年後の1980年11月4日シルヴィの意思で離婚。「若過ぎた2人は全てをマスコミに曝される中、それでも17年を共にした。ジョニー・アリディは何時も家族同様。」とシルヴィは公言している。
ダヴィド・アリディ (David Hallyday)
ジョニー・アリディとの一人息子でアメリカ育ち。1966年8月14日ブローニュ=ビヤンクール生まれ。幼少からドラムに夢中でドラマーを夢見ていたが、1985年にシンガー・ソングライターとしてデビュー。フィルム・プロデューサーでもある。デビューした1985年4月に来日し日本発売シングル「Tonight you're mine」を披露。童顔だが骨太のハスキー・ヴォイスのロッカー。ドラムに魅せられたのはかつてシルヴィ・ヴァルタンのブレーンでドラマーだったトミー・ブラウン (Tommy Brown) の影響だと話す。1987年ファースト・アルバム「True Cool」でDisque d'Or受賞、1989年シングル「High」がフランスで大ヒットし第1位を獲得。90年代に「ブラインド・フィッシュ」というグループも結成し数年間アメリカ巡演をする。1999年には彼の祖父(シルヴィの父)へのオマージュ、「Tu ne m'as pas laissé le temps」が約100万枚の大ヒットとなった。他アーティストにも曲を提供していて、同年、全曲を手掛けた父親ジョニー・アリディのアルバムはジョニーの一番売れた作品。自身のアルバムもDisque d'Orを多く受賞している。1989年に22歳で結婚し2人の娘(長女:1995年誕生イローナ/Ilona、次女:1997年エマ/Emma)を持つが、2004年に再婚し同年一人息子Cameronが生まれて私生活は3人の父親。子供を愛するシルヴィはこの子供達と頻繁に一緒に過ごし大家族でヴァカンスを過ごす。ダヴィドは自分の子供時代の母シルヴィについて聞かれて: 「小さい頃、母は必要以上に自分をマスコミからかばった。冷静で平等で凄く公正な考え方をする人で弁護士にぴったりだ。母は厳しかったが優しかった。でも自分にだけではなく周りの誰に対しても本当に優しかった。」(2004年フランス雑誌) シルヴィにはパーソナルな歌も多い。ダヴィドへ捧げる歌:Ballade pour un sourire / 微笑みのバラード(1966録音) -「シルヴィ・バルタン恋を歌う / Il y a deux filles en moi」収録、「Le roi David(ダヴィデ王)」1969年録音、1971年日本盤「恋人時代」収録。
マイケル・ヴァルタン (Michael Vartan)
シルヴィの実兄エディ・ヴァルタンの長男、1968年ブローニュ=ビヤンクール生まれ。アメリカで活躍する俳優で、シルヴィの一人息子ダヴィド・アリディ (David Hallyday) と同様に1970年代初頭からアメリカ育ちである。

エピソード

モード・シルヴィ・ヴァルタン (Création Sylvie Vartan)

1965年から1970年まで「Création Sylvie Vartan」と称したプレタポルテ・コレクションを発表。『ELLE』誌の表紙を飾り毎回紹介される。ヴィクトル・ユーゴ通り (Avenue Victor-Hugo) にパリ第1号ブティックを開き、フランスに他3店舗とベルギーにも出店。(2015年11月フランスで出版(MARTINIERE BL)されたモード写真集「LE STYLE VARTAN」にパリのブティックの写真が掲載されている。) 本コレクションに加え、シルヴィは特に1960年から1970年代、長い手足・華奢なシルエットが注目され、『ELLE』や『Vogue』誌上において、YSLなどクチュリエ製作のオートクチュール(ジャンプ・スーツからミニやドレスまで、様々なファッション)に身を包み、ヘルムート・ニュートンなどの撮影に応じた。

日本では、1965年5月(20歳)の初来日時の写真の一つに「西武シルヴィ…協賛東洋レーヨン」のボードをバックに記者会見をするシルヴィの姿があるが、西武百貨店にシルヴィのモード・コーナーがオープンするほどの人気ぶりが伺える。

2004年10月16日から2005年2月27日まで4か月間、ガリエラ美術館(パリ市モード博物館)にて「Sylvie Vartan, revue de mode(シルヴィ・ヴァルタン モードの遍歴)」展が開催された。そうした経歴から、インタビューでモードについて質問を受けるが、「(キャリア上)自分のスタイルを作り上げるといったことに構ったことはない」、「もちろん関心はあるが、私はファッションの奴隷ではない。いつも自分の好きなものを身につける」と答えている。

ダンス・スタジオ (Sylvie Vartan Dance Studio)

1980年代にフランスでダンス・スクールを開いていた。1984年4月、東京銀座に百貨店プランタンが進出した際に、最上階に同名のダンス・スタジオをオープン。フランスのスタジオ閉鎖と共に東京校も閉鎖。シルヴィ・ヴァルタンは1970年からアメリカにも暮らし始めるが、以来2004年迄のショウ振り付け師は全てアメリカ人を起用した。1970年代は振り付け師と共にラスベガスなどでほとんどのショウを見たという。

トニー・スコッティ (Tony Scotti)

シルヴィが自分の分身といい両手を広げて信頼する夫。1981年3月に第10回東京音楽祭の席で出会い3年後の1984年6月にロサンゼルスで再婚。トニー・スコッティは東京音楽祭の審査員として常連で1980年から1986年まで務め、シルヴィは1981年と1983年から1986年まで審査員やプレゼンターとして招待されている。トニーはアメリカ東海岸ニュー・ジャージー州出身。大学卒業後、西海岸ロサンゼルスに移り俳優・歌手としてスタートするが、間もなく兄弟3人で会社設立、音楽・映画プロデューサーとして成功している。シルヴィはTVや雑誌インタヴューでトニーについて訊かれる毎に笑顔でこう表現する「トニーのような男性に出会うのは難しい、彼は突然私の目の前に現れ大きな扉から入ってきた『un oiseau rare(珍鳥)』、私はもう戸に鍵を閉めてしまいました!」

ジャン・リュック・アズレ (Jean-Luc Azoulay)

1965年、医学生だったジャン・リュック・アズレはシルヴィの熱狂的ファンとなりファン・クラブを作って初代代表となる。1968年にシルヴィの秘書兼マネジャーのカルロスがシルヴィと一緒に歌い始めてタレントになると大学を中途退学してその役目を引き継ぐ。シルヴィのアメリカ暮らしが益々頻繁になる1976年迄シルヴィに従って日本を含め世界中を巡演した。後にプロダクションを設立、現在はフランス最大オーディオ・ヴィジュアル企業の一つで多数の関連会社を持つ。2004年に初めてシルヴィ・ヴァルタンのショウをプロデュースし2005年の日本公演にも同行。アズレは、シルヴィの下でショウ・ビジネスについて学んだと話している。

ジャン・ルナール (Jean Renard)

1967年から7年間シルヴィの音楽制作主要ブレーンの一人ジャン・ルナール。2011年シルヴィのステージ・キャリア50周年記念パリ公演に姿を見せた。1967年知人から人気歌手に曲を提供する事を薦められ当初ジョニー・アリディへの曲を持ってジョニーも来るはずだった新譜録音中のシルヴィがいるスタジオを夜訪れる。シルヴはジョニーは来られないため替って自分が聴いて彼に話しても良いと言う。ルナールはピアノに向かったが自分で歌い出す、終わって見るとシルヴィは白い顔をして泣いていた。再演を促されるが途中シルヴィは「この曲は私の方に向いている!」と言い出して遮る。その翌日にシルヴィの音楽ディレクターの仕事を提示される。
主作品: Par amour, par pitié(愛と同情と), Deux mains(二つの手), 2'35 de bonheur(2分35秒のしあわせ), Irrésistiblement(あなたのとりこ), La Maritza(想い出のマリザァ), Aime-moi(愛の経験), Les hommes qui n'ont plus rien à perdre(悲しみの兵士), J'ai un problème(危険な関係/J.アリディとのデュオ), L'amour au diapason(恋人を探せ)

自動車事故遭遇 (1968/1970)

  • 1968年4月11日(23歳)、デビュー時からの一番の親友が同乗していたシルヴィ運転の車に、無免許の学生が運転する車が暴走して突如激突。助手席の女性は亡くなり、シルヴィは左腕を骨折。この女性は学生時代ジャーナリストとしてシルヴィにインタヴューした際に意気投合。モードに興味を持つ無邪気な2人の映像や写真が多く、シルヴィのコレクションのため一緒にデッサンしたり同じ洋服を着たり姉妹のよう。シルヴィの長男の名付け親でもある。「シルヴィは自責の念ですっかり心を閉ざした」
  • 1970年2月20日(25歳)の2度目の事故は、当時の夫でロック歌手のジョニー・アリディが凍った夜道を運転中、横道にそれて大破、助手席にシルヴィと後方にミッキー・ジョーンズなどミュージシャンが同乗していた。シルヴィはフロント・ガラスで顔面を負傷。まもなくニューヨークの傷跡治療の名医から皮膚の形成外科手術を受けた。自身のスペイン・ツアー出発前の時間を割いて国内巡演中のジョニーに会いに行った際の不運。『Jours de France』1970年3月19日号の表紙は事故前のポートレート写真である。ストレートの長く豊かな髪、前に流した短い前髪、ダーク・ブラウンか黒のニット、首元にシルクのスカーフを巻きBCBGの若い女性の記念写真風だ。傷痕は完璧には消えなかった。

2009年10月フランス雑誌のインタヴューと後のフランス2のテレビ番組インタビューの中でシルヴィは、2度の交通事故(身心の大試練)を乗り越えられたのは「一人息子のダヴィドが居たから」、また「若さという力」と答えている。

「私は流浪の人」(Je suis nomade.)

「私はいつも同じように生きている。それは私のカールマ(運命)の一部。何処かに長く滞在した事がない。旅をせずにいるのは不安。不動は死と同義。私にはこの物凄いリズムが必要、でも又その一方で大きな平和や、やりたい事をする機会を求めている。ロサンゼルスに居る時は確かに平穏だがパリやフランスが直ぐ恋しくなる! 実際に、フランスは私の国、ブルガリアは郷愁(両親)の国、そしてアメリカは夢の国(愛する人の国)・・・」 「私は同じ場所に住みついたり同じ事に留まった事がない・・・・、公演プログラムは毎回少し違う、もちろん観客の期待に応えてスタンダード曲は歌うが何時も前のどれかを諦めて新たに別の曲を歌っている。私にとり一番大切な事は新しい感情を見つける事。ルーティーンにならない事。私は小さい頃からアーティストとはルーティーンから抜け出して別の新しい人生を生きる事だと思っていた。」

人道活動 - ブルガリア人道支援団体(Association Sylvie Vartan pour la Bulgarie/1990-)

ブルガリアは8歳で離れた故国。1990年10月、東欧の共産体制が崩壊した翌年に亡命後初めて訪れて、幼少時代を過ごしたソフィアでコンサートを開催。この模様は、フランス公共放送局Antenne 2が同行し収録、人気報道番組「Envoyé Spécial」で放映。本コンサートはまた同年クリスマス夜に放映された。1991年に公演ライヴCD「Live Enregistrement Public à SOFIA」も発売された。シルヴィ・ヴァルタンは、約40年ぶりの帰国で見た故国の貧しさに心を動かされて、同年1990年12月24日、実兄エディ・ヴァルタンと共にブルガリア赤十字社の元に人道支援非営利団体 「Association Sylvie Vartan pour la Bulgarie」(シルヴィ・ヴァルタン・プール・ブルガリィ)を設立。主目的は子供達の救済。

若い頃から大変な子供好きで有名なシルヴィは、恵まれない子供達や老人救済を中心に、孤児院や産院含む病院に新生児医療機器・器具などの物資・設備を提供する。ロジスティクスはブルガリア赤十字社が担当。規模が小さい団体で≪小数が篤志で活動して無駄なく最大限に寄金を支援先に向けている。私は子供達に確実に資金が届く事に強い拘りを持っています。≫。 個人的にも多大に尽力して地道な活動を続ける。クリスマスには子供達に贈物を届ける。事務局長は≪シルヴィは孤児院を訪れる度にその子供達皆を自分の養子にしたいと思っている≫と微笑む。又2010年からパリ・トロカデロ広場(Jardin du Trocadero)のクリスマス市に参加してシャレーでアソシエーションが毎年アーティストに依頼し制作する特製カード等を販売。小さいながら近年その支援は文化的分野にも及び歴史的な修道院の改修へも参加している。

毎年パリのブルガリア大使館にて定例会を開催し自ら出席する。ブルガリア現地を定期的に訪れて現状を確認するなど、ブルガリアでは社会的活動でも知られている。特に新生児医療に力を入れて活動し多くの要請に応じている。≪donne et il te sera donné.(ルカによる福音書)、私にとりこの与えるという考え方は不可欠なのです。≫

ブルガリアは≪愛する両親の国≫そして不穏な時代ながら一番幸福だった時は≪子供時代≫と言う。また2011年フランス雑誌のインタヴューの中で好きな風景を訊かれて≪バルカン半島の山奥にある小さな湖≫。シルヴィ・ヴァルタンはどの季節も山岳地方が好きという。本活動は2020年12月に30周年を迎えた。

ディスコグラフィー

日本発売シングル

フランス発売シングル

※日本発売曲の原タイトルは「日本発売シングル」を参照のこと

オリジナル・アルバム

※注:フランス盤と日本盤では 収録曲目が異なる場合があります。日本盤は発売時期も遅れています。

ライブ・アルバム

(DVD化されたものを含む)

※注意 DVDフランス盤はPAL方式のため、日本の一般的なプレーヤーでは再生できません。

以下は 未音源化

  • 1964/1/16〜2/5 オランピア劇場 - トリニ・ロペズ、ビートルズとの共演
  • 1967/3/15〜4/16 オランピア劇場
  • 1968/12/3〜12/9 オランピア劇場
  • 1991/1/22〜2/10 パレ・デ・スポール
  • 2010/3/4〜3/6 オランピア劇場 - 追加公演
  • 2011/9/30〜10/2 シャトレ座
  • 2013/10/14 テアトル・ドゥ・パリ - 新譜「SYLVIE IN NASHVILLE」独占披露コンサート
  • 2014/2/8 テアトル・ドゥ・カジノ - アヴァン・プルミエ
  • 2014/2/14、2/15 フォリー・ベルジェール
  • 2015/4/11、4/12 オランピア劇場
  • 2017/9/15、9/16 オランピア劇場
  • 2018/3/19、4/14 グラン・レックス劇場にて追加公演

コンピレーション・アルバム

  1. 1971.5.5: グランプリ・アルバム (日本盤)
  2. 1978: シルヴィ・ヴァルタンNew Best 〜 Disco Queen(日本盤)
  3. 1993: La Storia (1989-1993 Best of)
  4. 1998.11.21: SYLVIE VARTAN BEST(日本盤)
  5. 2002: Sylvie Vartan Best(日本盤)
  6. 2002: Irrésistiblement Sylvie Vartan Best Collection(日本企画盤)
  7. 2004: Les Années RCA (BEST of 1961-1983)
  8. 2008: Sylvie sings standard songs RCA years(日本企画盤)
  9. 2009.11.25: シルヴィ・バルタン あなたのとりこ〜60s ベスト/Sylvie Vartan 60s BEST(日本盤)
  10. 2009.11.25: シルヴィ・バルタン 哀しみのシンフォニー〜70s ベスト/Sylvie Vartan 70s BEST(日本盤)
  11. 2010.9.20: Best of 3CD Sylvie Vartan(3枚組BEST-RCAフランス)
  12. 2013.2.6:Sylvie Vartan's Story 1961/62 (初期12作品-RCAフランス)
  13. 2013.2.26:Tous mes copins (初期31作品-RCAフランス)
  14. 2016.12.20:シルヴィ・バルタン、英語を唄う(SYLVIE VARTAN en anglais...et en americain - 1963-1965ニューヨーク・ナッシュヴィル・ロンドン録音/全25曲/未発表5曲含む)(2016年11月英国レーベル(ACE RECORDS)発売の企画盤/2016年3月シルヴィ・ヴァルタンへの独占インタヴュー含む英文解説の対訳付)

CD BOX SET / 全集

  1. 1995.10: Les années RCA - Intégrale studio 1961-1986 (RCA時代スタジオ録音盤CD21枚組)
    500曲 - 未発表曲含む。Vols. 1 - 10, フランス語、イタリア語、スペイン語、英語、ドイツ語、日本語。キャリアとシルヴィへのインタヴュー掲載のブックレット付
  2. 2004: L'Intégral Live RCA - Coffret 7CD 1970-1983(RCA時代ライヴ全集CD7枚組)
    パリ公演:1970 Olympia / 1972 Olympia / 1975 Palais des Congrès / 1977 Palais des Congrès / 1981 Plais des Sports / 1982 Las Vegas / 1983 Palais des Congrès / 95ページ・ブックレット-シルヴィへのインタヴュー)
  3. 2010.11.8: Les années RCA Vol. 1 - 5CD 1963-1966(RCA時代の初期オリジナル作品レプリカ復刻版CD5枚組)
    リマスター、bonus約120曲付き。1963 SYLVIE / 1963 Twiste et Chante / 1964 Sylvie à Nashville / 1965 A Gift wrapped from Paris / 1966 Il y a deux filles en moi)
  4. 2011.9.26: 4CD Originaux (オリジナルCD 4枚組)
    Confidances(1989)(日本盤:バルタン気質), Session acoustiques (1994)(日本盤: バルタン・セッションアコースティック), Toutes les femmes ont un secret (1996)(日本盤: 全ての女性は秘密を持っている), Sensible (1998)
  5. 2012.6 - 2013.11: The Ultimate Collection (Coffret des années RCA rééditions - 41CD)
    RCA時代1961-1986のスタジオ/ライヴ/TVショウ録音アルバム41作品リマスター・レプリカ復刻限定盤CD全集。1971年と73年の日本公演ライヴ盤や日本限定スタジオ録音盤「サバの女王」等17作品初CD化含む。ブックレット(58ページ)、膨大なボーナス・トラック(1971年東京公演ライヴには日本語5曲:「恋人時代」・「女の時間」・「わたしのすべて」(J'ai deux mains, j'ai deux pieds, une bouche et puis un nez)・「想い出のマリヅァ」(La Maritza)・「レナウン・ワンサカ娘](1965年放映日本TVCM挿入歌))付。2012年6月から2013年11月迄約1年半に亘り定期的に部分発売されるコレクション・ボックス・セット。(予約購入/Amazon: 第1回は5枚組/10枚組2種類のボックス・セット、続いて複数枚定期発送/販売。「サバの女王」(予約購入)で完結。
    No.1) 2012.6月発売(5枚組/10枚組): I. 5枚組(コレクション用ボックス付) - Ta Sorcière Bien aimée(1976)(日本盤: 愛のひとりごと) / Sympathie(1971)(日本盤: 哀しみのシンフォニー) / Je Chante Pour Swanee(1973)(スワニーのために)/ Sylvie à l'Olympia 1970 (1970年9月オランピア劇場公演ライヴ)(日本盤: シルヴィ・イン・パースンSylvie in person 1970) / Canta En Espagnol(1967スペイン盤スペイン語で歌う) II. 10枚組(コレクション用ボックス付) - 5CD(SYLVIE(1963)/ Twiste et Chante(1963) / Sylvie à Nashville(1964) / A Gift wrapped from Paris(1965) / Il y a deux filles en moi(1966)) + 5CD(Ta Sorcière Bien aimée(1976)(日本盤: 愛のひとりごと) / Sympathie(1971/日本盤: 哀しみのシンフォニー) / Je Chante Pour Swanee(1973/スワニーのために)/ Sylvie A l'Olympia 1970 (1970年9月オランピア劇場公演ライヴ/日本盤: シルヴィ・イン・パースン(Sylvie in person 1970)
    No.2)2012/6月: 2mn 35 du bonheur (1967/2分35秒のしあわせ),/ Bienvenue Solitude(1980/ 日本盤:モナムール)
    No.3) 2012/7月: Comme un Garçon(1967/日本盤:シャンソン・イエイエの女王)/ Déraisonnable (1979/日本盤:愛のエッセー)
    No.4) 2012/9月: La Maritza (1968/ 日本盤:パリの妖精)/ De choses et d'autres (1982)
    No.5) 2012.11月発売: A Doppia Coppia(1969イタリアTVショウ)/ Punto E Basta(1975イタリアTVショウ),/ Aime-Moi(1970/愛の経験) / A L'Olympia 1972(オランピア劇場公演ライヴ)
    No.6)2012年12月20日: Sylvie à Tokyo(1971東京公演ライヴ/bonus日本語5曲)/ Live in Japan(1973東京公演ライヴ)
    No.7)2013年1月: J'ai un Problème (1973/ 危険な関係) / Virage(1986 – RCA在籍最終アルバム)
    No.8)2013年2月: Shang Shang A Lang (1974)/ Palais des Congrès Live (1975/パレ・デ・コングレ公演ライヴ)
    No.9)2013年3月: Tout au fond des tiroirs (1975 TV show) / Dancing Star (1977 TV show)
    No.10)2013年4月: Qu'est-ce Qui Fait Pleurer Les Blondes ? (1976/ そよ風のブロンド),/ Des Heures De Désir (1984)
    No.11)2013年5月: Georges (1977) / Palais Des Congrès Live (1977/パレ・デ・コングレ公演ライヴ)
    No.12)2013年6月: Fantaisie (1978)/ Live In Las Vegas (1982/ライヴ・イン・ラスヴェガス)
    No.13) 2013年7月:I Don't Want The Night To End (1979/ 日本盤:アメリカン・ナイト)/ Made in USA (1985/ 日本盤:Double Exposureダブル・エクスポジャー)
    No.14)2013年9月: Ça Va Mal (1981/ 愛はジダンの香り/ Palais Des Sports Live (1981/パレ・デ・スポール公演ライヴ)
    No.15) 2013年10月:Danse Ta Vie (1983/ フランシュ・ダンス)/ Palais Des Congrès Live (1983/パレ・デ・コングレ公演ライヴ)
    No.16)2013年7月31日(予約購入): La Reine De Saba (1974/日本企画盤:サバの女王)
  6. 2013.1.16: あなたのとりこ〜 シルヴィ・バルタン プレミアム・コレクション (CD5枚組 通販限定商品)
    人気の高いアルバム5タイトル(SYLVIE/シルヴィ・プルミエ・Sylvie à Nashville/夢のアイドル・2mn 35 du bonheur/パリより愛をこめて・Comme un Garçon/シャンソン・イエイエの女王・La Maritza/パリの妖精)に、「悪女」「悲しき雨音」「サバの女王」「恋はみずいろ」「別れの朝」「愛の讃歌」「枯葉」などの日本でも馴染み深いシャンソン・洋楽・ポップスの名曲カヴァーをボーナス・トラックとして各ディスクに収録。全91曲。曲目解説、フランス語・英語歌詞&対訳付。
  1. 2012-2013: The Ultimate Collection (Coffret des années RCA rééditions/41CD)
    (フランス盤「The Ultimate Collection」(CD41枚組の日本単品発売。フランス発売後に順次発売。本コレクションは膨大なボーナス曲付き。)
    1) 2012.10.7:SYLVIE(邦題:プルミエ)、Twiste et Chante(ドゥジューム)、Sylvie A Nashville(夢のアイドル)、Gift Wrapped from Paris (パリからの贈物)、Il y a deux filles en moi(恋を歌う)
    2) 2013.2.6:Canta En Espanol(スペイン語で歌う)、2'35 de Bonheur(パリより愛をこめて)、Comme un Garçon(シャンソン・イエイエの女王)、La Maritza(パリの妖精)、A Doppia Coppia(1969年イタリアTVショウ番組〜ドッピア・コッピア)
    3) 2013.3.13:Sylvie A Tokyo 1971(シルヴィ・ヴァルタン・オン・ステージ 1971年5月東京公演。ボーナス日本語5曲:「恋人時代」(日本語オリジナル曲)、「女の時間」(日本語オリジナル曲)、「レナウン・ワンサカ娘」(1965年TVCM曲)、「わたしのすべて」、「想い出のマリッヅア」)、Sylvie A L'Olympia 1970(オランピア劇場公演/ シルヴィ・ヴァルタン・イン・パースン 1970)、Aime-Moi(1970/ 愛の経験)、Sympathie(1972/ 哀しみのシンフォニー)、Sylvie Vartan A L'Olympia(オランピア劇場公演/ シルヴィ・ヴァルタン・イン・パースン 1972)
    4) 2013.5.15:Live in Japan 1973(シルヴィ・ヴァルタン・ライヴ・イン・ジャパン 1973)、La Reine de Saba(1974/ サバの女王)、Shang Shang a Lang(哀しみのアヴァンチュール)、Je Chante Pour Swanee(夢のおはなし〜TV番組スワニーのために)、J'ai un Problème(1973/ 危険な関係)
    5) 2013.6.19:Palais des Congrès 1975(パリ・パレ・デ・コングレ公演)、Show Sylvie Vartan 1975(フランスTVショウ番組)、Punto E Basta 1975(イタリアTVショウ番組)、Qu'est-ce qui fait pleurer les blondes 1976(そよ風のブロンド)、Ta sorcière bien aimee 1976(愛のひとりごと)
    6) 2013.7.17:Sylvie Vartan au Palais des Congres 1978(パレ・デ・コングレのシルヴィ・バルタン/2枚組ライヴ)、Georges 1977(哀しみの祈り)、Fantaisie 1978(恋のスーパーギャル)、Deraisonnable 1979(愛のエッセイ)、Dancing Star 1977(フランスTVショウ番組〜ダンシング・スター)
    7) 2013.8.14:I don't want the night to end 1979(アメリカン・ナイト)、Palais des Sports 1981(美しき魔術/パレ・デ・スポール公演/2枚組)、Des choses et d'autres 1982(愛のあれこれ)、Bienvenu Solitude 1980(モナムール)、Ça va mal 1981(愛はジダンの香り)
    8) 2013.9.18:Live in Las Vegas 1982 (1982年ライヴ・イン・ラスヴェガス/MGMホテル公演)、Dans Ta Vie 1983(フランシュダンス)、Palais Des Congrès de Paris 1983 (シルヴィ・バルタン・アット・パレ・デ・コングレ〜1983年9月〜11月、11週間ノンストップ・ロングラン・パリ公演)、Des Heures De Désir 1984(愛のひととき)、Made In USA 1985 (日本盤:ダブルエクスポジャー/Double Exposure)(全曲英語)、Virage 1986 (ターン)(RCA時代最終アルバム)
  1. 2015.11: Les Années RCA l'Intégrale des SP et EP / 1961-1986 - Un coffret de 85CD
    (RCA時代 1961/1986 シングル盤レプリカ復刻全集 - CD85枚組コレクション・ボックス)

DVD

※ ライブ・アルバムを除く

  1. 2011.11.12: SYLVIE VARTAN, Les années RCA 1961-1983(2枚組 - ニュース等のドキュメント含む)
    2018.09.26: SYLVIE RACONTE VARTAN (Documentary)(2015年9月30日フランスTV/Paris Premiere放送の1時間番組のDVD化。シルヴィ・ヴァルタンの半世紀にわたるキャリアを綴ったドキュメンタリー。)

映画

1950年5歳の時、フランス移住前、ブルガリアで父親の友人である映画監督の映画に出演。出演時間は短いものの、この経験は幼心に大変に大きく、シルヴィは俳優を夢見るようになる。しかし前述の通り、偶然の歌手デビューを果たし若者のアイドルとなり、1970年以降大スターとなる。自身の夢が叶ったという最新の主演映画、1994年ジャン=クロード・ブリソー (Jean-Claude Brisseau) 監督「L'Ange Noir(黒衣の天使)」(邦題「甘い媚薬」)は賛否両論の物議を醸した。1995年1月カジノ・ド・パリ公演後の1995年6月、横浜フランス映画祭のフランス代表団長を務めて来日。本作制作中にブリソー監督がフランスのTVや雑誌インタヴューで明かしたのは、「シェルブールの雨傘」1964年、「気狂いピエロ」1965年、「城の生活」(La Vie de Château) 1966年の台本は当初シルヴィに届いていたが、歌手として大成功していたシルヴィの周辺のガードが堅く結局本人には届かずじまいだったという。ゴダールが当時シルヴィ・ヴァルタンに興味を示していた事は明らかで、「恋人のいる時間」1964年で彼女のデビュー曲「Quand le film est triste(悲しきスクリーン)」が流れ、「男性・女性」1966年では彼女のポスターが貼られているのが見える。シルヴィ自身は映画への興味は尽きない半面、良い作品に出合わず映画出演は少ない。「映画は好きだが何でも演じはしない」と話す。

主演映画

  • 「PATATE」 1964年フランス公開 (2015年10月DVD発売)
  • 「L'Ange Noir(黒衣の天使)」 1994年フランス公開(邦題「甘い媚薬」)
    同年11月、『ELLE』11月7日号、『Cahiers du Cinéma』11月号の表紙を飾る。

書籍(フランスで出版)

  1. 1981年10月『Si Je Chante...(私が歌うのは…)』Filipacchi-Edition N°1
    自叙伝写真集、1980年11月にジョニー・アリディと離婚した翌年1981年3月ロス・アンゼルスにて脱稿。10万部のベストセラーとなる。間もなく、1981年3月末、シルヴィは日本で再婚相手となるトニー・スコッティに出会う。
  2. 1985年『Beauty Book』Editions N°1
    フィットネス本、運動・食事・化粧・身だしなみ・シャンプーの仕方まで、シルヴィの暮らしを公開しながら美の秘密を解く。写真入り実用書。1987年文庫本で再版される。
  3. 1996年『Sylvie Vartan』Editions Vade Retro
    自伝写真集、正方形の大型豪華本、表紙はピエール & ジル作
  4. 2004年『Sylvie Vartan entre l'ombre et la lumière(影と光の間で)』:XO Editions
    自叙伝、2004年エッセー部門第1位にランクされたベストセラーで30万部の売上。2005年2月文庫本発売。本作はシルヴィが敬愛する品位ある果敢な家族、祖父母と両親と兄へのオマージュである、そして2人の子供や孫達へ遺すものであり、また約40年間を共に歩んで来た世界中のファンと分かち合う「回想録」。1944年8月15日、聖母被昇天の祝日、両親の疎開先の隣町イスクレッツのクリニックでの誕生秘話からソフィアの文化的な祖父の家での幼少時代、パリへの亡命、20歳の結婚と歌手生活、1990年ソフィア初公演、1998年ブルガリアから養女を迎える迄の長い日々そして2001年兄エディを失った悲しみ迄を綴る。「頑なに人生を信じる一人の女性である今の自分を形成したのは、幼少時の最初の数年を過ごしたソフィアの祖父の家での生活である。そこで私は自分が好きなもの・尊ぶもの全てを学んだ。」 また、偶然のレコード・デビュー直後、歌手になる事に失望を抱く両親をよそに、バンス・テイラーのパリ・オランピア劇場公演の第一部出演を依頼されて初めて白い舞台衣装を(自分のお金で)作って歌うが、「その大変に重要な出来事の前夜に」シルヴィは呟く「私は一人のリセエンヌでしかない、そして亡命、根絶、喪失によって深く心に刻印されたバルカン半島出身の一家族の中では最もフランス人に近い。最もフランス人に近い、そう、私はリヨン駅に着いた時にたった8才だったのだから。たぶんその事が他の皆と同じように屈託のない軽率な少女だという幻想を観客に与えるのかもしれない。現実は、私は心の内に両親の重大さを持っていて、非常に道徳的で厳格な教育のその賜物なのだ。私の両親は、己の勇気と他人の尊重から成るその道徳によって、フランスでゼロから私達の生活を築けたのだ。17才で、私はまだ母の教えや勧めが染み込んでいて、それらを問い直すつもりは全くない。」 後記に「幼少時に生じたアーティストへの願望とそれに対する或る膨大なエネルギーは一体何処から来るのか長く自問したが、それは不思議な非現実・際限の無い夢幻境への憧れだった。そう、私の意図は仮装して演じること、生涯」
  5. 2004年『SYLVIE VARTAN, revue de mode(シルヴィ・ヴァルタンとモード)』:Paris Musées, 2004 (Les musées de la ville de Paris)
    衣裳展カタログ、2004年10月16日から2005年2月27日までMusée Galliera ガリエラ美術館(パリ市モード博物館)が開催したシルヴィ・ヴァルタンのモード展で発行。ヨーロッパ的な深紅の装丁がされた豪華本。表紙デザインは仏誌ELLEがシルヴィ自身のモード・コレクションCreation Sylvie Vartanを紹介した1965年8月5日号No.1024の表紙(水色の夏の帽子姿の写真)が基。シルヴィ本人や関係者のインタヴューや写真掲載。Marc Bohan (Dior) の証言を引用する。シルヴィと初めて出会った1967年頃(一人息子ダヴィドが誕生した頃)の思い出の一つから始まる。「シルヴィがディオールの店にやって来た、ディオールでもそれは子供服のBaby Diorの方で息子へ白いマントを買うためだった、少しシャイな感じで私に意見を求めた」ディオールとのコラボレーションが始まった頃である。展覧会は1960年代から1990年代までの約80点のオートクチュール衣装に2004年9月パレ・デ・コングレ公演の衣装デッサンも含め、「ステージ衣装」「プレタポルテ・シルヴィ・ヴァルタン」「おしゃれ着」「60年代 - 90年代」「カバー・ガールのシルヴィ」の構成で、1965年のウエディング・ドレスなどパーソナル衣装、雑誌の表紙、写真、ポスター、レコード・ジャケットまで展示する。激しいステージ活動から現存せず展示に至らないものもある。
  6. 2004年『Nos tendres années avec...SYLVIE VARTAN(シルヴィ・ヴァルタンと過ごした若き日)』:Editions des Etannets
    ファン自費出版の回想記。世代の異なる15名の熱狂的追っかけファンが公演へ向かう道中での偶然の出会いなどを綴った体験談。歓喜や落胆などファンの感動と笑いの交流の中に女性シルヴィが見える。厚さ1.2cm/B5版。表紙は1968年パリ・オランピア劇場公演で歌うYSLの白いミニ・ドレスのシルヴィ。本作の全売上金はAssociation Sylvie Vartan pour la Bulgarie(後述)へ寄付される。
  7. 2007年『Sylvie Vartan dans la lumière(光の中のシルヴィ・ヴァルタン)』XO Editions (25x20x3.5cm)
    ステージ活動集大成写真集、1960年代から2007年迄のステージ活動の全データを写真と共に綴った重いカラフルな豪華本。2004年自叙伝は誕生当時の時代背景や逸話から生立ち・私的な部分が主軸だが、本作はステージ活動が本領のアーティストの40年を超えるキャリアを辿るもう一方の重要な記録。トップ・ページに「DANS LA LUMIERE, A ma mère」(「光の中で」 - 母へ)と記している。シルヴィは同年6月に母を亡くしている。
  8. 2008年『Sylvie Vartan Jour après Jour』:Editions Didier Carpentier
    キャリア日誌とも呼べる自伝写真集、出生時間から2008年迄の全キャリアの事細かな記録をエピソードと綴ったブルー・グレイの写真集。最終頁は1991年パレ・デ・スポール公演アンコールの写真で、カジュアルな白のスーツにテニス・シューズのシルヴィ。雑誌インタヴューでのシルヴィの言葉が引用されている。「私は恵まれていて本当に沢山の愛を得た。人々とこれほど触れ合うメチエ(職業)はそうない。それは腹の底から交流する身体的なものだ。その消えることのない熱で私は一杯だ。」「私は悲しみや幸せで死んでしまわないために歌う。塞ぎ込まないためにステージヘ・観客の熱意へと向かう。それはスラヴ精神なのかもしれない。私は中途半端な人間ではない。ステージに上がる度に深淵の縁に立っているような感覚がある。」
  9. 2011年10月『Irrésistiblement Sylvie Vartan』:Editions Ipanema
    豪華写真集、著者は1996年の写真集同様Camilio Daccache。こちらもシルヴィ・ヴァルタンが自身のコレクションから初めて公開する写真等の資料も掲載する。2011年11月にステージ・キャリア50周年を迎えるシルヴィ・ヴァルタン、相変わらずコンスタントに新譜制作をし国内外でステージ活動を続ける姿を私生活・舞台裏・ステージから捉える。
  10. 2012年11月8日 『"Mot à mot" Sylvie Vartan』("一語一語" シルヴィ・ヴァルタン): LE CHERCHE MIDI
    手軽な辞書スタイルで作られたシルヴィ・ヴァルタンの本、自叙伝(265ページ/22x14x2cm)。A-Z迄アルファベットの一語からシルヴィが即座に閃いたり思い起こす言葉・一語を基にシルヴィの思いが綴られた一冊。自発的に語った様々な事柄は公私に亘りシルヴィの歌のレパートリーから未公開の逸話や故国ブルガリアから家族に纏わる話や忘れていた思い出まで奥深い。MはMaman、最愛の母 ≪彼女が亡くなるまで子供のままでいた≫。RはRythme、リズムある生涯のどの時期もシルヴィのリズムがあった、≪子供の頃は子守唄、少女時代はジャズ、青春時代はロック、大人になってもロックそしてソウルとボサノバ、老年期は、それはメドレー。≫ 2014年4月ブルガリアで翻訳版刊行。
  11. 2015年5月8日 『Sylvie Vartan, une histoire d'amour』 (by Solène Haddad) : City
  12. 2015年11月5日 『LE STYLE VARTAN』 (by Eric & Christian Cazalot with Sylvie Vartan) : edition de La Martiniere
    シルヴィ・ヴァルタンのモード写真集。シルヴィは60年代フランスでいち早く世界的なオートクチュールのステージ衣装を着た女性シンガー。また、デビュー以来「ELLE」や「VOGUE」などの表紙を飾ってきた。ブランクなしで半世紀を超えて第一線で活躍する彼女のキャリアをそのモード遍歴で描く。シルヴィ・ヴァルタンとモード界・写真界・音楽界関係者のインタヴュー収録。
  13. 2016年4月21日 『Maman...』 (Sylvie Vartan) : XO editions
    シルヴィ・ヴァルタンの自著 - 敬愛する母親(2007年6月逝去)の回想。
  14. 2017年5月10日 『Maman...』(Poche/Pocket book) (Sylvie Vartan) : J'ai Lu
    シルヴィ・ヴァルタンの自著 - 敬愛する母親の回想。文庫本
  15. 2017年9月7日 『SYLVIE VARTAN La plus belle pour aller chanter』(Complete Discography) (by Benoit Cachin) : Grund
    シルヴィ・ヴァルタン・ディスコグラフィ(シルヴィ・ヴァルタン完全作品目録/64昨品:ジャケット写真、ヴァルタンへのロング・インタヴューを網羅)

受賞・受章

  • フランス政府より、1985年に芸術文化勲章のシュヴァリエを、2011年に同勲章のコマンドゥールを授与される。国家功労勲章は1987年にシュヴァリエ、2006年にはオフィシエに昇級。レジオンドヌール勲章は1998年にシュヴァリエ、2009年にオフィシエに昇級。
  • ブルガリア政府より、1996年にMadaraマダラ勲章のシュヴァリエ、2004年にStara Plaminaスタラ・プラニナ勲章、また2011年にはパリにてブルガリア文化大臣から同国勲章Saint Cyrille et Methode et Le Siecle d'orを授与される。
    2014年4月22日、ソフィアにて、シルヴィ・ヴァルタンが1990年に設立した「シルヴィ・ヴァルタン・ブルガリア救済基金」が病院へ寄贈したばかりの新生児医療機器(5万ユーロ)他その貢献活動に対しソフィア名誉市民の称号が授与される。
  • 2005年にWHOの親善大使。
  • 1970年、25e Nuit du CinémaでTriumph des Variétés(ヴァリエテの最高賞)を受賞。

脚注

参考文献

  • Sylvie Vartan dans la lumière, autobiography, Xo - 2007 ISBN 978-2-84563-337-7
  • Entre l'ombre et la lumière, autobiography, Xo - 2004, ISBN 2-84563-195-2
  • Sylvie Vartan, by Camilio Daccache and Isabelle Salmon, Vaderetro - 1996, ISBN 2-909828-41-7
  • Sylvie Vartan, une fille de l'Est, by Eric Cazalot and Christian Cazalot, Express Prelude & Fugue - 2003, ISBN 2-84343-163-8
  • Sylvie Vartan, Revue de mode, Paris-Musées - 2004, ISBN 2-87900-847-6
  • Dictionnaire des chansons de Sylvie Vartan, by Benoît Cachin, Tournon - 2005, ISBN 2-914237-34-0

外部リンク

  • Sylvie Vartan official site 公式サイト(パリ・フランス / フランス語)
  • Sylvie Vartan official facebook facebook Sylvie Vartan公式ページ(フランス語)
  • Association Sylvie Vartan pour la Bulgarie シルヴィ・ヴァルタン・プール・ブルガリィ(シルヴィ・ヴァルタン・ブルガリア人道支援団体)公式サイト(フランス / フランス語・英語)
  • Association Sylvie Vartan pour la Bulgarie facebook公式ページ(シルヴィ・ヴァルタン・ブルガリア人道支援団体)(フランス語)

シルヴィ・ヴァルタン


THE END (NANA starring MIKA NAKASHIMAのアルバム)


THE END (NANA starring MIKA NAKASHIMAのアルバム)


THE END』(ジ・エンド)は、中島美嘉が NANA starring MIKA NAKASHIMA 名義で、2006年12月13日にリリースしたアルバム。劇場版『NANA』は『NANA2』で完結となっており、NANA starring MIKA NAKASHIMAとしては最初で最後のアルバムである。

解説

  • シングル化された「一色」、「GLAMOROUS SKY」の作詞は『NANA』の作者である矢沢あいが行っている。

収録曲

  1. 一色 [5:21]
    • 作詞:AI YAZAWA、作曲:TAKURO、編曲:TAKURO・Masahide Sakuma
    • 中島の20thシングル。劇場版『NANA2』主題歌。中島のアルバム『YES』には収録されず、唯一このアルバムに収録されている。後に、ベスト・アルバム「TEARS」(2014年)にも収録されている。
  2. EYES FOR THE MOON [3:39]
    • 作詞・作曲:TAKURO、編曲:TAKURO・Masahide Sakuma
    • 「一色」のカップリング。劇場版『NANA2』劇中歌。劇中ではBLACK STONESのデビューシングルになっている。
  3. GLAMOROUS SKY [4:26]
    • 作詞:AI YAZAWA、作曲:HYDE、編曲:HYDE・KAZ
    • 中島の16thシングル。劇場版『NANA』主題歌。オリジナル・アルバムとしては初収録。ベスト・アルバム「BEST」(2005年)、「DEARS」(2014年)にも収録されている。
  4. BLOWING OUT [3:27]
    • 作詞:Lori Fine・中島美嘉、作曲:Lori Fine、編曲:根岸孝旨
    • アルバム・オリジナル曲。全11曲中、中島本人が唯一楽曲制作(作詞)に参加している。歌詞は1番と最後のサビが英語、2番とCメロが日本語である。また、日本語は1番の英語の発音に近い言葉を選んで作詞したと思われる。"女神捨てる"や"認めない"など、面白い曲となっている。
  5. MY MEDICINE [3:37]
    • 作詞:Lori Fine、作曲:南ヤスヒロ、編曲:根岸孝旨
    • 劇場版『NANA』劇中歌。
  6. NEGLEST MIND [3:57]
    • 作詞:mmm.31f.jp、作曲:大野宏明、編曲:土屋昌巳
    • アルバム・オリジナル曲。
  7. REAL WORLD [4:08]
    • 作詞:mmm.31f.jp、作曲:秋山光良、編曲:土屋昌巳
    • アルバム・オリジナル曲。
  8. ISOLATION [4:42]
    • 作詞:mmm.31f.jp、作曲:南ヤスヒロ、編曲:根岸孝旨
    • 「GLAMOROUS SKY」のカップリング。カネボウ「KATE」CMソング。
  9. BLOOD [4:39]
    • 作詞:mmm.31f.jp、作曲:古賀繁一、編曲:根岸孝旨
    • 同じく「GLAMOROUS SKY」のカップリングであり、「KATE」CMソング。
  10. 一色 (ALTAnative) [5:06]
    • 作詞:AI YAZAWA、作曲:TAKURO、編曲:TAKURO・Masahide Sakuma
    • 「一色」をロックバラードからパンクロック風にアレンジしたバージョン。劇場版『NANA2』では、劇中にこの曲を新宿スタジオアルタ前で演奏するシーンがある。サブタイトルの「ALTAnative」は英語の「alternative」と、スタジオアルタの「ALTA」を掛け合わせた造語である。
  11. MY WAY [4:19]
    • 作詞:Paul Anka・Lucien Marie Antoine Thibaut、作曲:Claude Francois・Jacques Revaux、編曲:根岸孝旨
    • セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスの『トゥー・ファースト・トゥー・リブ』収録のカヴァー曲。中島のカヴァー・アルバム「ずっと好きだった〜ALL MY COVERS〜」(2014年)にも収録されている。

THE END (NANA starring MIKA NAKASHIMAのアルバム)


コレージュ・ド・フランス


コレージュ・ド・フランス


コレージュ・ド・フランスCollège de France、略称 : CdF)は、フランス共和国における学問・教育の頂点に位置する国立の特別高等教育機関(グランテタブリスマン)である。「数学・物理・自然科学」、「哲学・社会学」、「歴史・文献学・考古学」、「医学・生物学」のなど様々な部門を持ち、世界で最も優れた学術研究機関の一つとされる。パリ5区カルチェ・ラタン、マルスロ=ベルトラン広場にある。パリ人文科学研究大学(PSL)の加盟機関である。

講義自体は公開されており、一般の人々が受講することができるため、形式的には「市民大学」的なものとなっている。試験や学位授与などもない。約50の講座があり、教授はフランス学士院とコレージュ教授団の推薦により任命される。

教授に選任されることはフランスの当該領域における最高の権威として位置づけられることを意味する。事実、当校の教授は年間十数回程度の講義以外の義務を負わず、テーマの選定を含め学問上の一切の自由が保障されており、報酬も高額である。

沿革

1530年にフランス初のルネサンス君主といわれるフランソワ1世によって創設された「コレージュ・ロワイヤル(Collège Royal、王立教授団)」に由来する。スコラ学の牙城であったパリ大学(ソルボンヌ)に対し、自由な学問の研究機関として啓蒙的な役割を果たした。

設立当時の教授団はヘブライ語、古代ギリシア語、ラテン語、数学の教員6人であった(当時、ヘブライ語、ギリシア語を学ぶことは聖書の原典批判に通じるとして非難を受けることがあった)。

1870年にコレージュ・ド・フランスとなった。

教授に就任した主な人物

文学

  • アダム・ミツキェヴィチ(Adam Mickiewicz)
  • ポール・ヴァレリー(Paul Valéry)
  • イヴ・ボヌフォワ(Yves Bonnefoy)
  • ジェラール・ジュネット(Gérard Genette)
  • ロラン・バルト(Roland Barthes)
  • 加藤周一(招聘教授)

哲学

  • アンリ・ベルクソン(Henri Bergson)
  • モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)
  • ミシェル・フーコー(Michel Foucault)
  • ジャック・ブーヴレス(Jacques Bouveresse)
  • イアン・ハッキング(Ian Hacking)
  • エティエンヌ・ジルソン(Étienne Gilson)

心理学

  • ピエール・ジャネ(Pierre Janet)

美学・美術史

  • アンドレ・シャステル(André Chastel)
  • マルク・フュマロリ(Marc Fumaroli)
  • 高階秀爾(招聘教授)

音楽

  • ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez)

歴史学

  • ジャン=フランソワ・シャンポリオン(Jean-François Champollion)
  • フェルナン・ブローデル(Fernand Braudel)
  • リュシアン・フェーヴル(Lucien Febvre)
  • ロジェ・ディオン(Roger Dion)
  • ジュール・ミシュレ(Jules Michelet)
  • ジョルジュ・デュビー(Georges Duby)
  • ジャン=ピエール・ヴェルナン(Jean-Pierre Vernant)
  • ジュール・オッペール(Jules Oppert)

人類学

  • クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)
  • マーティン・ピックフォード(Martin Pickford)

社会学

  • ピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu)
  • ピエール・ロザンヴァロン(Pierre Rosanvallon)
  • レイモン・アロン(Raymond Aron)

経済学

  • ミシェル・シュヴァリエ(Michel Chevalier)
  • シャルル・ジッド(Charles Gide)

医学・生物学

  • フランソワ・ジャコブ(Francois Jacob)
  • アラン・ベルトス(Alain Berthoz)
  • ジャック・リュシアン・モノー(Jacques Lucien Monod)
  • フィリップ・サンソネッティ(Philippe Sansonetti)

数学

  • ジャン=ピエール・セール(Jean-Pierre Serre)
  • ピエール=ルイ・リオン(Pierre-Louis Lions)
  • アラン・コンヌ(Alain Connes)
  • ピエール=ルイ・リオン(Pierre-Louis Lions)
  • ドン・ザギエ(Don Zagier)
  • ジャン=クリストフ・ヨッコス(Jean-Christophe Yoccoz)
  • ジャック・アダマール(Jacques Hadamard)
  • カミーユ・ジョルダン(Camille Jordan)

物理学

  • フレデリック・ジョリオ=キュリー(Frédéric Joliot-Curie)
  • アンドレ=マリ・アンペール(Andre-Marie Ampère)
  • ピエール=ジル・ド・ジェンヌ(Pierre-Gilles de Gennes)
  • クロード・コーエン=タヌージ(Claude Cohen-Tannoudji)
  • セルジュ・アロシュ(Serge Haroche)

天文学

  • グザビエ・ル・ピション(Xavier Le Pichon)
  • ジャック・フィリップ・マリー・ビネ(Jacques Philippe Marie Binet)

外部リンク

  • 公式ウェブサイト (フランス語)

コレージュ・ド・フランス


つるのうた3


つるのうた3


つるのうた3』は、2015年5月27日にポニーキャニオンから発売されたつるの剛士のカバーアルバムである。

概要

本作でアルバムは5枚目となるが、カバーアルバムとしては4枚目となる(童謡などを歌ったミニアルバムは除く)。

発売日は、つるのの40歳の誕生日の翌日となっている。

「もう少し」は、テレビ朝日で放送されている『musicる TV』内の企画で一般募集された編曲家と製作された楽曲。

「銃爪」では、世良公則とのデュエットになっているが、TBSで放送されている『UTAGE! スペシャル』(2014年9月19日放送)内で一緒に歌唱したのをきっかけにコラボレーションをオファーした。

Turnbull & Asser

収録楽曲

CD

  1. 雪の華/中島美嘉
    作詞:Satomi、作曲:松本良喜、編曲:中村圭作、ストリングスレンジ:真部裕
  2. GLORIA/ZIGGY
    作詞/作曲:森重樹一、編曲:若菜拓馬
  3. 悲しみにさよなら/安全地帯
    作詞:松井五郎、作曲:玉置浩二、編曲:中村圭作
  4. 星のラブレター/THE BOOM
    作詞/作曲:MIYA、編曲:若菜拓馬
  5. 千の風になって/秋川雅史
    作詞:不詳(日本語詞:新井満)、作曲:新井満、編曲:若菜拓馬
  6. PIECE OF MY WISH/今井美樹
    作詞:岩里祐穂、作曲:上田知華、編曲:中村圭作
  7. 君という名の翼/コブクロ
    作詞/作曲:小渕健太郎、編曲:山本康太
  8. もう少し/Kiroro
    作詞/作曲:玉城千春、編曲:山本康太
  9. fragile/Every Little Thing
    作詞:持田香織、作曲:菊池一仁、編曲:若菜拓馬
  10. 本当の恋/May J.
    作詞:渡辺なつみ、作曲:大島こうすけ、編曲:中村圭作、ストリングスレンジ:真部裕
  11. 銃爪 feat.世良公則
    作詞/作曲:世良公則、編曲:若菜拓馬
  12. MY WAY
    作詞:Lucien Marie Antoine、作曲:Claude Francois & Jacques Revaux、訳詞:中島潤、片桐和子、編曲:若菜拓馬

DVD

  1. -Studio Live- 2015.3.26@ポニーキャニオン代々木スタジオ
    1. 雪の華
    2. fragile
    3. GLORIA

脚注

外部リンク

  • ポニーキャニオン つるの剛士特設サイト


つるのうた3


フランス元帥


フランス元帥


フランス元帥(フランスげんすい、フランス語: Maréchal de France, 複数形: Maréchaux de France)は、フランス軍の軍人に与えられる称号。

現在、1972年7月13日の法律第4条には「フランス陸軍元帥及びフランス海軍元帥の称号は、国家より与えられる栄誉である」と定められており、個別の階級でなく名誉称号や栄典にあたる。そのため、最終階級として元帥を称することはない。ただし、個別の階級章は存在する。

また、他国の元帥位が原則として大将からの昇格であるのに対し、特別な武功を立てた将校に授与されると規定されているため、例として第一次世界大戦時の総司令官であったフェルディナン・フォッシュは戦功を称えられフランス元帥に叙されたが、最終階級は中将であった。

1185年に栄典が創設されて以来、342人の将校がフランス元帥に叙された。また、そのうち6人は、フランス大元帥というさらに高位の栄典を授与された。

陸軍大将が五つ星の臂章をつけるのに対して、フランス元帥は七つ星の臂章を身につけ、さらに、元帥位のもう一つの象徴である星をちりばめた青いビロード張りの元帥杖を授与される。そこにはこう銘記されている「Terror belli, decus pacis」(戦時には恐るべく、平時には輝かしく)と。

歴史

君主制の時代

初めの頃、フランス元帥の役割は王の馬を管理するだけだった。13世紀初頭、フランス元帥はコンスタブル(騎兵隊)隷下として軍に組織された。軍の栄典として初めて王からフランス元帥を授与された人物は、フィリップ2世によりMezの領主に任命されたアルベリク・クレマン(Gauthier III de Nemours)で、1185年のことだった。

1624年にリシュリューがコンスタブル職を廃止した後は、フランス元帥が軍の最高司令官となった。元帥の中でもさらに王の信任を受けた人物は、「国王の陣営と軍隊の大元帥」(フランス大元帥)を授与されることもあった。

それらの任務に加えて、国家憲兵隊の前身である「maréchaussee」(近衛騎兵隊)への国の命令を管理する任務も遂行した(この国の命令は、元帥の長官の仲介者を通して通達された)。

この栄典がいったん廃止される1793年までにフランス元帥になった人物は263人いた。

フランス革命、帝政から19世紀にかけて

元帥号は、1793年2月21日に国民公会により廃止された。

1804年5月18日のfr:sénatus-consulte (上院、元老院の法令)は「帝国元帥」を規定した。フランス第一帝政下で「フランス帝国の元帥」について全ての面で明確にされた。

フランス復古王政では、帝国元帥はフランス元帥になる。

1839年8月4日の法律では、フランス元帥の定員は平時の6人以上であり、戦時で12人に増員できることを規定している。平時の定員を超えている場合は、さらに3人の欠員を昇進させることができる。

フランス第二帝政下では、ナポレオン3世は称号を変えなかった。フランス元帥は元老院の正規のメンバーとなった。

フランス第三共和政下では、元帥の職権が帝政を強くイメージさせるため、第一次世界大戦以前にフランス元帥が授与されることはなかった。最後の元帥フランシス・セルタン・ドゥ・カンロベール(Francois Certain de Canrobert)は1895年に死去した。

フランス元帥よりさらに権威のあるフランス大元帥は19世紀まで存在した。

20世紀

第一次世界大戦中に元帥の権威が復元された。最後のフランス元帥2人は、1967年に亡くなったアルフォンス・ジュアン(Alphonse Juin)、および1970年に死亡したマリー・ピエール・ケーニグ(Marie-Pierre Kœnig)である。

フランス元帥位に昇格する特別な要件はないが軍隊を指揮して勝利する事が慣例となっている。

フランス元帥位は、20世紀まで法律ではなく命令を通して授与された。ただし、法律は事前認可の命令だった。こうして、ジャン・ド・ラトル・ド・タシニー(Jean de Lattre de Tassigny)は元帥位に昇格した。同日の法令の第2条では、陸軍大将のジャン・ド・ラトル・ド・タシニーに死後追号(titre posthume)としてフランス元帥位の授与を政府は許可したとある。同様に、フィリップ・ルクレールもフランス元帥の位階に昇格した。

フランスの公式文書は大文字で統一されている。(「Maréchal de France」や「maréchal de France」)

元帥の特権

元帥は勤務費として9000フランを個人で受け取る。この金額は1960年8月2日の法令第1条で定められており、現在も有効である。

第二次世界大戦中に叙任された元帥および将軍は、オテル・デ・ザンヴァリッドに埋葬される権利があると、1929年3月27日の法律で定められている。

年金の補助に関する規定(1929年4月14日の法律)があり、特別な元帥だったフォッシュの未亡人(1929年3月29日の法律)とラトル・ド・タシニーの未亡人(1952年7月11日の法律)に与えられた。もう一つの法令(1967年12月28日)では、アルフォンス・ジュアン元帥の未亡人本人から相続税(フランス語版)が免除された。

Turnbull & Asser

カペー朝

フィリップ2世(1180年 - 1223年)

  • アルベリク・クレマン(Alberic Clement)(? - 1191年)、最初の授与。授与年:1190年
  • アンリ1世・クレマン(Henri Ier Clement)(1170年 - 1214年)、通称「Petit marechal」。ル・メ(Le Mez)およびアルジャンタン領主。授与年:1191年
  • ギヨーム・ド・ブルネル(Guillaume de Bournel)(? - 1195年)、授与年:1192年
  • ニヴロン・ダラス(Nivelon d'Arras)(? - 1204年)、授与年:1202年
  • ジャン3世・クレマン(Jean III Clement)(? - 1262年)、ル・メおよびアルジャンタン領主。授与年:1214年
  • ギヨーム・ド・ラ・トゥールネル(Guillaume de La Tournelle) 、生没年不詳。授与年:1220年

ルイ9世(1226年 - 1270年)

  • フェリー・パステ(Ferry Pasté)(? - 1247年)、シャルランジュ(Challeranges)領主。授与年:1240年
  • ジャン・ギヨーム・ド・ボーモン(Jean Guillaume de Beaumont)(? - 1257年)、授与年:1250年
  • ゴーティエ3世・ド・ヌムール(Gauthier III de Nemours)(? - 1270年)、ヌムール領主。授与年:1257年
  • アンリ2世・クレマン(Henri II Clement)(? - 1265年)、ル・メおよびアルジャンタン領主。授与年:1262年
  • エリック・ド・ボージュー(Heric de Beaujeu)(? - 1270年)、授与年:1265年
  • ルノー・ド・プレシニー(Renaud de Precigny)(? - 1270年)、授与年:1265年
  • Raoul II Sores(? - 1282年)、通称「Estrée」。授与年:1270年
  • ランスロ・ド・サン=マール(Lancelot de Saint-Maard)(? - 1278年)、授与年:1270年

フィリップ3世(1270年 - 1285年)

  • フェリー・ド・ヴェルヌイユ(Ferry de Verneuil)(? - 1283年)、授与年:1272年
  • ギヨーム5世・デュ・ベック・クレスパン(Guillaume V du Bec Crespin)(? - 1283年)、授与年:1283年
  • ジャン2世・ダルクール(Jean II d'Harcourt)(? - 1302年)騎士、シャテルロー子爵、アルクール領主。授与年:1283年
  • ラウール5世・ル・フラマン(Raoul V Le Flamenc)(? - 1287年)、授与年:1285年

フィリップ4世(1285年 - 1314年)

  • ジャン・ド・ヴァレンヌ(Jean de Varennes)(? - 1292年)、授与年:1288年
  • シモン・ド・ムラン(Simon de Melun)(? - 1302年)、ラ・ループ卿およびマルシュヴィル卿。授与年:1290年
  • ギー1世・ド・クレルモン・ド・ネール(Guy Ier de Clermont de Nesle)(? - 1302年)、授与年:1292年
  • フルク・デュ・メール(Foulques du Merle)(? - 1314年)、通称「Foucaud」。授与年:1302年
  • ミユ10世・ド・ノワイエ(Miles X de Noyers)(? - 1350年)、授与年:1302年
  • ジャン・ド・コルベイユ(Jean de Corbeil)(? - 1318年)、グレ(Grez)領主。授与年:1308年

ルイ10世(1314年 - 1316年)

  • ジャン4世・ド・ボーモン(Jean IV de Beaumont)(? - 1318年)、通称「le Derame」。授与年:1315年

フィリップ5世(1316年 - 1322年)

  • マチュー・ド・トリ(Mathieu III of Trie)(? - 1344年)、授与年:1318年
  • ジャン2世・デ・バレス(Jean II des Barres)生没年不詳、授与年:1318年
  • ベルナール6世・ド・モレイユ(Bernard VI de Moreuil)(? - 1350年)、モレイユ領主。授与年:1322年

シャルル4世(1322年 - 1328年)

  • ロベール8世ベルトラン・ド・ブリックベック(Robert VIII Bertrand de Bricquebec)(1285年 - 1348年)、ブリックベック男爵、ロシュヴィル子爵。授与年:1325年

ヴァロワ朝

フィリップ6世(1328年 - 1350年)

  • アンソー・ド・ジョアンヴィル(Anseau de Joinville)(1265年 - 1343年)、授与年:1339年
  • シャルル1世・ド・モンモランシー(Charles Ier de Montmorency)(1307年 - 1381年)、モンモランシー卿。授与年:1344年
  • ロベール・ド・ヴァヴラン(Robert de Waurin)(1360年没)、サン=ヴナン領主。授与年:1344年
  • ギー2世・ド・ネール(Guy II de Nesle)(1352年没)、オッフモン(Offémont)、メロ(Mello)領主。授与年:1345年
  • エドゥアール・ド・ボージュー(Edouard de Beaujeu)(1316年 - 1351年)、シャトーヌフ領主。授与年:1347年

ジャン2世(1350年 - 1364年)

  • アルヌール・ドードレム(Arnoul d'Audrehem)(1370年没)、オードレム卿。授与年:1351年
  • ロギュ・ド・アンジュスト(Rogues de Hangest)(1352年没)、アヴェーヌクール(Avesnecourt)領主。授与年:1352年
  • ジャン・ド・クレルモン(Jean de Clermont)(1356年没)、シャンティイおよびボーモン領主。授与年:1352年
  • ジャン1世・ル・マングル(Jean Ier Le Meingre)(1310年 - 1367年)、通称「ブシコー(Boucicaut)」、愛称「Le Brave」。授与年:1356年

シャルル5世(1364年 - 1380年)

  • ジャン4世・ド・モケンシー(Jean IV de Mauquenchy)(1391年没)、ブランヴィル卿。授与年:1368年
  • ルイ・ド・サンセール(Louis de Sancerre)(1342年 - 1402年)、サンセール伯(comte de Sancerre)。授与年:1369年

シャルル6世(1380年 - 1422年)

  • ジャン2世・ル・マングル(Jean II Le Meingre)(1366年 - 1421年)、通称「ブシコー(Boucicaut)」、授与年:1391年
  • ジャン2世・ド・リュー(Jean II de Rieux)(1342年 - 1417年)、ロシュフォールおよびリュー領主。授与年:1397年
  • ピエール・ド・リュー(Pierre de Rieux)(1389年 - 1439年)、ロシュフォールおよびリュー領主。授与年:1417年
  • クロード・ド・ボーヴォワール(Claude de Beauvoir)(1385年 - 1453年)、シャステリュー(Chastellux)領主、アヴァロン子爵。授与年:1418年
  • ジャン・ド・ヴィリエ・ド・リスル=アダン(Jean de Villiers de L'Isle-Adam)(1384年 - 1437年)、授与年:1418年
  • ジャック・ド・モンブロン(Jacques de Montberon)(1422年没)、アングーモワ領主。授与年:1418年
  • ジルベール・モティエ・ド・ラファイエット(Gilbert Motier de La Fayette)(1396年 - 1464年)、授与年:1421年
  • アントワーヌ・ド・ヴェルジー(Antoine de Vergy)(1439年没)、授与年:1422年
  • ジャン・ド・ラ・ボーム(Jean de La Baume)(1435年没)、モンレヴェル=アン=ブレス伯。授与年:1422年

シャルル7世(1422年 - 1461年)

  • アモーリー・ド・セヴラック(Amaury de Severac)(1427年没)、ボーケールおよびショード=ゼーグ領主。授与年:1424年
  • アルテュール・ド・リッシュモン(1393年 - 1458年)、ブルターニュ公アルテュール3世。授与年:1425年
  • ジャン・ド・ブロス(Jean de Brosse)(1375年 - 1433年)、ブサック(Boussac)およびサント=セヴェール(Sainte-Severe)男爵。トゥレーヌ伯、モンフォール伯、イヴリー伯。授与年:1427年
  • ジル・ド・レ(ジル・ド・モンモランシ=ラヴァル)(1405年 - 1440年10月26日)、マシュクール、シャントセおよびティフォージュ領主。授与年:1429年7月17日
  • アンドレ・ド・ラヴァル(1408年 - 1486年)、ロエアック(Loheac)およびレッツ(Retz)領主。授与年:1439年
  • フィリップ・ド・キュラン(Philippe de Culant)(1454年没)、ジャローニュ(Jaloignes)、ラ・クロワゼット(la Croisette)、サンタルマン(Saint-Armand)およびシャレ(Chalais)領主。授与年:1441年
  • ジャン・ポトン・ド・ザントライユ(1390年 - 1461年)、リムーザン領主。授与年:1454年

ルイ11世(1461年 - 1483年)

  • ジョアシャン・ルオー・ド・ガマシュ(Joachim Rouhault de Gamaches)(1478年没)、ボワメナール(Boismenard)領主。授与年:1441年8月3日
  • ジャン・ド・レスキュン(Jean de Lescun)(1473年没)、通称「Batard d'Armagnac」、コマンジュ伯。授与年:1461年8月3日
  • ヴォルフェルト6世・ファン・ボルセレン(Wolfert VI van Borselen (Borzelles))(1487年没)、フェーレ領主、オランダ総督、スコットランドのバカン伯。授与年:1464年3月1日
  • ピエール・ド・ロアン=ジエ(Pierre de Rohan-Gie)(1450年 - 1514年)、ロアン領主。授与年:1476年5月16日

シャルル8世(1483年 - 1498年)

  • フィリップ・ド・クレーブクール・デスケールド(Philippe de Crèvecœur d'Esquerdes)(1418年 - 1494年)、授与年:1483年9月2日
  • ジャン・ド・ボドゥリクール(Jean de Baudricourt)(1499年没)、ショワズール領主、ショーモンのバイイ。授与年:1486年1月21日

ヴァロワ=オルレアン朝

ルイ12世(1498年 - 1515年)

  • ジャン・ジャコモ・トリヴルツィオ(Gian Giacomo Trivulzio)(1448年 - 1518年)、ヴィジェーヴァノ侯。授与年:1499年
  • シャルル2世・ダンボワーズ・ド・ショーモン(Charles II d'Amboise de Chaumont)(1473年 - 1511年)、ショーモン、メイヤン(Meillan)およびシャラントン(Charenton)領主。授与年:1506年
  • オデ・ド・フォア・ド・ロートレック(Odet de Foix de Lautrec)(1485年 - 1528年)、グライー家、ロートレック子爵。授与年:1511年
  • ロバート・ステュワート(Robert Stuart d'Aubigny)(1470年 - 1544年)、オービニー領主。授与年:1514年

ヴァロワ=アングレーム朝

フランソワ1世(1515年 - 1547年)

  • ジャック2世・ド・シャバンヌ(Jacques II de Chabannes)(1525年没)、ラ・パリス(La Palice)領主。授与年:1515年
  • ガスパール1世・ド・コリニー(Gaspard Ier de Coligny)(没年:1522年)、シャティヨン領主。授与年:1516年
  • トマ・ド・フォワ=レスキュン(Thomas de Foix-Lescun)(没年:1525年)、グライー家、授与年:1518年
  • アンヌ・ド・モンモランシー(1492年 - 1567年)、モンモランシー公、ダンヴィル公。授与年:1522年。後にconnetable de France、授与年:1538年
  • テオドーロ・トリヴルツィオ(Teodoro Trivulzio)(1458年 - 1531年)、授与年:1526年
  • ロベール3世・ド・ラ・マルク(Robert III de La Marck)(1491年 - 1536年)、ブイヨン公。授与年:1526年
  • クロード・ダンネボー(Claude d'Annebaut)(1500年 - 1552年)、授与年:1538年
  • ルネ・ド・モンジャン(Rene de Montjean)、授与年:1538年
  • ウダール・デュ・ビエ(Oudard du Biez)(1553年没)、授与年:1542年
  • アントワーヌ・ド・レット=デプレ(Antoine de Lettes-Desprez)、モンペザ(Montpezat)領主。授与年:1544年
  • ジャン・カラッチョリ(Jean Caraccioli)(1480年 - 1550年)、メルフィ公(prince de Melfi)。授与年:1544年

アンリ2世(1547年 - 1559年)

  • ジャック・ダルボン・ド・サンタンドレ(Jacques d'Albon de Saint-Andre)(1562年没)、フロンサック侯
  • ロベール4世・ド・ラ・マルク(Robert IV de La Marck)(1520年 - 1556年)、ブイヨン公およびスダン公。授与年:1547年
  • シャルル1世・ド・コッセ(Charles Ier de Cossé)(1505年 - 1563年)、ブリサック(Brissac)伯。授与年:1550年
  • ピエロ・ストロッツィ(Piero Strozzi)(1500年 - 1558年)、授与年:1554年
  • ポール・ド・ラ・バルト(Paul de La Barthe)(1482年 - 1558年)、テルム(Thermes)領主。授与年:1558年

フランソワ2世(1559年 - 1560年)

  • フランソワ・ド・モンモランシー(Francois de Montmorency)(1520年 - 1563年)、モンモランシー公。授与年:1559年

シャルル9世(1560年 - 1574年)

  • François de Scépeaux(1509年 - 1571年)、ヴィエイユヴィル(Vieilleville)領主。授与年:1562年
  • アンベール・ド・ラ・プラティエール(Imbert de La Platière)(1524年 - 1567年)、ブルディヨン(Bourdillon)領主。授与年:1564年
  • アンリ1世・ド・モンモランシー(Henri Ier de Montmorency)(1534年 - 1614年)、ダンヴィル領主、モンモランシー公、ダンマルティンおよびアレー(Alais)伯、シャトーブリアン男爵、シャンティイ(Chantilly)およびエクアン(Ecouen)領主。授与年:1566年
  • アルテュス・ド・コッセ=ブリサック(Artus de Cossé-Brissac)(1582年没)、ゴノール(Gonnord)領主およびスゴンディニー(Secondigny)伯。授与年:1567年
  • ガスパール・ド・ソ(Gaspard de Saulx)(1509年 - 1575年)、タヴァンヌ(Tavannes)領主。授与年:1570年
  • オノラ2世・ド・サヴォワ(Honorat II de Savoye(1580年没)、ヴィラール侯。授与年:1571年
  • アルベール・ド・ゴンディ(Albert de Gondi)(1522年 - 1602年)、レッツ(Retz)公。授与年:1573年

アンリ3世(1574年 - 1589年)

  • ロジェ・ド・サン=ラリ(Roger Ier de Saint Lary)(1579年没)、ベルガルド(Bellegarde)領主。授与年:1574年
  • ブレーズ・ド・モンリュック(Blaise de Lasseran de Massencome)(1500年 - 1577年)、モンリュック(Montluc)領主。授与年:1574年
  • ルイ・プレヴォー(Louis Prevost)(1496年 - 1576年)、サンサック(Sansac)男爵。
  • アルマン・ド・ゴントー=ビロン(Armand de Gontaut-Biron)(1524年 - 1592年)、授与年:1577年
  • ジャック2世・ド・ゴワイヨン(Jacques II de Goyon)(1525年 - 1598年)、マティニョン(Matignon)およびレスパール(Lesparre)卿、トリニ(Thorigny)伯、モルターニュ=シュル=ジロンド公(prince de Mortagne sur Gironde)。授与年:1579年
  • ジャン6世・ドーモン(Jean VI d'Aumont)(1580年没)、エトラボンヌ(Estrabonne)男爵、シャトールー伯。授与年:1579年
  • ギヨーム・ド・ジョワイユーズ(Guillaume de Joyeuse)(1520年 - 1592年)、ジョワイユーズ子爵。サン=ディディエ(Saint-Didier)、ロダン(Laudun)、ピュイヴェール(Puyvert)およびアルク(Arques)領主。授与年:1582年
  • フランソワ・グッフィエ(François Gouffier)(1594年没)、通称「le jeune」、デファン(Deffends)侯。クレーヴカール(Crèvecœur)、ボニヴェ(Bonnivet)、トワ(Thois)領主。授与年:1586年

ブルボン朝

アンリ4世(1589年 - 1610年)

  • アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(1555年 - 1623年)、テュレンヌ子爵、ブイヨン公、スダン公。授与年:1592年
  • シャルル・ド・ゴントー=ビロン(1562年 - 1602年)、ビロン公。授与年:1594年。フランス大元帥授与年は不明。
  • クロード・ド・ラ・シャトル(Claude de La Chatre)(1536年 - 1614年)、メゾンフォール(Maisonfort)男爵。授与年:1594年
  • シャルル2世・ド・コッセ(Charles II de Cossé)(1562年 - 1621年)、ブリサック公。アンリ4世からフランス元帥杖を与えられた。
  • ジャン・ド・モンルック・ド・バラニー(Jean de Montluc de Balagny)(1560年 - 1603年)、授与年:1594年
  • ジャン3世・ド・ボーマノワール(Jean III de Beaumanoir)(1551年 - 1614年)、ラヴァルダン(Lavardin)侯およびネーグルペリス(Negrepelisse)伯。授与年:1595年
  • アンリ・ド・ジョワイユーズ(Henri, duc de Joyeuse)(1567年 - 1608年)、ジョワイユーズ公。授与年:1595年
  • ユルバン・ド・モンモランシー=ラヴァル(Urbain de Montmorency-Laval)(1557年 - 1629年)、サーブル(Sable)侯。授与年:1595年
  • アルフォンス・ドルナーノ(Alphonse d'Ornano)(1548年 - 1610年)、授与年:1597年
  • Guillaume de Hautemer(1537年 - 1613年)、グランセ(Grancey)伯。授与年:1597年
  • フランソワ・ド・ボンヌ・ド・レディギエール(Francois de Bonne de Lesdiguieres)(1543年 - 1626年)、レディギエール公。授与年:1608年。フランス大元帥授与年:1621年3月30日。

ルイ13世(1610年 - 1643年)

  • コンチーノ・コンチーニ(1617年没)、アンクル侯爵。授与年:1613年
  • ジル・クルトンヴォー(Gilles de Courtenvaux)(1540年 - 1626年)、サブレ(Souvré)侯。授与年:1614年
  • アントワーヌ・ド・ロケロール(Antoine de Roquelaure)(1544年 - 1622年)、ロケロール(Roquelaure)男爵。授与年:1614年
  • ルイ・ド・ラ・シャトル(Louis de La Châtre)(1630年没)、ラ・メゾンフォール(La Maisonfort)男爵
  • ポンス・ド・ロジエール=テミーヌ=カルダイヤック(Pons de Lauzières-Thémines-Cardaillac)(1553年 - 1627年)、テミーヌ侯、最後のケルシーのグルドン領主、カナダ副王。授与年:1616年
  • フランソワ・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン(François de La Grange d'Arquian)(1554年 - 1617年)、モンティニー(Montigny)およびベリーのスリー(Sery en berry)領主。授与年:1616年
  • ニコラ・ド・ロピタル(Nicolas de L'Hospital)(1581年 - 1644年)、ヴィトリー公。授与年:1617年
  • シャルル・ド・ショワズール=プララン(Charles de Choiseul-Praslin)(1563年 - 1626年)、プララン(Praslin)侯。授与年:1619年
  • ジャン・フランソワ・ド・ラ・ギーシュ(Jean François de La Guiche)(1569年 - 1632年)、ラ・パリス(La Palice)伯。授与年:1619年
  • オノレ・ダルベール・デリー(Honoré d'Albert d'Ailly)(1581年 - 1649年)、ショルンヌ(Chaulnes)公。授与年:1620年
  • フランソワ・デスパルブ・ド・リュッサン(François d'Esparbes de Lussan)(1628年没)、オーブテール(Aubeterre)子爵。授与年:1620年
  • シャルル2世・ド・ケルキー(Charles de Crequy)(1578年 - 1638年)、ポワ公(prince de Poix)、レディギエール公。授与年:1621年
  • ガスパール3世・ド・コリニー(Gaspard III de Coligny)(1584年 - 1646年)、シャティヨン公。授与年:1622年
  • シャルル・ド・ゴワイヨン・ド・マティニョン(Charles Goyon, sire de Matignon)(1564年 - 1648年)、トリニー(Thorigny)伯。授与年:1622年
  • ジャック・ド・コーモン(Jacques de Caumont)(1551年 - 1652年)、ラ・フォルス(La Force)公。授与年:1622年
  • フランソワ・ド・バッソンピエール(François de Bassompierre)(1579年 - 1646年)、バッソンピエール侯。授与年:1622年
  • アンリ・ド・ションベール(Henri de Schomberg)(1574年 - 1632年)、ナントゥイユ伯。授与年:1625年
  • ジャン=バティスト・ドルナーノ(Jean-Baptiste d'Ornano)(1581年 - 1626年)、授与年:1626年
  • フランソワ・アンニバル・デストレ(Francois Hannibal d'Estrees)(1573年 - 1670年)、エストレ公。授与年:1626年
  • ティモレオン・デピネー・ド・サン=リュック(fr:Timoléon d'Epinay de Saint Luc)(1580年 - 1644年)、授与年:1627年
  • ルイ・ド・マリヤック(Louis de Marillac)(1572年 - 1632年)、ボーモン=ル=ロジェ伯。授与年:1629年
  • アンリ2世・ド・モンモランシー(Henri II de Montmorency)(1595年 - 1632年)、モンモランシー公、ダンヴィル公、フランス提督。授与年:1630年
  • ジャン・ド・サン=ボネ(Jean de Saint-Bonnet)(1585年 - 1636年)、トワ(Toiras)侯。授与年:1630年
  • アントワーヌ・コワフィエ・ド・リュゼ(Antoine Coëffier de Ruzé)(1581年 - 1632年)、エフィア(Effiat)侯。授与年:1631年
  • ユルバン・ド・マイエ=ブレゼ(Urbain de Maillé)(1597年 - 1650年)、ブレゼ侯。授与年:1632年
  • マクシミリアン・ド・ベテューヌ(Maximilien de Béthune)(1560年 - 1641年)、シュリー公。授与年:1634年
  • シャルル・ド・ションベール(Charles de Schomberg)(1601年 - 1656年)、アルワン(Halluin)公。授与年:1637年
  • シャルル・ド・ラ・ポルト(Charles de La Porte)(1602年 - 1664年)、メイユレイユ(Meilleraye)侯。授与年:1639年
  • アントワーヌ3世・ド・グラモン(1604年 - 1678年)、グラモン公。授与年:1641年
  • ジャン=バティスト・ビュード(Jean-Baptiste Budes)(1602年 - 1643年)、ゲブリアン(Guebriant)伯。授与年:1642年
  • フィリップ・ド・ラ・モット=ウダンクール(Philippe de La Mothe-Houdancourt)(1605年 - 1657年)、カルドーヌ(Cardone)公。授与年:1642年
  • フランソワ・ド・ロピタル(François de l'Hospital)(1583年 - 1660年)、ロネ(Rosnay)伯。授与年:1643年

ルイ14世(1643年 - 1715年)

  • アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(1611年 - 1675年)、テュレンヌ子爵。授与年:1643年。フランス大元帥授与年:1660年
  • ジャン・ド・ガッシオン(Jean de Gassion)(1609年 - 1647年)、ガッシオン(Gassion)伯。授与年:1643年
  • セザール・ド・ショワズール・デュ・プレシ=プララン(Cesar de Choiseul du Plessis-Praslin)(1598年 - 1675年)、シュワズール公。授与年:1645年
  • ヨシアス・ランツァウ(Josias Rantzau)(1609年 - 1650年)、ランツァウ伯。授与年:1645年
  • ニコラ・ド・ヌフヴィル(Nicolas de Neufville)(1597年 - 1685年)、ヴィルロワ公。授与年:1646年
  • ガスパール4世・ド・コリニー(Gaspard IV de Coligny)(1620年 - 1649年)、コリニー公。授与年:1649年
  • アントワーヌ・ドーモン・ド・ロシュバロン(Antoine d'Aumont de Rochebaron)(1601年 - 1669年)、オーモン公。授与年:1651年
  • ジャック・デタンプ(Jacques d'Étampes)(1590年 - 1663年)、ラ・フェルテ=アンボー侯。授与年:1651年
  • アンリ・ド・ラ・フェルテ=センテール(Henri de La Ferte-Senneterre)(1600年 - 1681年)、ラ・フェルテ=センテール公。授与年:1651年
  • シャルル・ド・モンシー(Charles de Monchy)(1599年 - 1658年)、オカンクール(Hocquincourt)侯。授与年:1651年
  • ジャック・ルエル(Jacques Rouxel)(1603年 - 1680年)、グランセ伯。授与年:1651年
  • アルマン・ノンパール・ド・コーモン(Armand Nompar de Caumont)(1582年 - 1672年)、ラ・フォルス公。授与年:1652年
  • フィリップ・ド・クレランボー(Philippe de Clérambault)(1606年 - 1665年)、ラ・パリョー(la Palluau)伯。授与年:1652年
  • セザール・フェビュス・ダルブレ(Cesar Phoebus d'Albret)(1614年 - 1676年)、ミオサン伯。授与年:1653年
  • ルイ・ド・フーコー・ド・サン=ジェルマン・ボープレ(Louis de Foucault de Saint-Germain Beaupre)(1616年 - 1659年)、Daugnon伯。授与年:1653年
  • ジャン・ド・シューレンベルグ(Jean de Schulemberg)(1597年 - 1671年)、モンジュ(Montejeu)伯。授与年:1658年
  • アブラアム・ド・ファベール(Abraham de Fabert)(1599年 - 1662年)、エステルネ侯。授与年:1658年
  • ジャック・ド・カステルノ(Jacques de Castelnau)(1620年 - 1658年)、カステルノ侯。授与年:1658年
  • ベルナルダン・ジゴー ・ド・ベルフォン(Bernardin Gigault de Bellefonds)(1630年 - 1694年)、ベルフォン(Bellefonds)侯。授与年:1668年
  • フランソワ・ド・クレキ(1620年 - 1687年)、マリン(Marines)侯。授与年:1668年
  • ルイ・ド・クルヴァン(1628年 - 1694年)、ユミエール公。授与年:1668年
  • ジョフロワ・デストラード(Godefroy d'Estrades)(1607年 - 1686年)、エストラード伯。授与年:1675年
  • フィリップ・ド・モントー=ベナック(Philippe de Montaut-Bénac)(1619年 - 1684年)、ナヴァイユ公。授与年:1675年
  • フレデリック・ションバーグ(1616年 - 1690年)、ションバーグ公。授与年:1675年
  • ジャック・アンリ・ド・デュルフォール(Jacques Henri de Durfort)(1625年 - 1704年)、デュラス公。授与年:1675年
  • フランソワ・ドービュッソン(François d'Aubusson)(1625年 - 1691年)、ラ・フイヤード(la Feuillade)公。授与年:1675年
  • ルイ・ヴィクトル・ド・ロシュシュアール(Louis Victor de Rochechouart)(1636年 - 1688年)、モルトマール公、le Marechal de Vivonne。授与年:1675年
  • フランソワ・アンリ・ド・モンモランシー(1628年 - 1695年)、リュクサンブール公。授与年:1675年
  • アンリ・ルイ・ダロワーニ(Henri Louis d'Aloigny)(1636年 - 1676年)、ロシュフォール侯。授与年:1675年
  • ギー・ド・デュルフォール(Guy de Durfort)(1630年 - 1702年)、ロルジュ公。授与年:1676年
  • ジャン2世・デストレ(Jean II d'Estrées)(1624年 - 1707年)、エストレ伯。授与年:1681年
  • クロード・ド・ショワズール(Claude de Choiseul)(1632年 - 1711年)、フランシエール侯。授与年:1693年
  • ジャン=アルマン・ド・ジョワイユーズ(Jean-Armand de Joyeuse)(1632年 - 1710年)、グランプレ侯。授与年:1693年
  • フランソワ・ド・ヌフヴィル(1644年 - 1730年)、ヴィルロワ公。授与年:1693年
  • ルイ・フランソワ・ド・ブーフレール(1644年 - 1711年)、ブーフレール公。授与年:1693年
  • アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン(1642年 - 1701年)、トゥールヴィル伯。授与年:1693年
  • アンヌ=ジュール・ド・ノアイユ(Anne-Jules de Noailles)(1650年 - 1708年)、ノアイユ公。授与年:1693年
  • ニコラ・カティナ(1637年 - 1712年)、サン=グラティアン領主、le marechal Catinat。授与年:1693年
  • クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール(1653年 - 1734年)、ヴィラール公。授与年:1702年。フランス大元帥授与年:1733年
  • ノエル・ブトン・ド・シャミリー(Noël Bouton de Chamilly)(1636年 - 1715年)、シャミリー侯。授与年:1703年
  • ヴィクトル・マリー・デストレ(Victor Marie d'Estrées)(1660年 - 1737年)、エストレ公。授与年:1703年
  • フランソワ・ルイ・ルスレ・ド・シャトー=ルノー(François Louis Rousselet de Châteaurenault)(1637年 - 1716年)、シャトー=ルノー侯。授与年:1703年
  • セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633年 - 1707年)、ヴォーバン侯。授与年:1703年
  • コンラー・ド・ローゼン(Conrad de Rosen)(1628年 - 1715年)、ローゼン(Rosen)侯。授与年:1703年
  • ニコラ・シャロン・デュ・ブレ(Nicolas Chalon du Ble)(1652年 - 1730年)、ユクセル(Huxelles)侯。授与年:1703年
  • ルネ・ド・フルーレ(1651年 - 1725年)、テッセ伯。授与年:1703年
  • カミーユ・ドスタン(1652年 - 1728年)、タラール公。授与年:1703年
  • ニコラ・アウグスト・ド・ラ・ボーム(Nicolas Auguste de La Baume)(1636年 - 1716年)、モンレヴェル侯。授与年:1703年
  • アンリ・ダルクール(Henry d'Harcourt)(1654年 - 1718年)、アルクール公。授与年:1703年
  • フェルディナン・ド・マルサン(1656年 - 1706年)、マルサン伯。授与年:1703年
  • ジェームズ・フィッツジェームズ(1670年 - 1734年)、ベリック公。授与年:1706年
  • シャルル・アウグスト・ド・ゴワイヨン(Charles Auguste de Goyon)(1647年 - 1739年)、マティニョン伯。授与年:1708年
  • ジャック・バザン・ド・ブゾン(Jacques Bazin de Bezons)(1645年 - 1733年)、ブゾン侯。授与年:1709年
  • ピエール・ド・モンテスキュー(Pierre de Montesquiou)(1645年 - 1725年)、アルタニャン伯。授与年:1709年

ルイ15世(1715年 - 1774年)

  • ヴィクトル・モーリス, ブロイ伯(Victor Maurice, comte de Broglie)(1646年 - 1727年), 授与年:1724年
  • アントワーヌ・ガストン, ロクロール公(Antoine Gaston, duc de Roquelaure)(1656年 - 1738年), 授与年:1724年
  • ジャック・ルエル, グランセ伯およびメダヴィー伯(Jacques Rouxel, comte de Grancey et de Medavy)(1655年 - 1725年), 授与年:1724年
  • レオノール・デュ・メーヌ, ル・ブール伯(Leonor du Maine, comte du Bourg)(1655年 - 1739年), 授与年:1724年
  • イヴ, アレーグル侯(Yves, marquis d'Alegre)(1653年 - 1733年), 授与年:1724年
  • ルイ・ドービュッソン, ラ・フイヤード公(Louis d'Aubusson, duc de la Feuillade)(1673年 - 1725年), 授与年:1724年
  • アントワーヌ5世, ギシュ公, グラモン公(Antoine V, duc de Guiche, duc de Gramont)(1671年 - 1725年), 授与年:1724年
  • アラン・エマニュエル, コエトロゴン侯(Alain Emmanuel, marquis de Coetlogon)(1646年 - 1730年), 授与年:1730年
  • シャルル・アルマン・ド・ゴントー, 2代ビロン公(Charles de Gontaut, duc de Biron)(1663年 - 1756年), 授与年:1734年
  • ジャック・ド・ピュイセギュール(1656年 - 1743年), 授与年:1734年
  • クロード・ビダル, アスフェル侯(Claude Bidal, marquis d'Asfeld)(1665年 - 1743年), 授与年:1734年
  • アドリアン=モーリス, 3代ノアイユ公(Adrien, duc de Noailles)(1678年 - 1766年), 授与年:1734年
  • クリスチャン・ルイ・ド・モンモランシー=リュクサンブール, タングリー公(Christian Louis de Montmorency-Luxembourg, prince de Tingry)(1675年 - 1746年), 授与年:1734年
  • 初代ブロイ公フランソワ=マリー(1671年 - 1745年), 授与年:1734年
  • フランソワ・ド・フランケット, コワニー公(Francois de Franquetot, duc de Coigny)(1670年 - 1759年), 授与年:1734年
  • シャルル, レヴィ=シャルリュ公(Charles, duc de Levis-Charlus)(1669年 - 1734年), 授与年:1734年
  • ルイ・ド・ブランカ・ド・フォルカルキエ, セレスト侯(Louis de Brancas de Forcalquier, marquis de Cereste)(1671年 - 1750年), 授与年:1740年
  • ルイ・アウグスト・ダルベール・デリー, ショルンヌ公(Louis Auguste d’Albert d’Ailly, duc de Chaulnes)(1675年 - 1744年), 授与年:1741年
  • ルイ=アルマン・ド・ブリシャントー, ナンジ侯(Louis-Armand de Brichanteau, marquis de Nangis)(1682年 - 1742年), 授与年:1741年
  • ルイ・ド・ガン・ド・メロード・ド・モンモランシー, イサンギャン公(Louis de Gand de Merode de Montmorency, prince d’Isenghien)(1678年 - 1767年), 授与年:1741年
  • ジャン=バティスト・ド・デュルフォール, デュラス公(Jean-Baptiste de Durfort, duc de Duras)(1684年 - 1778年), 授与年:1741年
  • ジャン=バティスト・デマレ, メールボワ侯(Jean-Baptiste Desmarets, marquis de Maillebois)(1682年 - 1762年), 授与年:1741年
  • シャルル・ルイ・オーギュスト・フーケ・ド・ベル=イル, 通称ベル=イル元帥(1684年 - 1762年)。授与年:1741年
  • モーリス・ド・サックス, 通称サックス元帥(1696年 - 1750年)。授与年:1741年。フランス大元帥授与年:1747年
  • ジャン=バティスト・アンドロー, モレヴリエ侯(Jean-Baptiste Andrault, marquis de Maulevrier)(1677年 - 1754年), 授与年:1745年
  • クロード・テステュ, バランクール侯(Claude Testu, marquis de Balincourt)(1680年 - 1770年), 授与年:1746年
  • フィリップ・シャルル, ラ・ファール侯(Philippe Charles, marquis de la Fare)(1687年 - 1752年), 授与年:1746年
  • フランソワ, アルクール公(Francois, duc d'Harcourt)(1689年 - 1750年), 授与年:1746年
  • ギー, モンモランシー=ラヴァル伯(Guy, comte de Montmorency-Laval)(1677年 - 1751年), 授与年:1747年
  • ガスパール, クレルモン=トネール公(Gaspard de Clermont-Tonnerre, duc de Clermont-Tonnerre)(1688年 - 1781年), 授与年:1747年
  • ルイ・シャルル, ラ・モット=ウダンクール侯(Louis Charles, marquis de La Mothe-Houdancourt)(1687年 - 1755年), 授与年:1747年
  • ユルリク・フレデリック・ウォルデマール, ロワンダル伯(Ulrich Frederic Woldemar, comte de Lowendal)(1700年 - 1755年), 授与年:1747年
  • ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ, リシュリュー公(1696年 - 1788年)。授与年:1748年
  • ジャン・ド・フェイ, ラ・トゥール=モーブール侯(Jean de Fay, marquis de la Tour-Maubourg)(1684年 - 1764年), 授与年:1757年
  • ルイ・アントワーヌ・ド・ゴントー=ビロン(Louis Antoine de Gontaut-Biron)(1701年 - 1788年), 授与年:1757年
  • ダニエル・フランソワ・ド・ジェラ・ド・ボアザン・ダンブル, ロートレック子爵(Daniel Francois de Gelas de Voisins d’Ambres, vicomte de Lautrec)(1686年 - 1762年), 授与年:1757年
  • シャルル・フランソワ・フレデリック・ド・モンモランシー, ピネー=リュクサンブール公(Charles Francois Frederic de Montmorency, duc de Piney-Luxembourg)(1702年 - 1764年), 授与年:1757年
  • ルイ・ル・テリエ, エストレ公(1695年 - 1771年), 授与年:1757年
  • ジャン・シャルル・ド・ラ・フェルテ, ラ・フェルテ=センテール侯(Jean Charles de la Ferte, marquis de La Ferte-Senneterre)(1685年 - 1770年), 授与年:1757年
  • チャールズ・オブライエン, トモンド伯およびクレア子爵(Charles O'Brien de Thomond, Comte de Thomond et de Clare)(1699年 - 1761年), 授与年:1757年
  • ガストン・ド・レヴィ, ミルポワ公(Gaston de Levis, duc de Mirepoix)(1699年 - 1758年), 授与年:1757年
  • ベルチェーニ・ラースロー(Ladislas Ignace de Bercheny)(1689年 - 1778年), 授与年:1758年
  • ユベール・ド・ブリエンヌ, コンフラン伯(Hubert de Brienne, comte de Conflans)(1690年 - 1777年), 授与年:1758年
  • ルイ・ジョルジュ, コンタッド侯(Louis Georges, marquis de Contades)(1704年 - 1795年), 授与年:1758年
  • スービーズ公シャルル・ド・ロアン(1715年 - 1787年), 授与年:1758年
  • ヴィクトール=フランソワ, 2代ブロイ公(1718年 - 1804年), 授与年:1759年
  • ギー・ミシェル・ド・デュルフォール・ド・ロルジュ, ランダン公(Guy Michel de Durfort de Lorge, duc de Randan)(1704年 - 1773年), 授与年:1768年
  • ルイ・ド・コンフラン, アルマンティエール侯(Louis de Conflans, marquis d'Armentieres)(1711年 - 1774年), 授与年:1768年
  • ジャン・ド・コッセ, ブリサック公(Jean de Cosse, duc de Brissac)(1698年 - 1780年), 授与年:1768年

ルイ16世(1774年 - 1792年)

  • アンヌ・ピエール, アルクール公(Anne Pierre, duc de Harcourt)(1701年 - 1783年), 授与年:1775年
  • 第4代ノアイユ公ルイ・ド・ノアイユ(1713年 - 1793年), 授与年:1775年
  • ムシー公フィリップ・ド・ノアイユ(第4代ノアイユ公ルイ・ド・ノアイユの弟、1715年 - 1794年), 授与年:1775年
  • アントワーヌ, ニコライ公(Antoine, comte de Nicolai)(1712年 - 1777年), 授与年:1775年
  • シャルル, 4代フィツ=ジャメ公, ジェームズ・フィッツジェームズの子(Charles, duc de Fitz-James)(1712年 - 1787年), 授与年:1775年
  • エマニュエル・ド・デュルフォール, デュラス公(Emmanuel de Durfort, duc de Duras)(1715年 - 1789年), 授与年:1775年
  • デュ・ムイ伯ルイ・ニコラ・ヴィクトル・フェリックス・ド・オリエール(1711年 - 1775年), 授与年:1775年
  • サン=ジェルマン伯爵クロード=ルイ(1707年 - 1778年), 授与年:1775年
  • ギー・ド・モンモランシー, ラヴァル公(Guy de Montmorency, duc de Laval)(1723年 - 1798年), 授与年:1783年
  • オーギュスタン, マイイ伯(Augustin, comte de Mailly)(1708年 - 1794年), 授与年:1783年
  • アンリ・ブシャール・デスパルブ・ド・リュッサン, オーブテール侯(Henri Bouchard d'Esparbes de Lussan, marquis d'Aubeterre)(1714年 - 1788年), 授与年:1783年
  • シャルル・ジュスト・ド・ボーヴォー=クラオン, ボーヴォー公(Charles Juste de Beauvau-Craon, prince de Beauvau)(1720年 - 1793年), 授与年:1783年
  • ノエル・ジュルダ, ヴォー伯(Noel Jourda de Vaux, comte de Vaux)(1705年 - 1788年), 授与年:1783年
  • フィリップ, セギュール侯(Philippe, marquis de Segur)(1724年 - 1801年), 授与年:1783年
  • ジャック・ド・ショワズール=スタンヴィル, ショワズール伯(Jacques de Choiseul-Stainville, comte de Choiseul)(1727年 - 1789年), 授与年:1783年
  • シャルル・ウジェーヌ・ガブリエル・ド・ラ・クロワ・ド・カストリー(1727年 - 1800年), 授与年:1783年
  • アンヌ・エマニュエル, クロワ公(Anne Emmanuel, duc de Croy)(1718年 - 1784年), 授与年:1783年
  • フランソワ=ガストン・ド・レビ(1719年 - 1787年), 授与年:1783年
  • ニコラ・リュクネール(1722年 - 1794年), 授与年:1791年
  • ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー(1725年 - 1807年), 授与年:1791年

第一帝政

ナポレオンは、26人に帝国元帥を授与した。

ナポレオン1世(1804年 - 1815年)

これらの元帥のうち19名の名前が、パリを取り巻く道路ブルヴァール・デ・マレショーにつけられている。また、26人の元帥のうち7名が非業の死を遂げた(ベシェールは砲弾により戦死、ランヌは戦場で致命傷を受け戦死、ポニャトフスキは退却中に溺死、ベルティエは自殺、ブリューヌは暗殺、ミュラとネイは復古王政期に刑死)。


  • ルイ=アレクサンドル・ベルティエ(1753年 - 1815年) ヌーシャテル大公、ヴァグラム大公、ヴァランジャン公爵。ナポレオンの参謀長を長く務め、「唯一無二の名参謀」と称された。授与年:1804年


  • ジョアシャン・ミュラ(1767年 - 1815年) 皇族、ベルク大公、クレーフェ公。1808年よりナポリ国王ジョアッキーノ1世。ナポレオンの義弟で、「世界最高の騎兵」と称された。授与年:1804年


  • ボン・アドリアン・ジャノー・ド・モンセー(1754年 - 1842年)コネリアーノ公爵。清廉高潔な司令官として名高い元帥。授与年:1804年


  • ジャン=バティスト・ジュールダン(1762年 - 1833年)帝国伯爵。世渡り上手な元帥。指揮能力は二流と評されるが、政治面で有能ぶりを発揮した。授与年:1804年


  • アンドレ・マッセナ(1758年 - 1817年) エスリンク大侯爵、リヴォリ公爵。第一統領期から帝政前期に特に活躍した優秀な戦術家で「勝利の愛し子」と称された。授与年:1804年


  • ピエール・オージュロー(1757年 - 1816年)カスティリオーネ公爵。イタリア遠征時に多くの武功を立てたが、貪欲な野心家でもあった。授与年:1804年


  • ギヨーム=マリ=アンヌ・ブリューヌ(1763年 - 1815年)帝国伯爵。イタリア遠征時に身を立てたが、度重なる汚職の為、ナポレオンから疎まれた。授与年:1804年


  • ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト(1769年 - 1851年)ダルマティア公爵。優れた用兵家でナポレオンをして「ヨーロッパで最も優れた戦術家」と言わしめ、練兵の達人としても知られた。王政復古後にフランス大元帥や首相となる。授与年:1804年。フランス大元帥授与年:1847年。


  • ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット(1763年 - 1844年)ポンテコルヴォ公爵、1818年よりスウェーデン王カール14世ヨハン。ナポレオンのライバルと目された時期もあり、軍事的評価は毀誉半ばする。後に離反、対仏大同盟の先鋒として活躍した。授与年:1804年


  • ジャン・ランヌ(1769年 - 1809年)モンテベッロ公爵、シェヴィエシュ公爵。勇猛果敢な戦いぶりで数々の軍功を打ち立て、「大陸軍のロラン」「フランスのアイアス」と称賛された。ナポレオンからは親友として遇された。授与年:1804年


  • エドゥアール・モルティエ(1768年 - 1835年)トレヴィーゾ公爵。知勇兼備の元帥。政戦問わず活躍し、後に首相となる。授与年:1804年


  • ミシェル・ネイ(1769年 - 1815年)エルヒンゲン公爵、モスクワ川大公。逆境での粘り強い戦いぶりでナポレオンから「勇者の中の勇者」と絶賛された元帥。人好きな性格で、元帥中最も中心的な役割を果たした。授与年:1804年


  • ルイ=ニコラ・ダヴー(1770年 - 1823年)アウエルシュタット公爵、エックミュール大公。生涯不敗を誇り、「不敗のダヴー」と称された元帥。数々の伝説を打ち立て、軍事面で最優秀の元帥と目される。授与年:1804年


  • ジャン=バティスト・ベシェール(1768年 - 1813年)イストリア公爵。主に近衛騎兵を指揮した優秀な騎兵指揮官。授与年:1804年


  • フランソワ・クリストフ・ケレルマン(1735年 - 1820年)ヴァルミー公爵。名誉元帥。ヴァルミーの戦いでフランスを救った英雄。老齢だったこともあり帝政期には目立つ任務にはついていないが、国民や兵士からの信頼は絶大だった。授与年:1804年


  • フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴル(1755年 - 1820年)ダンツィヒ公爵。名誉元帥。長い軍歴を持ち、帝政後半では近衛部隊を指揮した。夫婦ともども実直且つ人情味溢れる性格で知られる。授与年:1804年


  • カトリーヌ=ドミニク・ド・ペリニョン(1754年 - 1818年)ペリニョン侯爵。名誉元帥。行政重要職に就いていたが、軍人としての活動はほぼ無かった。授与年:1804年


  • ジャン=マチュー・フィリベール・セリュリエ(1742年 - 1819年) 帝国伯爵。名誉元帥。極めて長い軍歴を誇り、イタリア遠征ではナポレオンの副将格として活躍。その後は老齢もあって主に二線級の職務をこなした。授与年:1804年


  • クロード・ヴィクトル=ペラン(1764年 - 1841年)ベルノ公爵。ナポレオンに古くから付き従い、勇猛な戦いぶりで度々戦功を立てた。後に離反する。授与年:1807年


  • ジャック・マクドナル(1765年 - 1840年)ターラント公爵。スコットランド系の血筋を引く。誠実且つ忠実な性格で知られ、他国からも定評があった。授与年:1809年


  • ニコラ・ウディノ(1767年 - 1847年)ルジオ公爵。勇猛果敢で知られたが、その分敗北・負傷も多かった。授与年:1809年


  • オーギュスト・マルモン(1774年 - 1852年)ラグーザ公爵。ナポレオンの士官学校時代の友人。優れた砲兵将校で、フランス軍の砲兵近代化に尽力した。ナポレオンからは側近として厚遇されていたが、第一帝政末期に無許可で降伏し汚名を被った。授与年:1809年


  • ルイ=ガブリエル・スーシェ(1770年 - 1826年)アルブフェーラ公爵。頭角を現すのは遅かったが特にスペイン戦役で活躍し、ナポレオンに「元帥中最優秀である」と評価されたこともある。授与年:1811年


  • ローラン・グーヴィオン=サン=シール(1764年 - 1830年)帝国伯爵。1817年より王国侯爵。ナポレオンから「防御戦の第一人者」と見なされていた。熱烈な共和主義者だった為、ナポレオンとはやや距離を置いていた。授与年:1812年


  • ジョゼフ・アントワーヌ・ポニャトウスキ(1763年 - 1813年)ポニャトフスキ大公。元々ポーランドの王族で、元帥中唯一の外国人。祖国復興の為、ポーランド騎兵を率いて各地で奮闘したが、元帥位授与後3日目にして非業の死を遂げた。授与年:1813年


  • エマニュエル・ド・グルーシー(1766年 - 1847年) グルーシー侯爵。優秀な重騎兵指揮官として名を馳せたが、ワーテルローの戦いで失態を犯した。百日天下期に元帥位を授与されたことでも知られる。授与年:1815年

復古ブルボン朝

ルイ18世(1814年 - 1824年)

  • ジョルジュ・カドゥーダル(Georges Cadoudal)(1771年 - 1804年), 授与年:1814年(死後追号)
  • ジャン・ヴィクトル・マリー・モロー(1763年 - 1813年), 授与年:1814年(死後追号)
  • フランソワ=アンリ・ド・フランケット, コワニー公(Francois-Henri de Franquetot, duc de Coigny)(1737年 - 1821年), 授与年:1816年
  • アンリ・ジャック・ギヨーム・クラーク, フェルトレ公(Henri Jacques Guillaume Clarke, duc de Feltre)(1765年 - 1818年), 授与年:1816年
  • ルイ・リエル, ブルノンヴィル侯(Pierre Riel, marquis de Beurnonville)(1752年 - 1821年), 授与年:1816年
  • シャルル・デュ=ウ, ヴィオメニル侯(Charles du Houx, marquis de Vioménil)(1734年 - 1827年), 授与年:1816年
  • ジャック・ロー, ロリストン侯(Jacques Law, marquis de Lauriston)(1768年 - 1828年), 授与年:1823年
  • ガブリエルジャン・ジョゼフ・モリトール(Gabriel, comte Molitor)(1770年 - 1849年), 授与年:1823年

シャルル10世(1824年 - 1830年)

  • ルイ・アロイ・ド・ホーエンローエ=ヴァルデンブルク=バルテンシュタイン(Louis Aloy de Hohenlohe-Waldenburg-Bartenstein)(1765年 - 1829年), 授与年:1827年
  • ニコラ・ジョゼフ・メゾン(Nicolas, marquis Maison)(1771年 - 1840年), 授与年:1829年
  • ルイ・アウグスト・ヴィクトル, ブルモン伯(Louis de Ghaisne, comte de Bourmont)(1773年 - 1846年), 授与年:1830年

オルレアン朝

ルイ・フィリップ1世(1830年 - 1848年)

  • モーリス=エティエンヌ・ジェラール(Maurice-Etienne Gerard)(1773年 - 1852年), 授与年:1830年
  • ベルトラン・クローゼル(Bertrand, comte Clauzel)(1772年 - 1842年), 授与年:1831年
  • エマニュエル・ド・グルーシー(1766年 - 1847年), 授与年(再):1831年
  • ジョルジュ・ムートン, ロバウ伯(Georges Mouton, comte de Lobau)(1770年 - 1838年), 授与年:1831年
  • シルヴァン・シャルル・ヴァレ(Sylvain Charles, comte Valee)(1773年 - 1846年), 授与年:1837年
  • オラース・セバスティアニ(Francois Horace Sebastiani)(1772年 - 1851年), 授与年:1840年
  • ジャン=バティスト・ドルーエ、エルロン(デルロン)伯爵(1765年 - 1844年), 授与年:1843年
  • トマ・ロベール・ブジョー(1784年 - 1849年), 授与年:1843年
  • オノレ・シャルル・レイユ(Honore, comte Reille)(1775年 - 1860年), 授与年:1847年
  • ギヨーム・ドード, ラ・ブリュヌリー子爵(Guillaume Dode, vicomte de la Brunerie)(1775年 - 1851年), 授与年:1847年

第二共和政

ナポレオン3世(大統領)(1848年 - 1852年)

  • ジェローム・ボナパルト(1784年 - 1860年)ヴェストファーレン国王 授与年:1850年
  • レミ・ジョゼフ・イシドール, エグゼルマン伯(Rémy Joseph Isidore, comte Exelmans)(1775年 - 1852年), 授与年:1851年
  • ジャン=イシドール・アリスプ(1768年 - 1855年), 授与年:1851年
  • ジャン=バティスト・フィリベール, ヴァイヨン伯(Jean-Baptiste, comte Vaillant)(1790年 - 1872年), 授与年:1851年
  • アシル・アルマン・ジャック・ル・ロワ・ド・サンタルノー(Achille Armand Jacques Le Roy de Saint-Arnaud)(1798年 - 1854年), 授与年:1852年
  • ベルナール・ピエール・マニャン(Bernard Pierre Magnan)(1791年 - 1865年), 授与年:1852年
  • エスプリ・ヴィクトル・ボニファス, カステラーヌ侯(Esprit Victor Boniface, marquis de Castellane)(1788年 - 1862年), 授与年:1852年12月2日

フランス第二帝政

ナポレオン3世(皇帝)(1852年 - 1870年)

  • アシル・バラゲ・ディリエ(Achille, comte Baraguey d’Hilliers)(1795年 - 1878年), 授与年:1854年
  • エマーブル・ペリシエ, マラコフ公(Aimable Pélissier)(1794年 - 1864), 授与年:1855年
  • ジャック・ルイ・セザール, ランドン伯(Jacques Louis Cesar, comte Randon)(1795年 - 1871年), 授与年:1856年
  • フランシス・セルタン・ドゥ・カンロベール(Francois Certain de Canrobert)(1809年 - 1895年), 授与年:1856年
  • ピエール・ジョゼフ・フワンソワ・ボスケ(Pierre Joseph François Bosquet)(1810年 - 1861年), 授与年:1856年
  • パトリス・ド・マクマオン(1808年 - 1893年), 授与年:1859年
  • オーギュスト・ミシェル・エティエンヌ, ルニョー・ド・サン=ジャン=ダンジェリ伯(Auguste Michel Etienne, comte Regnault de Saint-Jean-d’Angely)(1794年 - 1870年), 授与年:1859年
  • アドルフ・ニール(Adolphe Niel)(1802年 - 1869年), 授与年:1859年
  • フィリップ・アントワーヌ, オルナノ伯(Philippe Antoine, comte d’Ornano) (1784年 - 1863年), 授与年:1861年
  • エリ・フレデリック・フォレ(Élie Frédéric Forey)(1804年 - 1872年), 授与年:1863年
  • フランソワ・アシル・バゼーヌ(1811年 - 1888年), 授与年:1864年
  • エドモン・ルブーフ(Edmond Le Bœuf)(1809年 - 1888年), 授与年:1870年

第三共和政

レイモン・ポアンカレ(1913年 - 1920年)

  • ジョゼフ・ジョフル(1852年 - 1931年), 授与年:1916年
  • フェルディナン・フォッシュ(1851年 - 1929年), 授与年:1918年
  • フィリップ・ペタン(1856年 - 1951年), 授与年:1918年

アレクサンドル・ミルラン(1920年 - 1924年)

  • ジョゼフ・ガリエニ(1849年 - 1916年), 授与年:1921年(死後追号)
  • ユベール・リヨテ(Hubert Lyautey)(1854年 - 1934年), 授与年:1921年
  • ルイ・フランシェ・デスパレ(Louis Franchet d'Esperey)(1856年 - 1942年), 授与年:1921年, ユーゴスラヴィアのヴォイヴォダの称号も受けた。
  • エミール・ファイヨル(Émile Fayolle)(1852年 - 1928年), 授与年:1921年
  • ミシェル・モヌーリ(Michel Maunoury)(1847年 - 1923年), 授与年:1923年(死後追号)

第四共和政

ヴァンサン・オリオール(1947年 - 1954年)

  • ジャン・ド・ラトル・ド・タシニー(Jean de Lattre de Tassigny)(1889年 - 1952年), 授与年:1952年(死後追号)
  • アルフォンス・ジュアン(Alphonse Juin)(1888年 - 1967年), 授与年:1952年
  • フィリップ・ルクレール(1902年 - 1947年), 授与年:1952年(死後追号)

第五共和政

フランソワ・ミッテラン(1981年 - 1995年)

  • マリー・ピエール・ケーニグ(Marie-Pierre Kœnig)(1898年 - 1970年), 授与年:1984年(死後追号)

脚注

参考文献

  • Comte Louis d'Harcourt, Connetable et Marechaux de France, Emile Paul Freres, Paris, 1913 (2 vol.)
  • Genevieve Maze-Sencier, Dictionnaire des marechaux de France du Moyen Age a nos jours, Perrin, Paris, 2000
  • Simon Surreaux, Les Marechaux de France des Lumieres, Histoire et Dictionnaire d'une elite militaire dans la societe d'Ancien Regime, SPM, Paris, 2013

関連項目

  • フランス大元帥

外部リンク

  • Galeries historiques du Palais de Versailles, à partir de la page 171

フランス元帥


愛の世界


愛の世界


愛の世界』(あいのせかい、英題:With Love From Teresa Teng)は、テレサ・テンの日本での初のカバー・アルバムである。1976年4月1日にポリドール・テープ・グループからカセットテープ(カセット品番:CR 8531)、カートリッジ(品番:OR 8531)、4曲入り非売品特別宣伝盤(品番:KI 2208)形式でリリースされた。全20曲収録(内14曲新録)。

概要

本作は邦楽、洋楽ポップスをカバーしており、テレサ・テン自身の既発表曲「空港」・「雪化粧」なども収録されている。

2016年5月4日にユニバーサル ミュージックより初CD化(規格品番:UPCY-9469)された。CDではカセットテープのジャケット写真と異なり、デビューシングル「今夜かしら明日かしら」のジャケット写真の別カットが使用されている。CDレーベル面はポリドールをイメージした赤みがかったオレンジ色のデザインが特徴。CD帯のキャッチコピーは「1976年にカセットのみで発売された、テレサの邦楽、洋楽POPSのカバー集。」。

Turnbull & Asser

批評

CDジャーナルは、「アジアの歌姫として、日本や台湾を中心に絶大な人気を誇ったテレサ・テンが、1976年に発表したカヴァー・アルバム。「シクラメンのかほり」「ジャンバラヤ」「マイ・ウェイ」など、洋邦の名曲を歌い上げる。」と評した。

曲目リスト

※カセットテープとCD版では収録曲順が異なる。

カセットテープ
  1. マイ・ウェイ(My Way) <カバー/フランク・シナトラ/1969.3>
    作詞:G. Thibaut/Paul Anka、訳詞:中島潤、作曲:Claude Francois/J. Revaux、編曲:森岡賢一郎
  2. 雪が降る(Tombe La Neige) <カバー/サルヴァトール・アダモ/1963>
    作詞・作曲:サルヴァトール・アダモ、訳詞:安井かずみ、編曲:森岡賢一郎
  3. 追憶(The Way We Were) <カバー/バーブラ・ストライサンド/1973.11>
    作詞:Alan Bergman, Marilyn Bergman、作曲:Matvin Hamlish、編曲:森岡賢一郎
  4. 愛の終りに <カバー/布施明/1971.4.20>
    作詞:島津ゆうに、作曲:クニ河内、編曲:田辺信一
  5. 別れの朝 <カバー/ペドロ&カプリシャス/1971.10.25>
    作詞:J. Fuchsberger、訳詞:なかにし礼、作曲:U. Jurgens、編曲:田辺信一
  6. シクラメンのかほり <カバー/布施明/1975.4.10>
    作詞・作曲:小椋佳、編曲:森岡賢一郎
  7. ある愛の詩(Love Story) <カバー/フランシス・レイ/1970>
    作詞:カール・シグマン、作曲:フランシス・レイ、編曲:森岡賢一郎
  8. ウナ・セラ・ディ東京 <カバー/ザ・ピーナッツ/1964.9>
    作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、編曲:田辺信一
  9. やさしく歌って(Killing Me Softly With His Song) <カバー/ロバータ・フラック/1973.1.21>
    作詞:Norman Gimbel、作曲:Charles Fox、編曲:田辺信一
  10. 幸せの黄色いリボン(Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree) <カバー/トニー・オーランド&ドーン/1973.2.19>
    作詞:Russell Brown、作曲:Irwin Levine、編曲:森岡賢一郎
  11. 終着駅 <カバー/奥村チヨ/1971.12.25>
    作詞:千家和也、作曲:浜圭介、編曲:田辺信一
  12. 心もよう <カバー/井上陽水/1973.9.21>
    作詞・作曲:井上陽水、編曲:田辺信一
  13. ジャンバラヤ(Jambalaya (On the Bayou)) <カバー/ハンク・ウィリアムズ/1952.7.19>
    作詞・作曲:ハンク・ウィリアムズ、編曲:森岡賢一郎
  14. この胸のときめきを(You Don't Have to Say You Love Me) <カバー/ダスティ・スプリングフィールド/1966.3.28>
    作詞・作曲:P. donaggio/V. Wickham/V. Pallavicini & B.S. Napier、編曲:森岡賢一郎
  15. あなた <カバー/小坂明子/1973.12.21>
    作詞・作曲:小坂明子、編曲:森岡賢一郎
  16. 襟裳岬 <カバー/森進一/1974.1.15>
    作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎、編曲:森岡賢一郎
  17. グッドバイ・マイ・ラブ <カバー/アン・ルイス/1974.4.5>
    作詞:なかにし礼、作曲:平尾昌晃、編曲:森岡賢一郎
  18. 逃避行 <カバー/麻生よう子/1974.2.21>
    作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:森岡賢一郎
  19. 空港
    作詞:山上路夫、作曲:猪俣公章、編曲:森岡賢一郎
  20. 雪化粧
    作詞:山上路夫、作曲:猪俣公章、編曲:森岡賢一郎
CD
  1. シクラメンのかほり [4:41]
  2. 心もよう [3:10]
  3. 別れの朝 [3:46]
  4. 逃避行 [3:23]
  5. ジャンバラヤ(Jambalaya(On the Bayou)) [3:36]
  6. ある愛の詩(Love Story)(Where Do I Begin) [3:34]
  7. 追憶(The Way We Were) [3:24]
  8. 雪化粧 [3:40]
  9. ウナ・セラ・ディ東京 [2:59]
  10. 愛の終りに [3:28]
  11. 雪が降る [3:21]
  12. 終着駅 [3:12]
  13. あなた [4:36]
  14. 襟裳岬 [4:20]
  15. グッドバイ・マイ・ラブ [3:28]
  16. この胸のときめきを(You Don't Have To Say You Love Me) [2:39]
  17. 幸せの黄色いリボン(Tie a Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree) [3:05]
  18. やさしく歌って(Killing Me Softly With His Song) [4:21]
  19. 空港 [3:45]
  20. マイ・ウェイ(My Way) [2:59]

脚注

外部リンク

  • 愛の世界 - テレサ・テン - UNIVERSAL MUSIC JAPAN

愛の世界


恋はシャンソン


恋はシャンソン


恋はシャンソン」(こいはシャンソン、Chanson Populaire)は、1973年にクロード・フランソワがヒットさせた、ジャン・ピエール・ブルテール (Jean-Pierre Bourtayre) 作曲、ニコラス・スコースキー (Nicolas Skorsky) 作詞のシャンソンの楽曲。

多数のカバーがあり、フランス国内のみならず、スリー・ディグリーズや篠原涼子によるシングルなどがある。

楽曲

  • Claude François - Chanson populaire (Ça s'en va et ça revient) - YouTube

篠原涼子のシングル

恋はシャンソン」(こいはシャンソン)は、1991年1月21日に発売された篠原涼子のソロデビューシングル。

表題曲の「恋はシャンソン」はソロ名義・東京パフォーマンスドール含め、アルバムには未収録である。カップリング曲の「カメレオン・カフェ」は東京パフォーマンスドールの1stアルバム『Cha-DANCE Party Vol.1』にも収録されている。

収録曲

  1. 恋はシャンソン
    作詞・作曲:N.Scornik、J.P.Bourtayre/日本語詞・編曲:in Voice
  2. カメレオン・カフェ(TIRAMISU MIX)
    作詞・作曲:Angelo La Bionda、Carmelo La Bionda/日本語詞:神野々子/編曲:T.Tashiro-MST

恋はシャンソン


Ken's Bar III


Ken's Bar III


Ken's Bar III』(ケンズ バー・スリー)は、平井堅通算3枚目のコンセプト・カバー・アルバム。2014年5月28日にアリオラジャパンから発売された(ソニー・ミュージックエンタテインメント系列)。規格品番はDVD-Video付の初回生産限定盤AがBVCL-590/591、ボーナス・ディスク(CD-DA)付の初回生産限定盤BがBVCL-592/593、通常盤がBVCL-594。

解説

インストゥルメンタルを除いて自作曲を封印し、ボーカリストに徹したカバー・アルバムの第3弾。通例通り、カバー中心であるがゆえに公式ディスコグラフィでは、「コンセプト・カヴァー・アルバム」という名称のカテゴリーで他のスタジオ・アルバムと分けられることがある。また本作は、デフスターレコーズからアリオラジャパンへレコードレーベルを移籍してから初となったCDアルバムである。アルバムとしては、前作『JAPANESE SINGER』(2011年6月8日発売:DFCL-1786)から約3年ぶりとなり、本作発売日時点では21世紀に入ってから最長ブランクを経た作品となった。

本作のテーマについて、平井堅自身は「今回のテーマはずばり「トライ」。敢えて苦手な曲調や、1つの楽器と歌だけでどこまで出来るか等々、チャレンジ精神ビンビンで録音しました。」と述べている。ディスクジャケットはニューヨークに実在するライブハウスで撮影され、『Ken's Bar』(2003年12月10日発売:DFCL-1122)や『Ken's Bar II』(2009年5月27日発売:DFCL-1504)のディスクジャケットと同じ場所である。前二作は黒を基調としたアートワークであったが、本作では白を全面に打ち出している。

CDパッケージは、DVD-Videoが付属した初回生産限定盤AとボーナスCD-DAが付属した初回生産限定盤B、通常盤の3種で発売された。初回生産限定盤Aのみ特殊ダブル紙ジャケット仕様で、2013年5月30日に日本武道館で行われた「Ken's Bar 15th Anniversary Special!!! Vol.1 LIVE VIEWING EDITION at 日本武道館」公演を収録したDVDと、別紙で収録内容を記載したフライヤーが封入されている。ほか、初回生産限定盤Bのみスリーブ・ケース仕様で、Blue Note Tokyo公演(2014年2月開催)でのライブ音源を収録したボーナスCDが封入されている。ライブ・アルバムの公式発売は1995年の歌手デビュー以来、初めてとなった。なお、ボーナスCDが付属する形態は、企画盤『Ken Hirai 15th Anniversary c/w Collection '95-'10 “裏 歌バカ”』(2010年11月10日発売:DFCL-1710/1712)に付属したディスク3の『Kh re-mixed up 2』以来である。ディスクジャケットは3種とも別カットが使用されている。

封入ブックレットには、音楽ライター(島田諭)によるライナーノーツが掲載された。また、収録曲のうち、「やつらの足音のバラード」がグローバルワークのコマーシャルソングに起用された。

楽曲エピソード

『Ken's Bar』では坂本九「見上げてごらん夜の星を」、『Ken's Bar II』では美空ひばり「Stardust」と、故人の音声とデュエット仕上げで制作した音源が収録されたが、本作では過去にイベントでの共演があったロバータ・フラックとのデュエット「KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG」が収められた。

Turnbull & Asser

収録曲

CD-DA

初回生産限定盤A、初回生産限定盤B、通常盤共通
  1. Open(0分39秒)
  2. even if -instrumental-(4分22秒)
    • 作曲: 平井堅、編曲: 大江千里(pf)
  3. 家族になろうよ(5分9秒)
    • 作詞・作曲: 福山雅治、編曲: 松浦晃久(pf)
  4. 順子(3分56秒)
    • 作詞・作曲: 長渕剛、編曲: 石成正人(ag)
  5. WE'RE ALL ALONE (4分19秒)
    • 作詞・作曲: William R. Royce Scaggs、編曲: 鈴木大(pf)
  6. いとしのエリー(5分41秒)
    • 作詞・作曲: 桑田佳祐、編曲: 石成正人(eg)
  7. Love Is Blind(2分47秒)
    • 作詞・作曲: Janis Ian、編曲: 亀田誠治(ba)
  8. Intermission(1分12秒)
    • 作曲: 平井堅、編曲: 鈴木大(pf)
  9. Virtual Insanity(5分0秒)
    • 作詞・作曲: Jason Kay・Wallis Buchanan・Simon Katz・Derrick McKenzie・Toby Smith・Stuart Zender、編曲: URU
  10. 切手のないおくりもの(3分37秒)
    • 作詞・作曲: 財津和夫、編曲: 大橋トリオ(cho)
  11. タイミング(3分43秒)
    • 作詞: 森浩美・ブラックビスケッツ、作曲: 中西圭三・小西貴雄、編曲: 押尾コータロー(ag)・田中直
  12. やつらの足音のバラード(3分5秒)
    • 作詞: 園山俊二、作曲: かまやつひろし、編曲: 弦一徹(vn)、ストリングス: 弦一徹ストリングス
  13. KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG(4分32秒)
    • 作詞・作曲: Chales Fox・Norman Gimbel、編曲: Katreese Barnes
    • Collaboration with: Roberta Flack (vo) - アメリカ出身のソウル・シンガー
  14. マイ・ウェイ(5分51秒)
    • 作詞・作曲: Paul Anka・Claude Francois・Lucien Thibaut・Jacques Revaux、日本語訳詞: 片桐和子、編曲: 松浦晃久(pf)
  15. Close(0分39秒)

DVD-Video

初回生産限定盤Aのみ
  1. even if
  2. 僕は君に恋をする
  3. 少女A(原曲歌唱: 中森明菜)
  4. Overjoyed(原曲歌唱: スティーヴィー・ワンダー)
  5. 桔梗が丘
  6. 瞳をとじて
  7. LIFE is...
  8. 告白
  9. なごり雪(原曲歌唱: かぐや姫)
  10. 太陽と埃の中で(原曲歌唱: CHAGE and ASKA)
  11. 君の好きなとこ
  12. 君はス・テ・キ
  13. POP STAR
  14. Love Love Love
  15. マイ・ウェイ

Bonus CD-DA

初回生産限定盤Bのみ
  • Ken's Bar BEST SONG COLLECTION -Live at Blue Note Tokyo-
  1. even if(6分21秒)
  2. 楽園(6分5秒)
  3. 告白(4分9秒)
  4. 瞳をとじて(6分1秒)
  5. LIFE is... (4分49秒)
  6. 僕は君に恋をする(5分27秒)
  7. 哀歌(エレジー)(5分37秒)
  8. 君の好きなとこ(5分28秒)
  9. KISS OF LIFE(5分17秒)
  10. POP STAR(5分20秒)
  11. Love Love Love(6分14秒)

原曲

  • even if - 平井堅の11枚目のシングル。CD発売前から歌われていた「Ken's Bar」のシンボル的な楽曲。
  • 家族になろうよ - 福山雅治の2011年の楽曲。ゼクシィ(リクルート発行)のコマーシャルソング。
  • 順子 - 長渕剛の1980年の楽曲。同年のオリコン年間シングルチャート第5位。ちなみに平井はこの曲を歌うことについて、「僕と長渕剛さんって、対極というか相当かけはなれたイメージだと思うのですが(中略)そこに僕なりの湿度を投入しました」といったコメントをしている。
  • WE'RE ALL ALONE - ボズ・スキャッグスの1976年の楽曲。アルバム『シルク・ディグリーズ』収録曲。
  • いとしのエリー - サザンオールスターズの1979年の楽曲。のちにTBS系テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』主題歌に起用された。平井はかねてからサザンの大ファンを公言しており、桑田佳祐との親交もある。
  • Love Is Blind - ジャニス・イアンの1976年の楽曲。邦題「恋は盲目」。アルバム『愛の余韻』収録曲。
  • Virtual Insanity - ジャミロクワイの1996年の楽曲。アルバム『Travelling Without Moving』収録曲。
  • 切手のないおくりもの - 財津和夫の1977年の楽曲。NHK『歌はともだち』『みんなのうた』で使用された。
  • タイミング - 中西圭三らが制作してブラックビスケッツが歌った1998年の楽曲。同曲でNHK紅白に出演。
  • やつらの足音のバラード - 1974年のテレビアニメ『はじめ人間ギャートルズ』エンディング曲。
  • KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG - 1973年にリーバーマンが歌唱、のちにロバータ版がヒットした。邦題「やさしく歌って」。
  • マイ・ウェイ - フランク・シナトラの1969年の楽曲のほか、カバーも多数存在するスタンダード。日本国内では布施明らが日本語歌詞で歌った。

ライブ「Ken's Bar」

Ken's Bar#ライブ「Ken's Bar」参照

脚注

関連項目

  • ポイント - 「GLOBAL WORK」を展開していた企業(2015年3月、アダストリアホールディングスに吸収合併)、「やつらの足音のバラード」をCMに起用

Ken's Bar III


蒸気船


蒸気船


蒸気船(じょうきせん)とは、蒸気機関を用いスクリュー・プロペラや外輪を廻すことより推進する船のことである。蒸汽船汽船ともいう。

一般に蒸気船といえば石炭を燃料とする古典的な船のことを指し、蒸気タービンや原子力による蒸気機関を持つ船は蒸気船と呼ばれない。

歴史

蒸気船の登場は、それまで大型船舶の主要な地位を占めていた帆船を最終的には実用船としての表舞台から駆逐することになるが、蒸気船も外輪船時代は帆船と優劣を争っていた。実際この間に、蒸気機関を備えた帆船(汽帆船)が多く造られた。

蒸気船と帆船の争いとは別に、港内や狭い水路でのはしけや人車の輸送などを行なっていた曳き船は、それまで人力か、又は扱いにくい帆走で推進されていたが、蒸気機関の登場で速やかに小型蒸気船が導入されていった。

やがて、スクリュープロペラの登場によって蒸気船は実用船として主要な位置を占めてゆく。

欧米の蒸気船

最初の蒸気船

世界最初の実用的な蒸気船は、1783年にフランス人であるクロード・フランソワ・ドロテ・ジュフロワ・ダバン ( Claude-Francois-Dorothee, marquis de Jouffroy d'Abbans ) によって作られた。

1788年2月1日に、アイザック・ブリッグスとウィリアム・ロングストリートによって、蒸気船の特許は取得されている。1791年にはアメリカでジョン・フィッチらが蒸気船の特許を得ている。しかし、ロバート・フルトンが、1809年2月11日に改良設計した特許を取得し、商業的に成功した。

ロバート・フルトンは、外輪式蒸気船「クラーモント号」を開発し、1807年8月17日にハドソン川で乗客を乗せた試運転に成功したことでも知られている。このため、一般には(実用的な乗り物としての)蒸気船を発明したのはフルトンだという印象が定着している。

外輪船

外輪のアイデアはローマ時代からあった事が確認されているが、人力駆動ではオールの方が適していた。

初期の蒸気船は、船の側面か後ろに石炭を燃料としたレシプロ機関の力によって動く外輪、または外車とも呼ばれる大きな推進器を持った外輪船、外車船(パドル・ホイーラー)であった。この外輪船は正しくパドルで水面を掻くために喫水を一定に保つ必要があったが、水深が浅くても走れるため穏やかな河や沿岸を航行するには適していた。しかし、左右舷側配置の外輪では、駆動軸の設計や製造が簡単な代わり、波浪や流氷などで外輪が破損したり、波高や船体の傾きによって左右の推進力が一定に伝わらないこと、また、効率の低いボイラーが大量に消費する石炭を積む必要がある、といった問題があり、外洋航海には適していなかった。その後、給炭地の整備や蒸気機関の改良などによって航続距離が伸び、外洋を横断できるまでになった。

1829年にフランスのエリアン・ガロウェーは、パドルが常に垂直になるように改良した外輪を考案した。

軍艦と商船

商船は早い段階で外輪による蒸気船(パドル・スチーマー)へと替わって行ったが、船の中央を蒸気機関に占領されていたため、帆船に比べ船倉は小さくなり、機関前後の空間に燃料庫と共に配置された。

一方、軍艦の大型艦に蒸気機関が採用されたのはそれよりも遅かった。19世紀初頭において、海戦の主力は戦列艦とフリゲートであった。特にフリゲートは、幅広い任務の実行力と快速力を併せ持ち、イギリス、フランス、オランダなど各国で建造されていたが、汽走フリゲートの大々的な運用は遅れていた。その理由として、舷側の目立つ場所に大きく露出した脆弱な外輪は、敵の攻撃を少しでも受ければ容易に被害を受けて艦の推進手段を失うと考えられたことや、当時の戦列艦を含めフリゲートの有力な攻撃手段であった乾舷に大砲の砲門を設ける余地が、大きな外輪によって限られることを嫌ったことである。

海戦においての2件の実例では、片側の外輪を使えなくても、速力を減じながら大我なく自力航行が可能であったが、汽走フリゲートが普及するのは、蒸気機関そのものの性能向上やスクリュー・プロペラの実用性が一般に認められてからとなった。

しかし、アヘン戦争、それに続くアロー戦争での白河遡行や第3次ビルマ戦争 (Third Anglo-Burmese War) では、河川や近海という条件に恵まれたため、蒸気船の優位が証明された。これにより、兵員輸送船、河船や小型砲艦の汽船化が主力艦に先立って普及した。

スクリュープロペラの登場

18世紀末頃から19世紀初めにかけて、多数のスクリュープロペラが考案されたが実用には用いられなかった。

イギリスのフランシス・ペティ・スミスが1836年5月31日にスクリュープロペラの特許を取り、「フランシス・P・スミス」号(6トン)を造り2ピッチの長いスクリュープロペラでの実験を始めた。偶然水中でプロペラが破損した後で船速が上がり、この後、1ピッチのものに変更して5.5ノットまで速度を上げられた。出資者が得られたため、シップ・プロペラ社を設立して本格的なスクリュー船の建造を始めた。スミスはその後、ラトラー号のスクリュープロペラを設計する。

同時期に、スウェーデン人ジョン・エリクソンはスミスの6週間後に特許を取り、翌1837年に船長14mの「フランシス・B・オグデン」号を造ってロンドンのテムズ川で100トンの石炭はしけ4隻を5ノットで曳いて見せた。英海軍高官は水面下で推進軸のための穴を嫌い、直進性が欠けているはず、風に対して不安定という評価によって軍艦へは不採用となった。

翌年の1838年には36トンの「ロバート・F・ストックトン」号を造ったが、イギリスでは進展が得られなかったため、1839年に帆走によって米国へ渡った。ストックトン号はプロペラを2つから1つに改造を受けた後、デラウェア川の曳き船となった。エリクソン自身はその後、米海軍の造船に協力した。

その後、徐々にスクリュープロペラを備えた船が造られるが、まだ帆船が主体であり、蒸気船でも外車によって推進されるものが主体であった。1850年の船舶総トン数では帆船9に対して蒸気船1の比率であった。

ラトラー対アレクト

1845年3月、イギリス海軍はスクリュープロペラと外輪の性能比較を行なうため、スクリュープロペラを備えた867トンのラトラー号と800トンの外輪蒸気軍艦アレクト号を風向きや帆走併用など条件を変えて競走させた。いずれもラトラーが勝ち、最後に綱引きを行なわせた結果、ラトラーが2.8ノットでアレクトを曳航したことで、ラトラーのスクリュープロペラが有効であると結論付けられた。

イギリス海軍では、1809年に建造された帆走74門戦列艦エイジャックス号が1846年にスクリュー推進の汽走戦列艦に改装された。初の汽走90門戦列艦はフランス海軍のナポレオン号が1850年に完成し、イギリス海軍でも1852年には最初から汽走91門戦列艦として建造されたアガメムノン号が就役した。

イギリスとフランスでは汽走軍艦の広範な建艦競争が始まる。両国が1853年のクリミア戦争に参戦する要因となったシノープ海戦、そして、過去のアヘン戦争など、浅瀬で激しい抵抗に出くわした場合、機動力に富んだ喫水の浅い汽走砲艦が有利であることは認識されていた。

外輪蒸気船の終焉

19世紀の大半と20世紀の前半にミシシッピー川で行われた貿易は、外輪式蒸気船によって行われた。現在も残っている船は僅かで、殆どの船は酷使によるボイラーの爆発か火災で消失している。1900年の船舶総トン数では帆船4に対して蒸気船6の比率であった。

蒸気タービンの登場

19世紀末、チャールズ・アルジャーノン・パーソンズによって蒸気タービンが開発された。

20世紀初頭まではレシプロ式の蒸気機関を搭載した大型船が建造されてきたが、第一次大戦後は次第にタービン式が主流となる。

蒸気タービンはレシプロ式蒸気機関に比べ振動・騒音が少なくて熱効率が高いという特徴がある。レシプロ式では3段膨張式があったが、タービン式であれば蒸気の膨張を最大限に利用できるので優れている。各タービンでは逆回転は出来ないために、逆転用タービンを備えるか、可変ピッチスクリューによって逆進を行なうことが多い。

蒸気ボイラーは当初、煙管式が主流であったが、高圧化が進むにつれ水管式が主流になる。水管式は水垢(スケール)の付着を防ぐ為に供給する清水の品質管理が求められる。タービンを回転させた蒸気は海水によって冷却された復水器によって再び液体に戻され蒸気ボイラーで循環使用される。

またこの時期、燃料も石炭から重油へと移行していった。

中国への影響

清では、1757年から対外的な貿易の港として広州のみを開港していたが、アヘン戦争の結果、1842年の南京条約により、福州・厦門・寧波・上海も開港することになった。これらの開港によって、それまで貿易に使用されていた木造帆船のジャンク船に代わって、中国とシャムとの貿易などに蒸気船が用いられることが多くなった。

中国は蒸気船を用いた海運会社の育成を試みたが、当時の企業経営は非効率で、欧米の海運会社と競争することは難しかった。帆船は風の影響を受けやすく、航海の規則性で劣っており、アジア内部の物流でも欧米、特にイギリス船による物流が中心となった。

日本への影響

黒船来航

日本へもアヘン戦争などでの蒸気船の活躍の情報は、オランダ風説書や輸入書物によって少しずつ伝わっていた。1843年(天保14年)には幕府がオランダ商館長に、蒸気船の輸入や長崎での建造を照会するなどしていた。

実物の蒸気船が日本を訪れたのは、1853年の黒船来航が初めてである。1853年7月8日、浦賀沖に現れた4隻のアメリカ海軍の軍艦は、2隻の外輪蒸気フリゲート「サスケハナ」、「ミシシッピ」が、帆走スループの「サラトガ」、「プリマス」を曳航して江戸湾内へ侵入してきた。来航した黒船のうち2隻が蒸気船であった。

翌1854年、ペリー提督は再び3隻の外輪蒸気フリゲート「ポーハタン」、「サスケハナ」、「ミシシッピ」と帆走スループ「レキシントン」、「マセドニアン」、「ヴァンダリア」、「サラトガ」、「サプライ」の5隻、外輪汽帆補給艦「サザンプトン」、計9隻が浦賀沖に現れた。

外国製蒸気船の配備

黒船来航で、蒸気船の威力を目の当たりにした江戸幕府は、大船建造の禁が解かれ、蒸気船を含む西洋式艦船の整備が着手された。帆船は日本での製造もすぐに行われたが、技術的により高度な蒸気船は、外国製のものの導入が中心となった。

日本人が最初に入手した蒸気船は、1855年にオランダから寄贈された外輪式コルベット「スンビン」(スームビング)で、「観光丸」と改名された。スクリュー式蒸気船としては、同じくオランダ製のコルベット「咸臨丸」(1857年就役)が最初である。

以後、幕府海軍のほか、薩摩藩や佐賀藩、長州藩などの雄藩を始めとして続々と蒸気船の取得を進めた。幕末に蒸気船を取得したのは幕府のほか19藩で、総数は80隻以上に上った。その多くは中古の商船で、武装を施されて軍艦兼用として運用された。

蒸気船の建造

日本で最初に建造された蒸気船は、1855年に薩摩藩が竣工させた「雲行丸」である。それまでに「昇平丸」など西洋式帆船の建造を進めていた薩摩藩は、黒船来航前の1851年から蒸気機関の製造も試みていた。オランダの書物を翻訳して参考とし、1855年7月に江戸藩邸において陸上での試運転に成功した。そして、同年8月に薩摩から回航した「雲行丸」への搭載を行い、日本初の蒸気船とした。同船は全長54尺(16.4m)で、推進方式はサイドレバー式の外輪船だった。同船は単なる実験船にとどまらず、連絡用などとして実用された。もっとも、書物のみを参考に製造されたため、設計出力よりもかなり低い性能しか発揮できなかった。

また、嘉永6年(1853年)、佐賀藩の精錬方であった田中久重、中村奇輔、石黒寛二らによって外国の文献を頼りに蒸気機関車や蒸気船の雛型 (模型) が製作された。

このほか、宇和島藩でも、藩主伊達宗城が村田蔵六に命じてオランダの書物を翻訳させ、嘉蔵という提灯屋の男(前原巧山)を製造担当者として実験的な蒸気船を1855年に完成させている。

実用的な国産蒸気船としては、佐賀藩が三重津海軍所で建造した「凌風丸」(1865年竣工・外輪式)が最初と言われ、ほか幕府が建造した軍艦「千代田形」(1866年竣工・スクリュー式)がある。同じく幕府建造船として「先登丸」という船もあるが、詳細は明らかでない。

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現代の蒸気船

推進機関のディーゼル化やガスタービン化が進み、蒸気によって推進する船は比較的少数の限られた船種や艦種だけになっている。

大型LNGタンカー
LNGタンカーの登場初期から輸送貨物であるLNGが輸送中に蒸発した天然ガス(ボイルオフガス、BOG)を蒸気タービンエンジンの燃料とされてきたが、21世紀初頭現在ではLNGの価値が高まったために、BOGの再液化によって輸送液量を減らさず、他の大型貨物船と同様にA重油やC重油を使った低速回転2ストロークディーゼルエンジンを採用する船が多くなってきている。
原子力空母、原子力潜水艦、砕氷船
原子力空母では原子炉で造られた高熱で蒸気を発生させてタービンを回す。原子力発電に似た推進プラントは航続力を半永久的なまでに伸ばせるので長距離を高速移動する軍艦には向く。特に空母ではカタパルトを動かす際に蒸気の残量を考慮せずに済む上、排煙や煙突による気流の乱れを考慮せずに済む、電力に余裕があるので機器や艦載機の更新に対応しやすい、重油を搭載せずに済むので弾薬や航空機を搭載するスペースが広く確保できるなどのメリットがある。原子力潜水艦では酸素を必要としないのでさらに適する。ロシアの数隻の砕氷船は軍艦と同様に原子力プラントを備える。
保存船
世界各地の保存団体や愛好家の間で現在でもレシプロ式の蒸気船が運航される。新たに建造される例もある。日本では2000年代初頭に青森のみちのく北方漁船博物館で『みちのくロードアイランド号』が運行された。2016年現在は『青い風号』が、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸などを運営する特定非営利活動法人“あおもりみなとクラブ”によって運行されている。他に2000年代に愛好家によって『PINOCCHIO号』、『英光丸』が建造された。
アトラクション
ディズニーパークのアトラクションとして、パーク内で閉じた環状の「アメリカ川」を周遊する「蒸気船マークトウェイン号」が運航されている。因みに東京ディズニーランドで見られるものは、日本製の蒸気船としては最も新しい蒸気船である。

名前

英語圏では船名の前に Steam Ship または Screw-driven Steamship の意味で、艦船接頭辞「SS」または「S/S」をつける習慣がある。

有名な蒸気船

  • シリウス号(アイルランド、SS Sirius, 1837) - 建造段階から「グレート・ウェスタン」「ブリティシュクイーン」(1839年完成)との蒸気船3隻による太西洋初横断記録の競走となり、見事勝利して1838年に初めて蒸気機関の力のみを利用して大西洋横断に成功した定期航路蒸気船である。1838年3月28日ロンドン発(4月4日コーク寄港)~4月22日(午後10時ハミルトン要塞沖投錨)ニューヨーク着。平均速度6.7kt。石炭450トンやロジンなど全ての燃料が尽きたため最後の数日間は船内の木製調度品を炉にくべていた。(元沿岸航海用外輪蒸気船、703総トン、船長60.9m、船幅7.62m、2本マスト、320馬力、9kt) その後の1847年1月16日、コークとバリコットンの沖で座礁沈没。8人乗り救命ボートに乗った数十名のうち20名死亡、本船に残り他の船に助けられた71名は怪我もなく生存。数少ない生存者の持ち物も救命艇の着いたバリコットンの近くの岸で地元民により略奪され全てが失われた。
  • グレート・ウェスタン号(イギリス、SS Great Western, 1838) - 1838年4月8日にブリストルを出発し、シリウス号に遅れること数時間でニューヨーク到着した。(遠洋航海用外輪蒸気船、1,320総トン)
  • ヴェガ号(スウェーデン、SS Vega) - 1878年、学者ノルデンショルドによって史上初めてシベリア沿岸の北東航路を制覇した蒸気船。1879年に日本の横浜港に寄港し、世界中にセンセーションをまき起した。
  • タービニア号(イギリス、Turbinia, 1897) - チャールズ・アルジャーノン・パーソンズによって開発された蒸気タービン機関を搭載した実験船。当初、海軍に購入を働きかけたが、海軍首脳部には蒸気タービンのレシプロ式蒸気機関に対する優位性が理解されず、断られた。そこで1897年ポーツマスで行われたビクトリア女王の観艦式において突然参加してデモンストレーションを行い、蒸気タービンの優位性をアピールした。
  • タイタニック号(イギリス、RMS Titanic, 1912) - 1912年4月15日、北大西洋航路で氷山に衝突し沈没した豪華客船。推進軸3軸のうち両舷の2軸を高圧蒸気によるレシプロ式蒸気エンジンで駆動し、この蒸気エンジンの排気である低圧蒸気を蒸気タービンに導き中央軸を駆動する複式蒸気機関を採用していた。

出典

関連項目

  • 艦本式タービン
  • 外輪船
  • 帆船
  • 黒船
  • 船舶工学
  • グレート・ブリテン号 (SS Great Britain)

外部リンク

  • 蒸気船 青い風号 - YouTube
  • 「英光丸」 - YouTube
  • 「蒸気船 PINOCCHIO号の冒険」 - YouTube

蒸気船


フイヤン派


フイヤン派


フイヤン派(フイヤンは、フランス語: Feuillants, Club des Feuillants)は、フランス革命期における立憲議会・立法議会の党派である。元々は1789年9月から90年末まで議会およびジャコバン・クラブを支配した三頭派として発足し、後にラファイエット派と合流しジャコバン・クラブより分裂した 同クラブの保守派がさらに三頭派と1789年クラブとが合流し結成された政治結社である。

自由主義貴族と上層ブルジョアジーを代表し、1791年憲法の維持と王権擁護をスローガンとした。立法議会では右翼を構成しジロンド派と対決したが、圧倒される。なお「フイヤン」はフイヤン修道院を本部としたことがその由来となった。

概要

フイヤン派は、元々はジャコバン派に属して多数派を形成していたグループで、フランス革命をずっと主導してきたが、ヴァレンヌ事件の対応をめぐって、共和派の台頭したジャコバン・クラブから1791年7月16日に脱退して分裂した。

政治的には立憲君主派であり、人権宣言の精神を遵守するものの、王権の不可侵・神聖を主張する自由主義貴族・右派ブルジョワ層、穏健派の集団であった。主要なメンバーとしてはラファイエット、バルナーヴ、ラメット、シエイエス、バイイらが挙げられる。ラファイエット派や三頭派など、革命初期には対立していたような人々も烏合しているのが特徴。

1791年10月1日に成立した立法議会においては右派勢力で議員264名で構成され、共和政を主張する左派勢力のジャコバン派(ジロンド派を含む)136名と対立した。フイヤン派が中心となって憲法制定国民議会で制定した立憲君主制を政体とする1791年憲法の維持を主張し、革命の沈静化に努めたが、シャン・ド・マルスの虐殺の後遺症ともいうべき不人気に悩まされ、支持が低迷した。

ピルニッツ宣言や亡命貴族の画策により、対外戦争が不可避な状態になると、ジロンド派とともに、ただしジロンド派とは異なる理由で主戦論を展開した。フイヤン派の考えとしては立憲王政の確立を目的としており、初期の勝利をもって政権を確かなものとした後で、軍隊を国境から呼び寄せてパリの共和分子を弾圧するつもりであった。しかしラファイエットやリュクネル元帥が指揮したフランス軍は貴族士官の大量亡命で弱体化しており、連戦連敗して窮地に陥った。ラファイエットと後にはデュムーリエがパリへの進撃を計画し、王室の保護という任務を果たそうと試みるが、ことごとく失敗し、大衆にはフイヤン派は反革命の王党派であると見なされるようになって、完全に革命への影響力を失った。

立法議会では、フイヤン派は1791年12月9日から責任内閣を運営したが、1792年3月10日に外務大臣ド=レッサール (Claude Antoine de Valdec de Lessartが告発を受けたことで罷免された。ルイ16世は次にジロンド派に内閣を任すが、これも6月13日に罷免され、再びフイヤン派内閣に戻るが、結局、彼らは政権運営は不可能として7月10日に総辞職した。翌日、議会は「祖国は危機にあり」の宣言を出した。8月10日事件によって王政廃止と共和政の宣言がなされると、それ以後は衰退に向い、フイヤン派議員の多くは逮捕され、何人かはギロチンに、残りは亡命を強いられた。

1795年、総裁政府期になり、反動の結果として右派勢力が復活して、元フイヤン派の議員も亡命先から帰国して復帰するが、フイヤン・クラブはもはや存在しなかったので、以後は彼らをもうフイヤン派とは呼ばず、「立憲君主派」などと呼ぶのが普通。元フイヤン派の議員は帝政期や復古王政でも活躍した。

Turnbull & Asser

脚注

注釈

出典

参考文献

  • マチエ『フランス大革命 上』ねづまさし・市原豊太訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1958年。全国書誌番号:59001236。OCLC 672899960。
  • Dendena, Francesco. "A new look at Feuillantism: the triumvirate and the movement for war in 1791," French History (2012) 26#1 pp 6–33.
  • Diefendorf, Barbara B. "A Monastery in Revolt: Paris's Feuillants in the Holy League." Historical Reflections/Réflexions Historiques (2001): 301–324.
  • Furet, Francois, and Mona Ozouf, eds. A Critical Dictionary of the French Revolution (1989) pp 343–350.
  • Schama, Simon. Citizens: A Chronicle of the French Revolution (1989).

関連項目

  • フランス革命



フイヤン派


ブリエンヌ家


ブリエンヌ家


ブリエンヌ家(フランス語:Maison de Brienne)は、シャンパーニュ発祥のフランス貴族の家系。子孫はフランス、イタリアおよび東方世界で名を遺した。

概要

ブリエンヌ家の歴史は10世紀のルイ4世の時代のアンジェルベール1世(Engelbert Ier de Brienne)にまでさかのぼる。シャンパーニュ伯の家臣として、領地の中心はブリエンヌ=ル=シャトーにあった。

ブリエンヌ家の男系は、フランス軍総司令官ゴーティエ6世が1356年に死去したことにより、断絶した。ブリエンヌ伯位はアンギャン領主家、リュクサンブール家、そしてロメニー・ド・ブリエンヌ家に継承された。ロメニー家は20世紀に断絶し、ボー家に継承されてボー・ロメニー家となった。

ブリエンヌ城は、ブリエンヌ家、アンギャン家、リュクサンブール家、ロメニー家が継承し、1851年から1933年までブフェモン家が領有した。その後、商人のロンドンシュッツ(Londonschutz)に売却され、1955年にはオーブの総議会に売却された。

ブリエンヌ家の文書がフランス国立中央文書館に収蔵されている。

Turnbull & Asser

系図

Foundation for Medieval Genealogyを参照。

関連項目

  • エティエンヌ=シャルル・ド・ロメニー・ド・ブリエンヌ

脚注

参考文献

  • François-Alexandre Aubert de La Chesnaye-Desbois et Badier, Dictionnaire de la noblesse : contenant les généalogies, l'histoire & la chronologie des familles nobles de la France, Chez la veuve Duchesne, 1775 (lire en ligne [archive])
  • Guy Laviolette, Francois de Montmorency - Laval, Collection Gloires Nationales, par Les Frères de l'Instruction Chrétienne, Procure Saint-Paul, Trois-Rivières, Québec - Canada, 1948
  • Larousse/France Loisirs, Dictionnaire des Noms Propres, Éditions 1989 (ISBN 2-7242-4416-8), 1219 p.
  • Claude Wenzler, Généalogie des rois de France, Éditions Ouest - France, 1994 (ISBN 2-7373-1529-8)
  • Emmanuelle Hubert, Origine des noms de familles, Éditions Famot, Genève, 1980, 280 p.
  • Larousse, Larousse Encyclopédique, Éditions France-Loisirs, 1977, 22 volumes

ブリエンヌ家


1974


1974


1974千九百七十四、せんきゅうひゃくななじゅうよん)は、自然数また整数において、1973の次で1975の前の数である。

性質

  • 1974は合成数であり、約数は 1, 2, 3, 6, 7, 14, 21, 42, 47, 94, 141, 282, 329, 658, 987, 1974 である。
    • 約数の和は4608。
      • 485番目の過剰数である。1つ前は1968、次は1976。
  • 397番目のハーシャッド数である。1つ前は1968、次は1980。
    • 21を基とする9番目のハーシャッド数である。1つ前は1848、次は2289。
  • 19742 + 1 = 3896677 であり、n2 + 1 の形で素数を生む207番目の数である。1つ前は1970、次は1980。
  • 4つの独立した素因数で表せる45番目の数である。1つ前は1938、次は1995。
    • 4つの独立した素因数で表せる数がハーシャッド数になる19番目の数である。1つ前は1785、次は2010。
  • 約数の和が1974になる数は2個ある。(1124, 1973) 約数の和2個で表せる118番目の数である。1つ前は1952、次は1984。
  • 各位の和が21になる62番目の数である。1つ前は1965、次は1983。
  • n = 1974 のとき nn − 1 を並べた数を作ると素数になる。nn − 1 を並べた数が素数になる164番目の数である。1つ前は1948、次は1992。(オンライン整数列大辞典の数列 A054211)

その他 1974 に関連すること

  • 西暦1974年
  • 『1974 (16光年の訪問者)』

関連項目

  • 数に関する記事の一覧

1974


1974年


1974年


1974年(1974 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。昭和49年。

他の紀年法

  • 干支:甲寅
  • 日本(月日は一致)
    • 昭和49年
    • 皇紀2634年
  • 中華民国(月日は一致)
    • 中華民国暦63年
  • 朝鮮民主主義人民共和国(月日は一致)
    • 主体63年
  • 仏滅紀元:2516年 - 2517年
  • イスラム暦:1393年12月7日 - 1394年12月16日
  • ユダヤ暦:5734年4月7日 - 5735年4月17日
  • Unix Time:126230400 - 157766399
  • 修正ユリウス日(MJD):42048 - 42412
  • リリウス日(LD):142889 - 143253
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カレンダー

できごと

1月

  • 1月 - 日本短波放送(現日経ラジオ社)のBCL番組「ハロージーガム」放送開始、BCLブームが始まる。
  • 1月15日 - 西沙諸島の戦い。
  • 1月15日 - 長崎県高島町(現長崎市)の端島(軍艦島)が炭鉱閉鎖。以降4月末までに島民全員が島を離れ無人島に。
  • 1月26日 - セキグチが「モンチッチ人形」を発売。
  • 1月31日 - シンガポールで日本赤軍がロイヤル・ダッチ・シェルの石油タンク爆破。

2月

  • 2月1日 - 永谷園が「あさげ」を発売。
  • 2月4日 - パトリシア・ハースト誘拐事件。
  • 2月13日 - ソビエト連邦がソルジェニーツィン追放。
  • 2月15日 - キヤノンが小型ビリングマシン「CANONAC(キヤノナック)100」を発売(4月10日には「500」も発売)。
  • 2月21日 - 朝日新聞朝刊に掲載されていた長谷川町子の4コマ漫画『サザエさん』の連載が長谷川の病気により連載再開すること無くこの日で終了。1946年に夕刊フクニチでの連載開始から約24年間の歴史に幕を下ろす。連載回数は通算6477回。

3月

  • 3月3日 - トルコ航空DC-10パリ墜落事故。乗客乗員346人全員死亡。
  • 3月5日 - イギリス、ウィルソン労働党内閣発足。
  • 3月6日 - 新宿住友ビル竣工。
  • 3月7日 - 福島県三島町の国道252号線で土砂崩れが発生しバスと乗用車を直撃。8名が死亡。
  • 3月8日 - シャルル・ド・ゴール国際空港が開港
  • 3月10日 - ルバング島で小野田寛郎元少尉を発見。
  • 3月12日 - 小野田寛郎陸軍少尉、フィリピンルバング島から帰還。
  • 3月30日 - この日放送のTBS『8時だョ!全員集合』で、ザ・ドリフターズのリーダーいかりや長介が荒井注のドリフターズ脱退と志村けんのドリフターズ正式加入を発表。
  • 3月31日 - 名古屋市電がこの日を以て廃止。7大都市(東京特別区含む)の内で最初に路面電車が全廃された。

4月

  • 4月1日 - 北九州市の小倉区が小倉北区と小倉南区に、八幡区が八幡東区と八幡西区にそれぞれ分区され、北九州市は現行の7区体制となる。
  • 4月1日 - シチズン時計が「クオーツ リキッドクリスタル」を発売。
  • 4月1日 - NHK総合テレビで『ニュースセンター9時』放送開始。初代キャスターは磯村尚徳。
  • 4月2日 - ジョルジュ・ポンピドゥー仏大統領が死去。
  • 4月6日 - 第46回選抜高校野球大会は兵庫・報徳学園高校が大会初優勝。しかし、同校よりも部員全11人ながら準優勝と健闘した徳島・池田高校が「さわやかイレブン」として脚光を浴びる。
  • 4月8日 - 米国アトランタ・ブレーブスのハンク・アーロン選手がプロ入り通算715本目のホームランを打ち、それまでの記録保持者だったベーブ・ルースのホームラン世界記録を塗り替えた。
  • 4月11日 - 東京・両国の日大講堂で行われたプロボクシング・WBC世界ライト級タイトルマッチで、挑戦者・ガッツ石松が王者・ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)を8回KOで破り3度目の世界挑戦で王座獲得。
  • 4月20日 - 東京国立博物館でモナ・リザ展開催(6月10日まで)。
  • 4月21日 - 中華民国当局が日本との航空路を断絶させる。
  • 4月24日 - ギヨーム事件、ブラント西ドイツ首相の秘書ギュンター・ギヨームが東ドイツ情報機関のスパイとして逮捕。
  • 4月25日 - カーネーション革命、ポルトガルの独裁体制が崩壊。別名「リスボンの春」とも呼ばれ、現在では「自由の日」として国民の休日になっている。

5月

  • 5月 - 日本熱学工業、会社更生法を申請し倒産(11月棄却、1975年3月破産)。
  • 5月3日 - 白泉社から少女漫画雑誌「花とゆめ」創刊。
  • 5月6日 - ブラント西ドイツ首相、ギヨーム事件で引責辞任。
  • 5月9日 - 伊豆半島沖地震が発生。30人が死亡、102人が負傷。
  • 5月15日 - セブン-イレブンが東京都江東区豊洲に第1号店を出店。
  • 5月18日 - インドが初の地下核実験を実施。
  • 5月24日 - 経団連第4代会長に土光敏夫が就任。
  • 5月27日 - ジャック・シラクがフランス首相に就任。
  • 5月28日 - カーペンターズが3度目の来日。3万人募集の武道館公演に38万通以上の応募ハガキが来る。
  • 5月29日 - 大阪市営地下鉄谷町線の都島駅 - 東梅田駅間が開業。

6月

  • 6月 - 2児拉致事件。
  • 6月3日 - 林刃物が「アレックスシリーズ 洋はさみ」を発売。
  • 6月4日 - 10セント・ビア・ナイト
  • 6月12日 - 豊橋事件の被告人の無罪が決定。
  • 6月13日 - 1974 FIFAワールドカップ開催( - 7月7日)。
  • 6月16日 - 東海林さだおの4コマ漫画「アサッテ君」が毎日新聞朝刊で連載開始(2014年12月31日連載終了)。
  • 6月26日 - 国土庁が設置される。

7月

  • 7月2日 - 7月4日まで、第一回日本人口会議が開催。「子どもは2人まで望ましい」という趣旨の大会宣言が採択される。
  • 7月4日 - 第53代横綱・琴櫻が引退を表明、年寄「白玉」を襲名(しかし10日後、当時の佐渡ヶ嶽親方が急逝したため佐渡ヶ嶽を襲名し部屋を継承)。
  • 7月7日 - 台風8号と梅雨前線により日本各地で集中豪雨(七夕豪雨)。この関係で静岡鉄道清水市内線が廃止に追い込まれる。
  • 7月8日 - 4日前の琴櫻に続き第52代横綱・北の富士も引退を表明、年寄「井筒」を襲名(3年後、当時の九重親方の死去に伴い九重を襲名)。この結果名古屋場所は輪島が“一人横綱”を務めることとなる。
  • 7月15日 - アメリカ合衆国・フロリダ州サラソータのテレビ局WXLT-TV(のちのWWSB)のニュースキャスター、クリスティーン・チュバックが、ニュース番組の生放送中に突然拳銃自殺。
  • 7月20日 - 国鉄湖西線山科駅 - 近江塩津駅間が開業。
  • 7月22日 - 大阪市城東区が城東区と鶴見区に分区、大阪市は1989年2月12日の区再編まで26区体制となる。
  • 7月24日 - 北の湖が史上最年少(21歳2か月)で第55代横綱昇進。
  • 7月24日 - ウォーターゲート事件: アメリカ最高裁がニクソン大統領と首席補佐官が事件対策を話しあう様子がおさめられた録音テープの引渡しを大統領側に命じる判決を出す。
  • 7月29日 - 台灣中山高速公路三重IC─中壢IC開通。

8月

  • 8月8日 - ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任。フォード副大統領が大統領に昇格。
  • 8月11日 - 山形空港の開港10周年記念のイベント「山形空港まつり」のアトラクションでスカイダイビング死亡事故が発生(山形空港まつりスカイダイビング墜落事故)。
  • 8月12日 - ダイハツ工業が同社初のSUV「タフト」を発売。
  • 8月15日 - ソウルで朴大統領狙撃事件(文世光事件)。
  • 8月15日 - 津川雅彦長女誘拐事件(翌8月16日に誘拐犯が逮捕され、人質は保護された)。
  • 8月19日 - 国連人口会議
  • 8月19日 - 第56回全国高校野球選手権大会は千葉・銚子商業高校が大会初優勝。
  • 8月28日 - 日本広告審査機構(JARO)設立。
  • 8月28日 - 神奈川県平塚市でピアノ騒音殺人事件が起きる。
  • 8月29日 - 『ベルサイユのばら』が宝塚大劇場で初演を迎える(大ヒットになり、以後宝塚歌劇団の代表作の一つに)。
  • 8月30日 - 東京都千代田区丸の内の三菱重工業本社で時限爆弾爆発(三菱重工爆破事件)。
  • 8月末 - 熊本県の阿蘇山で1965年以来9年ぶりの噴火。

9月

  • 9月1日 - 原子力船むつが放射線もれ事故。
  • 9月1日 - ホテルニューオータニ新館のガーデンタワーが竣工。
  • 9月2日 - トンボ鉛筆が「暗記ペン」を発売。
  • 9月10日 - ギニアビサウの独立が正式に承認される。
  • 9月13日 - 日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)。

10月

  • 10月1日 - 東海道新幹線開業10周年。
  • 10月6日 - テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』第1作がよみうりテレビ・日本テレビ系で放映開始。
  • 10月8日 - 佐藤栄作前首相にノーベル平和賞が贈られることが決定する。
  • 10月9日 - この日発売の文藝春秋11月号に、ジャーナリストの立花隆が田中角栄首相の金脈問題を暴いた「田中角栄研究」が掲載される。10月22日に田中がその問題について外国人記者クラブで釈明会見(田中金脈問題)。
  • 10月9日 - ロッテが阪急とのプレーオフを3連勝で制し、4年ぶり4度目のパ・リーグ優勝。
  • 10月10日 - 「燃えよドラゴンズ!」がリリースされる。記念すべき第1作を歌ったのは板東英二。
  • 10月12日 - 中日が巨人のV10を阻止し20年ぶりにセ・リーグ優勝。
  • 10月14日 - 巨人の長嶋茂雄選手が後楽園球場の対中日ダブルヘッダーを最後に引退。引退セレモニーの際に長嶋が発した「我が巨人軍は永久に不滅です」は流行語になった。
  • 10月23日 - 日本シリーズはロッテが中日を4勝2敗で下し毎日時代の1950年以来24年ぶり2度目の日本一。
  • 10月30日 - 市原両親殺害事件

11月

  • 11月1日 - 気象庁のアメダスが運用開始。
  • 11月1日 - カシオ計算機が「カシオトロン」を発売。
  • 11月4日 - 本田技研工業が「シビックバン」を発売。
  • 11月6日 - 猿払事件の最高裁判所大法廷判決。
  • 11月9日 - 東京湾でLPGタンカー第十雄洋丸とリベリア船籍の貨物船が衝突しタンカーが爆発炎上、両船舶の乗員33人が死亡。タンカーは太平洋まで炎上したまま漂流、消火の術がないため海上自衛隊が魚雷や空爆などにより11月28日にようやく撃沈(第十雄洋丸事件)。
  • 11月11日 - いすゞ自動車が「ジェミニ」を発売。当初の車名は「ベレット・ジェミニ」。
  • 11月16日 - アレシボ・メッセージがプエルトリコのアレシボ天文台から球状星団M13に発信される。
  • 11月17日 - 別府3億円保険金殺人事件が発生。
  • 11月18日 - フォード米大統領が、現職の大統領として初めて来日。
  • 11月19日 - 大阪の朝日放送(ABC。現在の朝日放送テレビ)が東京放送(TBS。現在のTBSテレビ)系列から日本教育テレビ(NET。現在のテレビ朝日)系列に、毎日放送(MBS)がNET系列からTBS系列にそれぞれ1975年3月31日付でネットチェンジすることを4社間で基本合意。
  • 11月21日 - 巨人の川上哲治監督が勇退し、後任に現役を引退したばかりの長嶋茂雄選手が就任(背番号3は永久欠番に)。
  • 11月26日 - 田中角栄首相が退陣表明。
  • 11月26日 - 三省堂が東京地方裁判所に会社更生手続開始の申立て。

12月

  • 12月1日 - テレビ西日本の本社・演奏所が開局以来本社を置いていた北九州市八幡東区から福岡市南区に移転(1996年8月に福岡市早良区へ再移転)。
  • 12月2日 - エースコックが「焼きそばバンバン」を発売。
  • 12月9日 - 田中内閣総辞職。三木武夫内閣発足。
  • 12月13日 - マルタがイギリス連邦内の共和国となる。
  • 12月18日 - 三菱石油水島製油所で原油流出事故発生。大規模な海洋汚染を引き起こす。
  • 12月24日 - 近江兄弟社が会社更生法の適用を申請して倒産、同社が日本国内向けに製造販売していたメンソレータムのライセンスもアメリカのメンソレータム社に返上。
  • アメリカで、国民の金(ゴールド)所有の自由化

天候・天災・観測等

  • 四八豪雪(昭和48年豪雪、秋田豪雪) - 前年11月〜本年3月にかけての豪雪。
  • インド天然痘流行 - 本年1月から5月にかけて発生し、15,000人以上が死亡した。

芸術・文化・ファッション

スポーツ

  • 大相撲(幕内最高優勝)
    • 初場所 北の湖敏満
    • 春場所 輪島大士
    • 夏場所 北の湖敏満
    • 名古屋 輪島大士
    • 秋場所 輪島大士
    • 九州場所 魁傑將晃
  • プロ野球
    • セントラル・リーグ優勝 中日ドラゴンズ
    • パシフィック・リーグ優勝 ロッテオリオンズ
    • 日本シリーズ優勝 ロッテオリオンズ(4勝2敗)
  • 高校野球
    • 春優勝 報徳学園(兵庫県)
    • 夏優勝 銚子商(千葉県)

文学

  • 芥川賞
    • 第71回(1974年上半期) - 該当作品なし
    • 第72回(1974年下半期) - 日野啓三 『あの夕陽』、阪田寛夫 『土の器』
  • 直木賞
    • 第71回(1974年上半期) - 藤本義一『鬼の詩』
    • 第72回(1974年下半期) - 半村良『雨やどり』、井出孫六『アトラス伝説』

ベストセラー

  • リチャード・バック『かもめのジョナサン』
  • 五島勉『ノストラダムスの大予言』
  • 山崎豊子『華麗なる一族』

演劇

  • ベルサイユのばら初演
    池田理代子の漫画が原作。宝塚歌劇団月組初演を皮切りに3組で上演。俳優の長谷川一夫の演出という事も加わりファンが急増、空前の宝塚ブームを巻き起こす。原作大ヒットのきっかけともなる。
    この作品の成功に対し、この年には文化庁芸術祭優秀賞、1976年には菊田一夫演劇賞特別賞が贈られた。

テレビ

  • ドラマ
    • 勝海舟 - NHK大河ドラマ 出演:渡哲也→松方弘樹
    • われら青春! - 中村雅俊主演の太陽学園ラグビー部を舞台とした青春ドラマ。4月9日から9月29日まで全22話が日本テレビ系で放映。中村雅俊が歌う挿入歌『ふれあい』が大ヒット。
    • 鳩子の海 - NHK朝の連続テレビ小説 出演:斎藤こず恵→藤田美保子
    • 寺内貫太郎一家 - TBS水曜劇場 出演:小林亜星、西城秀樹、悠木千帆
    • 6羽のかもめ - フジテレビ 出演:高橋英樹、夏純子
    • 白い滑走路 - TBS 出演:田宮二郎、山本陽子
    • 夜明けの刑事 - TBS 出演:坂上二郎、石橋正次、石立鉄男
    • 傷だらけの天使 - 日本テレビ系 出演:萩原健一、水谷豊、岸田今日子
  • 特撮
    • 仮面ライダーX - 毎日放送(NET系) 出演:速水亮、小林昭二
    • 仮面ライダーアマゾン - 毎日放送(NET系) 出演:岡崎徹、松田洋治、小林昭二
    • ウルトラマンレオ - TBS 出演:真夏竜、森次晃嗣
    • がんばれ!!ロボコン - NET
    • イナズマンF - NET 「イナズマン」の続編。
    • スーパーロボット マッハバロン - 日本テレビ
  • 報道
    • ニュースセンター9時 - NHK 初代キャスター:磯村尚徳
  • 音楽
    • レッツゴーヤング - NHK
    • サウンド・イン"S" - TBS
  • バラエティなど諸分野
    • 進め!フィンガー5 - TBS
  • その他テレビ関連の話題
    • 第1次オイルショックによりNHKが短縮放送(午後2時の1時間および11時以降放送休止)を実施。
    • テレビ和歌山が開局。

ラジオ

  • 「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)放送開始
  • 「吉田拓郎のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)放送開始
  • 「ありがとう浜村淳です」(毎日放送)放送開始、2018年現在も放送中。
  • 「三和シヤッター歌謡曲ベスト・テン」(エフエム東京、パーソナリティ:山崎唯、宿谷このみ)放送開始。現在の「COUNTDOWN JAPAN」の原型。

アニメ

  • 1月6日 「アルプスの少女ハイジ」放映開始
  • 4月1日 「柔道讃歌」「魔女っ子メグちゃん」「星の子ポロン」「チャージマン研!」放映開始
  • 4月2日 「ダメおやじ」放映開始
  • 4月3日 「小さなバイキングビッケ」放映開始
  • 4月4日 「ゲッターロボ」放映開始
  • 4月5日 「昆虫物語 新みなしごハッチ(みなしごハッチの続編)」「となりのたまげ太くん」「星の子チョビン」「ガンとゴン」放映開始
  • 9月8日 「グレートマジンガー」放映開始
  • 9月30日 「ウリクペン救助隊」放映開始
  • 10月4日 「ジムボタン」「破裏拳ポリマー」放映開始
  • 10月5日 「はじめ人間ギャートルズ」放映開始
  • 10月6日 「宇宙戦艦ヤマト」「てんとう虫の歌」放映開始
  • 10月15日 「カリメロ」放映開始

音楽

  • 沢田研二「追憶」「魅せられた夜」
  • 布施明「積木の部屋」
  • 中村雅俊「ふれあい」
  • 山口百恵「ひと夏の経験」「ちっぽけな感傷」
  • 森昌子「おかあさん」
  • 桜田淳子「花物語」「三色すみれ」「黄色いリボン」「花占い」
  • アグネス・チャン「小さな恋の物語」「星に願いを」「ポケットいっぱいの秘密」
  • 伊藤咲子「ひまわり娘」
  • 梓みちよ「二人でお酒を」
  • 森進一「冬の旅」「襟裳岬」
  • 小坂明子「あなた」
  • かぐや姫「赤ちょうちん」「妹」
  • グレープ「精霊流し」
  • りりィ「私は泣いています」
  • 西城秀樹「激しい恋」「愛の十字架」「傷だらけのローラ」「薔薇の鎖」
  • 郷ひろみ「よろしく哀愁」「花とみつばち」
  • 野口五郎「愛ふたたび」「甘い生活」
  • 海援隊「母に捧げるバラード」
  • 山本コウタローとウィークエンド「岬めぐり」
  • 八代亜紀「しのび恋」
  • 殿さまキングス「なみだの操」「夫婦鏡」
  • さくらと一郎「昭和枯れすすき」
  • 中条きよし「うそ」
  • フィンガー5「恋のダイヤル6700」「学園天国」
  • 敏いとうとハッピー&ブルー「わたし祈ってます」
  • テレサ・テン「空港」
  • 西崎みどり「旅愁」
  • アン・ルイス「グッド・バイ・マイ・ラブ」
  • 天地真理「想い出のセレナーデ」
  • 小柳ルミ子「冬の駅」
  • チェリッシュ「白いギター」「恋の風車」
  • 和田アキ子「古い日記」
  • ささきいさお「宇宙戦艦ヤマト」
  • 麻生よう子「逃避行」
  • 坂上二郎「学校の先生」
  • 板東英二「燃えよドラゴンズ!」
  • カーペンターズ「愛は夢の中に」
  • ポール・マッカートニー&ウイングス「ジェット」
  • ラブ・アンリミテッド・オーケストラ「愛のテーマ」
  • カール・ダグラス「吼えろ! ドラゴン」
  • ジョージ・マックレー「ロック・ユア・ベイビー」
  • チューリップ 「青春の影」「ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜」
  • ダ・カーポ「結婚するって本当ですか」
  • クイーン『クイーン II』『シアー・ハート・アタック』

映画

  • ゴジラ対メカゴジラ
  • ノストラダムスの大予言 [原作] 五島勉
  • エスパイ [原作] 小松左京
  • 007 黄金銃を持つ男[英]
  • 華麗なる一族
  • 砂の器
  • スティング
  • ダラスの熱い日
  • エクソシスト
  • 愛と誠
  • ファントム・オブ・パラダイス

コマーシャル

誕生

1月

  • 1月1日 - ケビン・バーン、元プロ野球選手
  • 1月3日 - 伊藤健太郎、声優
  • 1月4日 - 胡桃沢ひろこ、タレント
  • 1月4日 - アンドレアシュ・シュタルケ、騎手
  • 1月6日 - 李相日、映画監督
  • 1月6日 - 西村麗子、元ミュージカル俳優
  • 1月7日 - 高橋由美子、女優
  • 1月9日 - 岡本真夜、シンガーソングライター
  • 1月9日 - 野瀬育二、声優
  • 1月9日 - 高梨利洋、元プロ野球選手
  • 1月9日 - 小堀裕之、お笑い芸人(2丁拳銃)
  • 1月10日 - 島崎直也、ケミカルエンターテイナー
  • 1月11日 - 吉田恭子、ヴァイオリニスト
  • 1月12日 - メラニー・クリスホルム、歌手(スパイス・ガールズ)
  • 1月12日 - DJ TATSUTA、DJ
  • 1月12日 - 松本ぷりっつ、漫画家
  • 1月13日 - 内海雅智、ミュージカル俳優
  • 1月14日 - 藤井優志、元プロ野球選手
  • 1月15日 - 田中和将、ミュージシャン
  • 1月15日 - 内舘秀樹、元サッカー選手
  • 1月15日 - 小磯典子、バスケットボール選手
  • 1月16日 - 田島俊明、調教師
  • 1月16日 - ケイト・モス、モデル
  • 1月16日 - カティ・ウィンクラー、フィギュアスケート選手
  • 1月17日 - マリナ・ハルトゥリナ、フィギュアスケート選手
  • 1月18日 - 荒川良々、俳優
  • 1月19日 - 川本真琴、シンガーソングライター
  • 1月20日 - フリオ・サンタナ、元プロ野球選手
  • 1月21日 - 島津有理子、日本放送協会アナウンサー
  • 1月22日 - 増健亘志、元大相撲力士
  • 1月22日 - オルガ・マルコワ、フィギュアスケート選手
  • 1月23日 - 沼尾みゆき、ミュージカル女優
  • 1月23日 - マーク・ワトソン、元プロ野球選手
  • 1月23日 - ヨスバニー・ペレス、元野球選手
  • 1月24日 - クリスティ・サージアント、フィギュアスケート選手
  • 1月25日 - ダン・セラフィニ、元プロ野球選手
  • 1月26日 - 島田フミカネ、イラストレーター
  • 1月27日 - ブライアン・ネルソン、元プロ野球選手
  • 1月28日 - マグリオ・オルドニェス、元メジャーリーガー
  • 1月29日 - 小林幹英、元プロ野球選手、広島東洋カープコーチ
  • 1月29日 - 中迫剛、格闘家
  • 1月29日 - 中山さら、声優
  • 1月29日 - 青木勇人、プロバスケットボール選手
  • 1月30日 - クリスチャン・ベール、俳優
  • 1月31日 - アリエル・ペスタノ、野球選手
  • 1月31日 - 今村恵子、女優

2月

  • 2月1日 - 舩山陽司、アナウンサー
  • 2月3日 - 吉田羊、女優
  • 2月5日 - 橋本岳、衆議院議員
  • 2月6日 - 吉野裕行、声優
  • 2月6日 - 鈴木美恵、女優、元子役
  • 2月7日 - スティーブ・ナッシュ、バスケットボール選手
  • 2月8日 - ギ=マニュエル・ド・オメン=クリスト、ミュージシャン(ダフト・パンク)
  • 2月8日 - ウリセス・デ・ラ・クルス、サッカー選手
  • 2月11日 - 代田建紀、元プロ野球選手
  • 2月12日 - 高木虎之介、レーシングドライバー
  • 2月13日 - ハリウッドザコシショウ、お笑い芸人
  • 2月14日 - フィリッパ・ジョルダーノ、歌手
  • 2月15日 - アレクサンダー・ヴルツ、F1ドライバー
  • 2月15日 - 池田貴史、ミュージシャン
  • 2月17日 - 綾峰欄人、漫画家
  • 2月17日 - エドウィン・マートン、作曲家・ヴァイオリニスト
  • 2月18日 - エフゲニー・カフェルニコフ、テニス選手
  • 2月18日 - 浅野るり、声優
  • 2月19日 - 坪井智哉、元プロ野球選手
  • 2月19日 - 森且行、オートレース選手、元タレント(元SMAP)
  • 2月22日 - 陣内智則、お笑い芸人
  • 2月22日 - ジェームス・ブラント、ミュージシャン
  • 2月23日 - ステファン・ベルナディス、フィギュアスケート選手
  • 2月24日 - 青木拓磨、オートバイレーサー
  • 2月24日 - 北山陽一、ミュージシャン、ゴスペラーズメンバー
  • 2月24日 - マイク・ローウェル、元メジャーリーガー
  • 2月25日 - 北山たけし、演歌歌手
  • 2月25日 - 森久保祥太郎、声優
  • 2月25日 - シャノン・スチュワート、元メジャーリーガー
  • 2月26日 - 栃乃洋泰一、元大相撲力士
  • 2月26日 - ハウス加賀谷、お笑い芸人(松本ハウス)
  • 2月26日 - 山崎樹範、俳優
  • 2月26日 - 若林隆信、元プロ野球選手
  • 2月27日 - 清水宏保、スピードスケート選手
  • 2月28日 - 渡邉孝男、元プロ野球選手

3月

  • 3月2日 - アンソニー・サンダース、元プロ野球選手
  • 3月3日 - 小松千春、女優
  • 3月4日 - 三浦拓実、NHKアナウンサー
  • 3月9日 - 杉山紀彰、声優
  • 3月10日 - 山崎依里奈、声優
  • 3月11日 - ボビー・アブレイユ、元メジャーリーガー
  • 3月11日 - 奥山佳恵、女優
  • 3月11日 - 山崎智也、競艇選手
  • 3月11日 - アドゴニー・ロロ、外国人タレント
  • 3月12日 - 礒部公一、元プロ野球選手
  • 3月12日 - 椎名へきる、声優、歌手
  • 3月12日 - 豊桜俊昭、大相撲力士
  • 3月12日 - 岩田康誠、騎手
  • 3月13日 - 戸田菜穂、女優
  • 3月13日 - 稲葉貴子、歌手
  • 3月15日 - 菊地由美、タレント
  • 3月16日 - 安田純平、フリージャーナリスト
  • 3月17日 - 秋野こぎく、演歌歌手
  • 3月19日 - 後藤浩輝、騎手(+ 2015年)
  • 3月20日 - 柳原愛子(三森愛子)、歌手
  • 3月21日 - 出島武春、元大相撲力士
  • 3月22日 - ジェイソン・フィリップス、元プロ野球選手
  • 3月22日 - マーカス・キャンビー、バスケットボール選手
  • 3月23日 - マーク・ハント、格闘家
  • 3月23日 - 平松一宏、元プロ野球選手
  • 3月24日 - アリソン・ハニガン、女優
  • 3月26日 - 後藤久美子、女優
  • 3月26日 - たかぎなおこ、イラストレーター
  • 3月27日 - 宗像徹、騎手
  • 3月27日 - ガイスカ・メンディエタ、元サッカー選手
  • 3月28日 - 岸尾だいすけ、声優
  • 3月29日 - 田口宏子、声優
  • 3月29日 - 田山真美子、女優、タレント、元アイドル
  • 3月30日 - 千原ジュニア、お笑い芸人(千原兄弟)
  • 3月31日 - 駒田健吾、TBSアナウンサー
  • 3月31日 - ロヘル・マチャド、野球選手

4月

  • 4月2日 - 西尾まり、女優
  • 4月2日 - 村上ゆみ子、漫画家
  • 4月4日 - 照英、俳優
  • 4月4日 - 野上修、野球選手
  • 4月5日 - 木村早苗、女優・歌手・作詞家
  • 4月8日 - 三平×2、お笑い芸人(ペイパービュウ、アニメ会)
  • 4月9日 - 伊藤さおり、お笑い芸人(北陽)
  • 4月9日 - 森中聖雄、元プロ野球選手
  • 4月9日 - ジェナ・ジェイムソン、ポルノ女優
  • 4月10日 - 米村和樹、プロ野球選手
  • 4月10日 - 井上浩司、プロ野球選手
  • 4月10日 - 渡辺光輝、元サッカー選手
  • 4月11日 - アレクザンダー・クオファラ、ヘヴィメタル・ミュージシャン
  • 4月12日 - シウヴィーニョ、元サッカー選手
  • 4月12日 - 安田美香、タレント
  • 4月12日 - 浅井清己、声優
  • 4月13日 - 牧田勝吾、元プロ野球選手
  • 4月14日 - 江原淳史、元俳優
  • 4月15日 - 久保充広、元プロ野球選手
  • 4月17日 - ヴィクトリア・ベッカム、歌手、作家
  • 4月18日 - 伊藤裕子、ファッションモデル、女優
  • 4月18日 - 堀田一郎、元プロ野球選手
  • 4月19日 - 玉力道栄来、大相撲力士
  • 4月19日 - ホセ・クルーズ・ジュニア、メジャーリーガー
  • 4月20日 - 保坂俊彦、彫刻家
  • 4月20日 - エリザベータ・ステコルニコワ、フィギュアスケート選手
  • 4月20日 - 姜東佑、プロ野球選手
  • 4月21日 - クリフ・ブランボー、元プロ野球選手
  • 4月22日 - 寺村友和、元プロ野球選手
  • 4月22日 - アドリアン・イリエ、元サッカー選手
  • 4月22日 - 上村健一、サッカー選手
  • 4月22日 - 立石智紀、サッカー選手
  • 4月23日 - 石井伸幸、プロ野球選手
  • 4月24日 - 村田善則、元プロ野球選手
  • 4月24日 - 宮ノ腰達也、バスケットボール選手
  • 4月24日 - 関吉雅人、プロ野球選手
  • 4月26日 - 団長、お笑い芸人(安田大サーカス)
  • 4月26日 - 藤井惠、総合格闘家
  • 4月26日 - ジェームス・トンプソン、イギリスのレーシングドライバー
  • 4月27日 - Tama、ベーシスト(元ポルノグラフィティ)
  • 4月27日 - 馬場典子、フリーアナウンサー、元日本テレビアナウンサー
  • 4月27日 - 原千晶、女優
  • 4月27日 - フランク・カタラノット、メジャーリーガー
  • 4月28日 - ペネロペ・クルス、女優
  • 4月29日 - ヘクター・メルカド、元プロ野球選手
  • 4月29日 - 東政敏、プロ野球選手
  • 4月30日 - 富澤たけし、お笑い芸人(サンドウィッチマン)

5月

  • 5月1日 - 堀真樹、元俳優
  • 5月1日 - スティーブン・ランドルフ、プロ野球選手
  • 5月1日 - 鈴木章仁、野球選手
  • 5月2日 - イオリッツ・メンディザバル、騎手
  • 5月5日 - 小林徹弥、騎手(JRA)
  • 5月8日 - 陳甲龍、野球選手
  • 5月10日 - 西澤淳二、サッカー選手
  • 5月11日 - 山口和男、元プロ野球選手
  • 5月11日 - 山田貴志、元プロ野球選手
  • 5月11日 - ジョージ朝倉、漫画家
  • 5月13日 - 野口茂樹、元プロ野球選手
  • 5月13日 - 崔映弼、野球選手
  • 5月14日 - 内薗直樹、元プロ野球選手
  • 5月15日 - 柳沼強、プロ野球選手
  • 5月16日 - 青木夕夏、女優
  • 5月16日 - ジェロッド・リガン、元プロ野球選手
  • 5月17日 - 副島孔太、元プロ野球選手
  • 5月17日 - 内田貴光、マジシャン
  • 5月17日 - 川谷修士、お笑い芸人(2丁拳銃)
  • 5月20日 - ミカエル・スタンネ、ミュージシャン
  • 5月22日 - ジョン・ベイル、元プロ野球選手
  • 5月23日 - 柴原洋、プロ野球選手
  • 5月23日 - 渕脇芳行、プロ野球選手
  • 5月23日 - 森岡裕之、プロ野球選手
  • 5月24日 - 小林雅英、プロ野球選手
  • 5月25日 - ミゲル・テハダ、メジャーリーガー
  • 5月25日 - うすた京介、漫画家
  • 5月26日 - 清水千曲、プロ野球選手
  • 5月27日 - 塩谷和彦、元プロ野球選手
  • 5月28日 - 西田幸治、お笑い芸人(笑い飯)
  • 5月28日 - ハンス=イェルク・ブット、元サッカー選手
  • 5月31日 - 有吉弘行、お笑い芸人

6月

  • 6月1日 - アラニス・モリセット、歌手
  • 6月1日 - 北勝岩治、大相撲力士
  • 6月1日 - 三村ロンド、ナレーター
  • 6月2日 - 五月女ケイ子、イラストレーター
  • 6月2日 - 代走みつくに、お笑い芸人
  • 6月3日 - 大内登、テレビディレクター、テレビプロデューサー、元お笑い芸人(元ビビる)
  • 6月3日 - ステファン・レコ、格闘家
  • 6月3日 - 豊原哲也、プロ野球選手
  • 6月4日 - 和泉元彌、狂言師、俳優
  • 6月5日 - ラス・オルティス、メジャーリーガー
  • 6月6日 - 小澤征悦、俳優
  • 6月6日 - ダラス・トーラー=ウェイド、ミュージシャン
  • 6月7日 - ベア・グリルス、作家、冒険家
  • 6月8日 - 出渕誠(RG)、お笑いタレント(レイザーラモン)
  • 6月8日 - 三澤興一、元プロ野球選手
  • 6月9日 - サモス、ミュージシャン
  • 6月9日 - 李大振、野球選手
  • 6月12日 - 松井秀喜、メジャーリーガー
  • 6月12日 - デーモン・ホリンズ、プロ野球選手
  • 6月12日 - 星山忠弘、元プロ野球選手
  • 6月13日 - 櫻井孝宏、声優
  • 6月13日 - ブライアン・スウィーニー、プロ野球選手
  • 6月15日 - 栗山聡、元プロ野球選手
  • 6月15日 - 橋詰優子、朝日放送テレビアナウンサー
  • 6月15日 - アンドレイ・ウラシェンコ、フィギュアスケート選手
  • 6月17日 - 大野幹代、タレント、(元CoCo)
  • 6月17日 - 中島静佳、フリーアナウンサー
  • 6月17日 - 白井博幸、サッカー選手
  • 6月18日 - 細川直美、女優
  • 6月18日 - 後藤輝基、お笑い芸人(フットボールアワー)
  • 6月18日 - 大友進、元プロ野球選手
  • 6月18日 - 星野順治、プロ野球選手
  • 6月18日 - 長江もみ、お笑い芸人
  • 6月18日 - 雷人、マジシャン
  • 6月18日 - 庄司大介、元プロ野球選手
  • 6月18日 - 大山妙子、元バスケットボール選手
  • 6月18日 - ヴィンチェンツォ・モンテッラ、元サッカー選手、サッカー指導者
  • 6月19日 - ダグ・ミントケイビッチ、メジャーリーガー
  • 6月20日 - 黒木純司、元プロ野球選手
  • 6月21日 - 久藤清一、サッカー選手
  • 6月22日 - 阿久根鋼吉、元プロ野球選手
  • 6月22日 - 池田郁夫、プロ野球選手
  • 6月22日 - 室井市衛、サッカー選手
  • 6月22日 - 葉山拓亮、ミュージシャン (元D-LOOP、現Tourbillonメンバー)
  • 6月23日 - レティシア・ユベール、フィギュアスケート選手
  • 6月23日 - 厳星燮、放送記者
  • 6月25日 - 矢口健一、野球選手
  • 6月26日 - 砂川憲和、尺八奏者(元ZANリーダー)(+ 2006年)
  • 6月26日 - デレク・ジーター、メジャーリーガー
  • 6月26日 - ジェイソン・ケンドール、メジャーリーガー
  • 6月27日 - 栃栄篤史、大相撲力士
  • 6月27日 - 佐藤一樹、元サッカー選手
  • 6月28日 - 水野美紀、女優
  • 6月28日 - 有坂美香、ゴスペル歌手
  • 6月29日 - 清水貴之、政治家、元朝日放送アナウンサー
  • 6月30日 - エフゲニー・プリウタ、フィギュアスケート選手

7月

  • 7月4日 - 闘牙進、元大相撲力士
  • 7月4日 - アンソニー・リュウ、フィギュアスケート選手
  • 7月6日 - 横西奏恵、競艇選手
  • 7月7日 - 河本香織、日本テレビ広報部社員(元アナウンサー)
  • 7月8日 - カルロス・タバレス、野球選手
  • 7月8日 - 西川美和、映画監督・脚本家
  • 7月9日 - 草彅剛、タレント(元SMAP)
  • 7月9日 - トム・エバンス、元プロ野球選手
  • 7月9日 - 杉本潔彦、プロ野球選手
  • 7月9日 - ギャリー・ケリー、元サッカー選手
  • 7月11日 - 小野公誠、プロ野球選手
  • 7月12日 - 三村奈々恵、マリンバ奏者
  • 7月13日 - ヤルノ・トゥルーリ、F1ドライバー
  • 7月14日 - 羽生未来、タレント(+ 2005年)
  • 7月15日 - 蛯原哲、日本テレビアナウンサー
  • 7月15日 - 佐久本昌広、元プロ野球選手
  • 7月15日 - 戸部浩、元プロ野球選手
  • 7月15日 - 部坂俊之、元プロ野球選手
  • 7月15日 - 平野孝、サッカー選手
  • 7月16日 - 今井圭吾、元プロ野球選手
  • 7月17日 - クラウディオ・ロペス、元サッカー選手
  • 7月17日 - 牧野塁、プロ野球選手
  • 7月18日 - 大倉孝二、俳優
  • 7月19日 - 菊池麻衣子、女優
  • 7月19日 - プレストン・ウィルソン、メジャーリーガー
  • 7月20日 - ベンジー・モリーナ、メジャーリーガー
  • 7月23日 - モーリス・グリーン、陸上選手
  • 7月23日 - ラリー・バーンズ、元プロ野球選手
  • 7月23日 - 村上鉄也、プロ野球選手
  • 7月24日 - 中村壽博、アマチュア野球指導者
  • 7月24日 - 三浦淳宏、プロサッカー選手
  • 7月24日 - 岡里明美、元バスケットボール選手
  • 7月24日 - 山尾志桜里、政治家
  • 7月25日 - ローレン・ファウスト、アニメーター
  • 7月25日 - 鈴木健想、プロレスラー
  • 7月26日 - 奥野誠一郎、サッカー選手
  • 7月27日 - ブライアン・シコースキー、プロ野球選手
  • 7月27日 - 西川かの子、タレント
  • 7月27日 - 平岳大、俳優
  • 7月28日 - 岡本竜汰、俳優
  • 7月29日 - 武雄山喬義、大相撲力士
  • 7月29日 - 衣川幸夫、元プロ野球選手
  • 7月29日 - 石川雅之、漫画家
  • 7月29日 - 坂上香織、女優
  • 7月29日 - 山本進悟、SASUKEオールスターズ、ガソリンスタンド課長
  • 7月29日 - 泉健太、政治家
  • 7月30日 - 坂田精二郎、野球選手
  • 7月30日 - 谷村逸郎、野球選手
  • 7月30日 - 石田威仁、野球選手
  • 7月31日 - 土屋征夫、サッカー選手

8月

  • 8月1日 - 阿部敏之、サッカー選手
  • 8月1日 - 森脇和成、実業家・元タレント(元猿岩石)
  • 8月3日 - 神永学、小説家
  • 8月3日 - 山本幸正、プロ野球選手
  • 8月4日 - 八木真澄、お笑い芸人(サバンナ)
  • 8月4日 - オオゼキタク、シンガーソングライター
  • 8月4日 - 水田わさび、声優
  • 8月4日 - こはら裕子、漫画家
  • 8月4日 - 山本美憂、スポーツキャスター、元女子レスリング選手
  • 8月5日 - 大渕幹大、元プロバスケットボール選手
  • 8月7日 - ビビアーニ大野、ファッションモデル
  • 8月8日 - 多田健二、お笑い芸人(COWCOW)
  • 8月9日 - デレック・フィッシャー、バスケットボール選手
  • 8月9日 - 清涼院流水、推理作家
  • 8月10日 - 盧長震、元野球選手
  • 8月11日 - 坂本竜一、元プロ野球選手
  • 8月11日 - マリー=フランス・デュブレイユ、フィギュアスケート選手
  • 8月13日 - 丸野勝虎、騎手
  • 8月13日 - ニクラス・スンディン、ミュージシャン、グラフィックデザイナー
  • 8月14日 - 鈴木Q太郎(Qちゃん)、お笑い芸人(ハイキングウォーキング)
  • 8月15日 - ラモン・モレル、元プロ野球選手
  • 8月15日 - エフゲニー・スヴィリドフ、フィギュアスケート選手
  • 8月15日 - アキラ100%、お笑いタレント
  • 8月16日 - 木村昌広、元プロ野球選手
  • 8月16日 - ライアン・ロングウェル、アメリカンフットボール選手
  • 8月17日 - 華原朋美、歌手、タレント
  • 8月17日 - 大野崇、 元キックボクサー(ISKAオリエンタル世界ミドル級世界チャンピオン)、元 K-1選手
  • 8月17日 - ジェフリー・リーファー、元プロ野球選手
  • 8月17日 - 牧浦充徳、調教師
  • 8月17日 - 金杉太朗、俳優・元子役(+ 2008年)
  • 8月18日 - 鈴木奈都、お笑いタレント
  • 8月19日 - ふかわりょう、お笑い芸人
  • 8月19日 - 松原良香、元サッカー選手
  • 8月20日 - マキシム・ヴェンゲーロフ、ヴァイオリニスト
  • 8月21日 - 安達智次郎、元プロ野球選手(+ 2016年)
  • 8月22日 - 南田裕介、芸能マネージャー
  • 8月22日 - 植松俊介、元お笑い芸人(元シャカ)
  • 8月23日 - 雷句誠、漫画家
  • 8月24日 - ジェフ・クベンカ、元プロ野球選手
  • 8月24日 - 山田卓也、サッカー選手
  • 8月25日 - ゲイリー・マシューズ・ジュニア、メジャーリーガー
  • 8月27日 - 後藤光貴、元プロ野球選手
  • 8月27日 - 坂本保、野球選手
  • 8月28日 - 水橋かおり、声優
  • 8月29日 - 辛酸なめ子、漫画家・コラムニスト
  • 8月30日 - 内藤大助、プロボクサー
  • 8月31日 - 久保貴裕、プロ野球選手
  • 8月31日 - 伊東輝悦、サッカー選手

9月

  • 9月1日 - 山本寛、アニメ監督
  • 9月2日 - 国分太一、タレント(TOKIO)
  • 9月4日 - 小倉弘子、TBSアナウンサー
  • 9月5日 - 伊達みきお、お笑い芸人(サンドウィッチマン)
  • 9月5日 - ピーター・ウィルドアー、ミュージシャン、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア
  • 9月6日 - ティム・ヘンマン、テニス選手
  • 9月6日 - 木場昌雄、サッカー選手
  • 9月6日 - 寺川能人、サッカー選手
  • 9月7日 - 高橋広樹、声優
  • 9月8日 - こぶしのぶゆき、声優
  • 9月10日 - ミルコ・クロコップ、格闘家
  • 9月10日 - ベン・ウォーレス、バスケットボール選手
  • 9月10日 - 長谷川憲司、元日本テレビアナウンサー
  • 9月10日 - ライアン・フィリップ、俳優
  • 9月10日 - 川上アキラ、スターダストプロモーションのプロデューサー
  • 9月11日 - 虻川美穂子、お笑い芸人(北陽)
  • 9月11日 - 今岡誠、プロ野球選手
  • 9月12日 - 鈴村健一、声優
  • 9月12日 - 森慎二、プロ野球選手(+ 2017年)
  • 9月13日 - 旭天鵬勝、大相撲力士
  • 9月13日 - 疋田由香里、声優
  • 9月13日 - 出羽平真一、元大相撲力士
  • 9月15日 - 倉野信次、元プロ野球選手
  • 9月15日 - 井浦新、ファッションモデル、俳優
  • 9月16日 - 神前暁、作曲家・編曲家・作詞家
  • 9月17日 - 徳山昌守、プロボクサー
  • 9月17日 - ラシード・ウォーレス、バスケットボール選手
  • 9月18日 - ソル・キャンベル、元サッカー選手
  • 9月18日 - 濱田万葉、女優
  • 9月19日 - 三宮恵利子、タレント・レーシング・ドライバー・元スピードスケート選手
  • 9月20日 - 新藤晴一、ミュージシャン(ポルノグラフィティ)
  • 9月20日 - 高岡まゆみ、AV女優
  • 9月21日 - 澤崎俊和、元プロ野球選手
  • 9月22日 - 橿渕聡、元プロ野球選手
  • 9月23日 - 井上晴美、タレント
  • 9月25日 - 堀口文宏、お笑い芸人(あさりど)
  • 9月25日 - 小口絵理子、アナウンサー(+ 2013年)
  • 9月28日 - 福永一茂、フジテレビアナウンサー
  • 9月29日 - ビビる大木、お笑い芸人
  • 9月29日 - しゅはまはるみ、女優
  • 9月30日 - 田崎昌弘、元プロ野球選手
  • 9月30日 - 丹波幹雄、元プロ野球選手

10月

  • 10月1日 - 河口恭吾、シンガーソングライター
  • 10月2日 - 浅野実奈子、女優
  • 10月3日 - アレックス・ラミレス、プロ野球選手
  • 10月3日 - 和田正一郎、調教師
  • 10月4日 - 高野直子、朝日放送アナウンサー
  • 10月5日 - リッチ・フランクリン、総合格闘家
  • 10月5日 - 趙顕娥、実業家 大韓航空ナッツ回航事件の当事者
  • 10月7日 - 鈴木秀人、サッカー選手
  • 10月7日 - 双筑波勇人、元大相撲力士
  • 10月8日 - 室伏広治、ハンマー投選手
  • 10月8日 - マーティン・ヘンダーソン、俳優
  • 10月9日 - Caravan、シンガーソングライター
  • 10月10日 - 細川百合子、元AV女優
  • 10月11日 - ケイン・コスギ、俳優
  • 10月11日 - 孫國強、野球選手
  • 10月12日 - アーロン・ロウ、フィギュアスケート選手
  • 10月12日 - フランソワーズ・ド・クロセー、ピアニスト
  • 10月13日 - 内田量子、女優
  • 10月13日 - ゲイリー・バーナム・ジュニア、プロ野球選手
  • 10月15日 - 岡野昭仁、ミュージシャン(ポルノグラフィティ)
  • 10月16日 - 中野栄一、元プロ野球選手
  • 10月17日 - 宮内亜弥子、フリーアナウンサー
  • 10月18日 - 金子昇、俳優、タレント
  • 10月19日 - 善し、お笑い芸人(COWCOW)
  • 10月21日 - 岡本真也、プロ野球選手
  • 10月21日 - 田中敏昭、元プロ野球選手
  • 10月21日 - 夜麻みゆき、漫画家
  • 10月22日 - 居島一平、お笑い芸人(米粒写経)
  • 10月22日 - 多田昌弘、元プロ野球選手 現打撃投手
  • 10月23日 - サンデル・ヴェステルフェルト、元サッカー選手
  • 10月24日 - 延友陽子、日本テレビアナウンサー
  • 10月25日 - 李炳圭、プロ野球選手
  • 10月26日 - 加藤歩、お笑い芸人(ザブングル)
  • 10月26日 - Lisa、ミュージシャン(元m-flo)
  • 10月27日 - 佐竹学、元プロ野球選手、東北楽天ゴールデンイーグルスコーチ
  • 10月27日 - 坂元忍、元プロ野球選手
  • 10月29日 - 住友健人、元プロ野球選手
  • 10月29日 - R.A.ディッキー、メジャーリーガー
  • 10月30日 - マーティン・ヘンリクソン、ミュージシャン
  • 10月31日 - スティーブ・コックス、メジャーリーガー
  • 10月31日 - 蛯沢康仁、俳優
  • 10月31日 - ロブ・コルデマンス、野球選手

11月

  • 11月1日 - 高島宗一郎、元九州朝日放送アナウンサー・福岡市長
  • 11月1日 - ライアン・グリン、プロ野球選手
  • 11月1日 - フローラン・ダバディー、編集者・評論家
  • 11月1日 - 筒井壮、元プロ野球選手
  • 11月2日 - ホセ・フェルナンデス、プロ野球選手
  • 11月2日 - ネリー、ラッパー
  • 11月2日 - オーランド・カブレラ、メジャーリーガー
  • 11月4日 - 山本未来、女優
  • 11月5日 - ジェリー・スタックハウス、バスケットボール選手
  • 11月7日 - 高橋利信、野球選手
  • 11月7日 - クリス・ベンソン、メジャーリーガー
  • 11月8日 - 岸本斉史、漫画家
  • 11月8日 - 日出ノ国太子郎、元大相撲力士
  • 11月9日 - 加瀬亮、俳優
  • 11月9日 - アレッサンドロ・デル・ピエロ、サッカー選手
  • 11月10日 - 岩瀬仁紀、元プロ野球選手
  • 11月11日 - レオナルド・ディカプリオ、俳優
  • 11月12日 - 西浦克拓、元プロ野球選手
  • 11月12日 - 富士たくや、俳優
  • 11月12日 - エノルベル・マルケス=ラミレス、プロ野球選手
  • 11月12日 - ミルコ・ミュラー、フィギュアスケート選手
  • 11月14日 - にわつとむ、俳優
  • 11月15日 - 松本秀樹、お笑い芸人
  • 11月15日 - ジルベルト・メンデス、元野球選手
  • 11月16日 - 松田匡司、元プロ野球選手
  • 11月16日 - ポール・スコールズ、サッカー選手
  • 11月16日 - マウリツィオ・マルガリオ、フィギュアスケート選手
  • 11月18日 - にしおかすみこ、お笑い芸人
  • 11月18日 - 飯田祐史、騎手
  • 11月19日 - 末武里佳子、テレビ東京アナウンサー
  • 11月19日 - マリオ・バルデス、元プロ野球選手
  • 11月19日 - 斎藤大輔、サッカー選手
  • 11月20日 - 今谷慶介、ミュージシャン
  • 11月21日 - 松波正信、元サッカー選手
  • 11月22日 - ジョー・ネイサン、メジャーリーガー
  • 11月22日 - 河田純子、女優、歌手(LENPHa)
  • 11月22日 - ケニー・レイボーン、元プロ野球選手
  • 11月22日 - 竹清剛治、元プロ野球選手
  • 11月22日 - デヴィッド・ペルティエ、フィギュアスケート選手
  • 11月23日 - 林亮介、野球選手
  • 11月24日 - 山本太郎、元俳優、参議院議員
  • 11月27日 - ケニー・レイ、プロ野球選手
  • 11月28日 - KYO-SUKE、プロマジシャン、俳優
  • 11月30日 - リー・エンチ、台湾のプロロッククライマー

12月

  • 12月1日 - 田辺真由美、漫画家
  • 12月1日 - 中村善之、プロ野球選手
  • 12月3日 - 古澤多希、音楽プロデューサー
  • 12月3日 - アルベナ・デンコヴァ、フィギュアスケート選手
  • 12月4日 - 井口資仁、元プロ野球選手
  • 12月5日 - 坂口果津奈、鹿児島テレビ放送アナウンサー
  • 12月6日 - 宮田仁、野球選手
  • 12月7日 - いしだ壱成、俳優
  • 12月8日 - 瀧本誠、元柔道家、総合格闘家
  • 12月8日 - ジュリアン・ラクリン、ヴァイオリン奏者・ヴィオラ奏者
  • 12月9日 - 深谷亮司、元プロ野球選手
  • 12月10日 - 野村忠宏、柔道家
  • 12月10日 - 進藤実、元プロ野球選手
  • 12月10日 - 高野忍、元プロ野球選手
  • 12月10日 - 柳亭こみち、落語家
  • 12月11日 - レイ・ミステリオ、プロレスラー
  • 12月12日 - 立花美哉、元アーティスティックスイミング選手
  • 12月14日 - Ryoji、ミュージシャン(ケツメイシ)
  • 12月16日 - シャカ大熊、お笑い芸人
  • 12月18日 - ランス・カーター、元プロ野球選手
  • 12月21日 - 糸川正晃、衆議院議員
  • 12月21日 - カリー・ウェブ、女子プロゴルファー
  • 12月22日 - 藤谷しおり、元AV女優
  • 12月23日 - 柴田倫世、元日本テレビアナウンサー
  • 12月23日 - 永井篤志、サッカー選手
  • 12月24日 - ケビン・ミルウッド、メジャーリーガー
  • 12月24日 - マルセロ・サラス、元サッカー選手
  • 12月24日 - エルダー・ネボルシン、ピアニスト
  • 12月25日 - 春日由実、フジテレビ元アナウンサー
  • 12月25日 - 中西哲夫、お笑い芸人(笑い飯)
  • 12月25日 - 貝塚政秀、元プロ野球選手
  • 12月26日 - コリー・リー、元プロ野球選手
  • 12月26日 - イーちゃん、お笑いタレント(マリア)
  • 12月26日 - 東島真一郎、ゲームセンターCXの初代AD、初代AP、映画監督
  • 12月27日 - マシ・オカ、俳優、VFXアーティスト
  • 12月27日 - 折笠富美子、声優
  • 12月30日 - 小松奈央(小松代真、代真)、歌手、元BeForUのメンバー

死去

1月

  • 1月6日 - ダビッド・アルファロ・シケイロス、画家(* 1896年)
  • 1月11日 - 山本有三、小説家(* 1887年)
  • 1月17日 - 朴烈、アナキズム運動家(* 1902年)
  • 1月20日 - エドマンド・ブランデン、詩人(* 1896年)
  • 1月21日 - 浜野徹太郎、弁護士・政治家(* 1885年)
  • 1月27日 - 藤原亮子、歌手(*1917年)

2月

  • 2月2日 - 斎藤素巌、彫刻家(* 1889年)
  • 2月4日 - サティエンドラ・ボース、物理学者(* 1894年)
  • 2月4日 - 尾崎喜八、詩人(* 1892年)
  • 2月15日 - クット・アッテルベリ、作曲家(* 1887年)
  • 2月17日 - 山本粂吉、政治家(* 1893年)
  • 2月19日 - 岩田専太郎、画家・美術考証家(* 1901年)
  • 2月19日 - 陸奥錦秀二郎、元力士(*1906年)
  • 2月20日 - ボブ・クリスチャン、プロ野球選手(* 1945年)

3月

  • 3月1日 - 田中耕太郎、法学者、文部大臣、最高裁判所長官、国際司法裁判所判事(* 1890年)
  • 3月1日 - ラリー・ドイル、メジャーリーガー(* 1886年)
  • 3月8日 - 香月泰男、画家(* 1911年)
  • 3月19日 - アン・クライン、ファッションデザイナー(* 1923年)
  • 3月21日 - 大橋國一、バリトン歌手(* 1931年)
  • 3月22日 - 福田平八郎、日本画家(* 1892年)
  • 3月22日 - ピーター・レブソン、F1ドライバー(* 1939年)
  • 3月24日 - 吉田五十八、建築家(* 1894年)
  • 3月27日 - 王明、中華人民共和国の政治家(* 1904年)
  • 3月27日 - 清水崑、漫画家(* 1912年)
  • 3月30日 - 橘孝三郎、政治運動家・国家主義者(* 1893年)
  • 3月31日 - 深尾須磨子、詩人・作家(* 1888年)

4月

  • 4月1日 - 高田敏子、教育家(* 1892年)
  • 4月2日 - ジョルジュ・ポンピドゥ、フランス第五共和政第2代大統領(* 1911年)
  • 4月7日 - 曾我廼家十吾、喜劇俳優(* 1891年)
  • 4月12日 - ウィリアム・ルベイ、地質学者(* 1898年)
  • 4月13日 - 中村星湖、文学者(* 1884年)
  • 4月18日 - マルセル・パニョル、小説家・劇作家・映画監督(* 1895年)
  • 4月23日 - サイ・ウィリアムズ、メジャーリーガー(* 1887年)

5月

  • 5月10日 - 坂本武、俳優(* 1899年)
  • 5月19日 - 南原繁、東京帝国大学総長・政治学者(* 1889年)
  • 5月21日 - クロンベルガー・リリー、フィギュアスケート選手(* 1890年)
  • 5月24日 - デューク・エリントン、ジャズピアニスト(* 1899年)
  • 5月26日 - シルビオ・モーザー、レーサー(* 1941年)
  • 5月31日 - 木村伊兵衛、写真家(* 1901年)

6月

  • 6月2日 - 風戸裕、レーサー(* 1949年)
  • 6月2日 - 鈴木誠一、レーサー(* 1936年)
  • 6月5日 - 富恵一、元プロ野球選手(* 1941年)
  • 6月7日 - 塚本憲甫、医学者(* 1904年)
  • 6月8日 - 谷口善太郎、小説家・政治家(* 1899年)
  • 6月15日 - 窪川鶴次郎、文芸評論家(* 1903年)
  • 6月18日 - ゲオルギー・ジューコフ、軍人(* 1896年)
  • 6月21日 - 小唄勝太郎、歌手(* 1904年)
  • 6月22日 - ダリウス・ミヨー、作曲家(* 1892年)
  • 6月23日 - 岡田光玉、世界真光文明教団教祖(* 1901年)
  • 6月29日 - 結城哀草果、歌人・随筆家(* 1893年)
  • 6月30日 - ヴァネヴァー・ブッシュ、技術者(* 1890年)

7月

  • 7月1日 - フアン・ペロン、アルゼンチン大統領(* 1895年)
  • 7月5日 - 務台理作、哲学者(* 1890年)
  • 7月8日 - 神山茂夫、社会運動家(* 1905年)
  • 7月9日 - アール・ウォーレン、カリフォルニア州知事・アメリカ合衆国最高裁判所長官(* 1891年)
  • 7月11日 - ペール・ラーゲルクヴィスト、作家・詩人(* 1891年)
  • 7月14日 - 琴錦登、大相撲の元力士・元小結(* 1922年)
  • 7月14日 - カール・スパーツ、アメリカ空軍大将(* 1891年)
  • 7月15日 - クリスティーン・チュバック、ニュースキャスター(* 1944年)
  • 7月17日 - ディジー・ディーン、メジャーリーガー(* 1910年)
  • 7月23日 - 辻永、洋画家(* 1884年)
  • 7月24日 - ジェームズ・チャドウィック、物理学者(* 1891年)
  • 7月25日 - 花菱アチャコ、漫才師(* 1897年)
  • 7月26日 - 木村俊恵、女優(* 1935年)
  • 7月29日 - 神田茂、天文学者(* 1894年)
  • 7月29日 - エーリッヒ・ケストナー、児童文学作家(* 1899年)
  • 7月29日 - キャス・エリオット、ミュージシャン、元ママス&パパスメンバー(* 1941年)

8月

  • 8月3日 - ヨアヒム・リッター、哲学者(* 1903年)
  • 8月8日 - バルドゥール・フォン・シーラッハ、ヒトラー・ユーゲントの指導者(* 1907年)
  • 8月8日 - いわさきちひろ、画家(* 1918年)
  • 8月11日 - 北白川房子、明治天皇第七皇女(* 1890年)
  • 8月12日 - 中村白葉、ロシア文学者(* 1890年)
  • 8月24日 - チャールズ・リンドバーグ、飛行家(* 1902年)
  • 8月31日 - 阿部静枝、歌人・評論家(* 1899年)

9月

  • 9月4日 - マルセル・アシャール、劇作家(* 1899年)
  • 9月4日 - クレイトン・エイブラムス、アメリカ陸軍参謀総長(* 1914年)
  • 9月8日 - ヴォルフガング・ヴィントガッセン、テノール歌手(* 1914年)
  • 9月13日 - 高野実、労働運動家(* 1901年)
  • 9月15日 - 有島生馬、洋画家(* 1882年)
  • 9月18日 - 齋藤秀雄、指揮者・音楽教育家(* 1902年)
  • 9月21日 - 山本嘉次郎、映画監督(* 1902年)
  • 9月23日 - 花田清輝、文芸評論家(* 1909年)
  • 9月30日 - 宮川哲夫、作詞家(*1922年)
  • 9月30日 - 5代目柳家つばめ、落語家(* 1928年)

10月

  • 10月5日 - ザルマン・シャザール、第3代イスラエル大統領(* 1889年)
  • 10月6日 - ヘルムート・コイニク、F1ドライバー(* 1948年)
  • 10月9日 - オスカー・シンドラー、実業家(* 1908年)
  • 10月13日 - 宮本三郎、洋画家(* 1905年)
  • 10月13日 - サム・ライス、メジャーリーガー(* 1890年)
  • 10月17日 - 田坂具隆、映画監督(* 1902年)
  • 10月17日 - 黒尾重明、元プロ野球選手(* 1926年)
  • 10月21日 - 丸山薫、詩人(* 1899年)
  • 10月21日 - レンジェル・メニヘールト、劇作家・脚本家(* 1880年)
  • 10月24日 - ダヴィッド・オイストラフ、ヴァイオリニスト(* 1908年)
  • 10月29日 - ジョージ・ウイルソン、元プロ野球選手(* 1925年)

11月

  • 11月1日 - 南条徳男、弁護士・政治家(* 1895年)
  • 11月4日 - 落合英二、薬学者(* 1898年)
  • 11月8日 - 井上武士、作曲家(* 1894年)
  • 11月12日 - 菊池正士、物理学者(* 1902年)
  • 11月13日 - ヴィットリオ・デ・シーカ、映画監督(* 1901年)
  • 11月14日 - 堀久作、実業家(* 1900年)
  • 11月14日 - 池田敏雄、富士通専務・コンピュータ国産化の父といわれる(*1923年)
  • 11月16日 - ウォルサー・マイスナー、物理学者(* 1882年)
  • 11月26日 - 沢村国太郎、俳優(* 1905年)
  • 11月29日 - 彭徳懐、中華人民共和国の軍人・政治家(* 1898年)

12月

  • 12月2日 - ソフィー=カルメン・エックハルト=グラマッテ、作曲家(* 1901年)
  • 12月6日 - 高山義三、政治家、第19代京都市長(* 1892年)
  • 12月14日 - ウォルター・リップマン、ジャーナリスト(* 1889年)
  • 12月15日 - アナトール・リトヴァク、映画監督(* 1902年)
  • 12月18日 - ハリー・フーパー、メジャーリーガー(* 1887年)
  • 12月20日 - 赤松要、経済学者(* 1896年)
  • 12月23日 - 高木市之助、国文学者(* 1888年)
  • 12月28日 - 三島海雲、実業家、カルピス創業者(* 1878年)
  • 12月30日 - 藤野天光、彫刻家(* 1903年)
  • 12月30日 - 三代目 尾上鯉三郎、歌舞伎役者(* 1897年)

ノーベル賞

  • 物理学賞 - マーティン・ライル(イギリス)、アントニー・ヒューイッシュ(イギリス)
  • 化学賞 - ポール・フローリー(アメリカ)
  • 生理学・医学賞 - アルベルト・クラウデ(ベルギー)、クリスチャン・ド・デューブ(ベルギー)、ジョージ・エミール・パラーデ(アメリカ)
  • 文学賞 - エイヴィンド・ユーンソン(スウェーデン)、ハリー・マーティンソン(スウェーデン)
  • 平和賞 - 佐藤栄作(日本)、ショーン・マクブライド(アイルランド)
  • 経済学賞 - グンナー・ミュルダール(スウェーデン)、フリードリヒ・ハイエク(イギリス)

フィクションのできごと

  • 12月 - 公式にはミッション中止とされた「アポロ18号」が極秘裏に月面へと打ち上げられる。表面上の目的は動体感知カメラとミサイル防衛を目的とした「国防総省 PSD5」という装置の設置。(映画『アポロ18』)
  • M78星雲・ウルトラの星と地球が衝突の危機に合う。同時にその是非を巡ってウルトラ兄弟とレオ兄弟の戦いが地球で起こる。(特撮テレビドラマ『ウルトラマンレオ』)
  • ゴジラとメカゴジラが沖縄を舞台に激突する。(映画『ゴジラ対メカゴジラ』)
  • ジェフ・トレーシーらを乗せたアメリカのロケットが、人類初の月面着陸に成功する。(特撮テレビ番組『サンダーバード』)
  • ロジャー・ウィルスン大尉が乗るアメリカの宇宙船が人類初の月面着陸に成功。ウィルスン大尉は2日間着陸した月の表側をアメリカ領だと宣言する。(小説『月は地獄だ!』)
  • 漫画・アニメ『ちびまる子ちゃん』の時代設定(1974年の静岡県清水市)。
  • 地球を先史時代に戻す計画が始動。副作用として恐竜が出現する。(ドラマ『ドクター・フー』)
  • 惑星メテベリス3からクモが地球に侵入、人類をマインドコントロールする。(ドラマ『ドクター・フー』)
  • ロボットが暴走する。再生したばかりの4代目ドクターが対処に動く。(ドラマ『ドクター・フー』)
  • 11代目ドクターがガリバーン邸に出現した幽霊の正体を暴く。(ドラマ『ドクター・フー』)
  • 野比のび太が地下鉄を掘り、父であるのび助にクリスマスプレゼントとして定期券を渡す。(漫画『ドラえもん』)
  • 日本が沈没する。(テレビドラマ『日本沈没』)
  • コスタリカにおいて「ピースウォーカー事件」が発生。(ゲーム『メタルギアソリッド ピースウォーカー』)

誕生日

  • 6月12日 - ピノ、コンピュータゲーム『ファミスタシリーズ』に登場する架空のプロ野球選手(『ファミスタ64』及び同作品ガイドブックでの設定)。
  • 6月28日 - 柏木雪乃、テレビドラマ・映画『踊る大捜査線』の登場人物。
  • 7月29日 - 久保嘉治、漫画『シュート!』の登場人物。
  • 10月11日 - 神谷篤志、漫画『シュート!』の登場人物。
  • 11月1日 - キティ・ホワイト、サンリオのマスコットキャラクター。
  • 11月1日 - ミミィ・ホワイト、キティと双子で、妹。

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 年の一覧
  • 年表
  • 年表一覧
  • 「1974 (16光年の訪問者)」

1974年


1974年の野球


1974年の野球


< 1974年 | 1974年のスポーツ

競技結果

日本プロ野球

ペナントレース

  • 1・2位はプレーオフにより決定。後期における太平洋クラブライオンズと近鉄バファローズは同率の4位であり、総合順位では太平洋クラブライオンズが4位・近鉄バファローズが5位となる。

パシフィック・リーグプレーオフ

日本シリーズ

個人タイトル

ベストナイン

オールスターゲーム

高校野球

  • 第46回選抜高等学校野球大会優勝:報徳学園(兵庫県)
  • 第56回全国高等学校野球選手権大会優勝:銚子商(千葉県)

大学野球

  • 第23回全日本大学野球選手権大会優勝:早稲田大
  • 第5回明治神宮野球大会優勝:中央大
  • 東京六大学野球連盟優勝 春:早稲田大、秋:法政大
  • 東都大学野球連盟優勝 春:駒澤大、秋:中央大
  • 関西大学野球連合優勝 春:近畿大、秋:同志社大

社会人野球

  • 第45回都市対抗野球大会優勝:大昭和製紙北海道
  • 第1回社会人野球日本選手権大会優勝:三協精機

メジャーリーグ

  • ワールドシリーズ
    オークランド・アスレチックス (4勝1敗) ロサンゼルス・ドジャース
Turnbull & Asser

できごと

1月

  • 1月18日 - 太平洋は前デトロイト・タイガースのフランク・ハワードの入団を正式に発表。
  • 1月19日 - 阪神は藤井栄治と太平洋の阿部良男のトレードが成立したと正式に発表。

2月

  • 2月8日 - 株式会社東京スタヂアムが午前10時より東京球場にて株主総会を開き、精算、決算の報告を承認し、解散となる。
  • 2月12日 - 日本野球規則委員会が東京・銀座のプロ野球コミッショナー事務局にて、救援投手に対するセーブ記録の採用などルールの一部改正を発表。
  • 2月18日 - セ・リーグは東京・銀座の連盟事務所にて理事会を開き、今年度から救援投手に「セーブ」が採用されるため最多セーブ投手を表彰することを決定。
  • 2月19日 - パ・リーグは東京・銀座の連盟事務所にて理事会を開き、今年度より最多セーブ投手を表彰する、ダブルヘッダーの第一試合で暴力行為を働いた選手・監督は第二試合に出場させないことなどを決定。

4月

  • 4月6日
    • プロ野球の公式戦がセ・リーグ、パ・リーグとも開幕。
    • 第46回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場にて午後1時2分から行われ、報徳高校が池田高校を3対1で破り、初優勝。
  • 4月8日 - 【MLB】アトランタ・ブレーブスのハンク・アーロンがアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムでの対ロサンゼルス・ドジャース戦の4回裏に3号本塁打を放ち、ベーブ・ルースの通算714本塁打を抜いて、メジャー通算715本塁打の新記録を達成。
  • 4月10日 - 阪急の長池徳士が熊本県営球場での対日本ハム2回戦の5回に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成。
  • 4月13日 - 南海ホークスの広瀬叔功が西宮球場での対阪急1回戦の9回表に代打で出場し、プロ通算2000試合出場達成。
  • 4月16日 - 太平洋の待井昇が平和台球場での対南海2回戦の9回裏に代打で出場して、サヨナラ適時打を放つ。プロ初安打がサヨナラ打となる。
  • 4月17日 - 南海の小池兼司が平和台球場での対太平洋3回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成。
  • 4月23日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト4回戦の8回裏に三振に倒れ、プロ通算1000三振を記録。
  • 4月24日 - 日本ハムの張本勲が後楽園球場での対近鉄2回戦の1回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成。
  • 4月27日 - 川崎球場でのロッテ対太平洋3回戦の4回裏に、1死三塁で成田文男の犠飛で三塁走者の弘田澄男がホームインするが、太平洋の捕手の宮寺勝利がブロックし弘田は宮寺の足に引っ掛かり転倒、これにロッテの監督の金田正一が激昂して宮寺に飛び蹴りして、両軍から選手が飛び出して乱闘に発展。
  • 4月28日 - 太平洋の基満男が川崎球場での対ロッテ4回戦1回表に2号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。

5月

  • 5月8日 - 後楽園球場での日本ハム対太平洋3回戦の試合で、7回表に太平洋のファンが日本ハムの三塁手の阪本敏三めがけてビール瓶を投げつけ阪本は頭を裂傷し、日本ハムナインとファンが小競り合いする騒ぎが起きる。
  • 5月16日 - 福岡市は太平洋に対し、同球団が作成した4月27日の試合でのドン・ビュフォードと金田正一が乱闘している写真がデザインされた17日からの対南海4連戦、21日からの対ロッテ3連戦の宣伝用のポスターの回収を要請、オーナーの中村長芳も球団代表の坂井保之に対して撤去を命じる。
  • 5月19日
    • 阪急の高井保弘が後楽園球場での対日本ハム9回戦に9回1死一・二塁の場面で今津光男の代打で出場、三浦政基から3ラン本塁打を放ち、代打本塁打13のプロ野球記録。
    • 阪急の森本潔が後楽園球場での対日本ハム9回戦の2回表に3号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成。
  • 5月21日 - ロッテの山崎裕之が平和台球場での対太平洋7回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成。
  • 5月23日 - ロッテの木樽正明が平和台球場での対太平洋前期8回戦に先発登板し、3失点の完投で6勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成。
  • 5月31日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対太平洋6回戦の一回裏に安打を放ち、プロ通算3000塁打を達成。

6月

  • 6月8日 - 阪急の長池徳士が西宮球場での対南海9回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成。
  • 6月9日 - 南海の野村克也が西宮球場での対阪急ダブルヘッダー第2試合の11回戦の7回表に二塁打を放ち、プロ通算350二塁打を達成。
  • 6月13日 - 阪神の江夏豊が甲子園球場での対広島11回戦の7回表に深沢修一から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成。
  • 6月15日 - 阪神の田淵幸一が神宮球場での対ヤクルト9回戦の9回表に18号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成。
  • 6月20日 - 阪急が西京極球場での対近鉄13回戦に5-3と勝利し、パ・リーグ前期優勝を決める。
  • 6月22日
    • 大洋の坂井勝二が川崎球場での対ヤクルト11回戦の4回表に小田義人から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成。
    • 阪神の一枝修平が甲子園球場での対巨人12回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成。
  • 6月28日 - 阪急の高井保弘が平和台球場での対太平洋クラブライオンズ13回戦の1回表に長池徳士の代打で出場し、プロ野球新記録を更新する14本目の代打本塁打を放つ。
  • 6月29日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト13回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成。

7月

  • 7月4日 - パ・リーグの前期の公式戦が終了。
  • 7月5日
    • パ・リーグの後期が開幕。
    • 近鉄のクラレンス・ジョーンズが日生球場での対阪急後期1回戦の五回裏に18号3点本塁打を打ち、プロ野球通算150号本塁打を達成。
    • 太平洋はフランク・ハワードを任意引退とした。
  • 7月9日 - 川崎球場での対大洋ホエールズ11回戦の二回表に、巨人の先頭打者の河埜和正への初球を主審の平光清はファウルと判定、巨人の監督の川上哲治が死球だと平光に抗議し、平光は暴力行為があったとして川上に退場を命じる。巨人の監督が退場処分を受けたのは、1956年7月31日の甲子園球場で行われた対阪神16回戦で水原円裕監督が審判に暴力行為で退場処分を受けて以来 。
  • 7月15日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神14回戦の八回裏に23号満塁本塁打を放ち、プロ野球新記録の通算13本目の満塁本塁打を記録。
  • 7月13日 - 太平洋は前サンディエゴ・パドレスのマティ・アルーの入団を正式発表。
  • 7月17日 - 日本ハムのテリー・レイが対日生球場での近鉄後期1回戦の一回裏に3つボークを取られ、1イニング3ボークのパ・リーグ新記録。
  • 7月21日 - プロ野球オールスターゲーム第1戦が後楽園球場において行われ、9回裏パ・リーグの攻撃中、一死一塁の場面でロッテの山崎裕之の代打に阪急の高井保弘が起用され、オールスターゲーム史上初となる代打逆転サヨナラ本塁打を記録。パ・リーグが3対2で勝利し、高井はこの試合のMVPを獲得。
  • 7月30日 - 巨人の王貞治が神宮球場での対ヤクルト17回戦の五回表に27号3点本塁打を放ち、プロ通算1500打点を記録。

8月

  • 8月4日 - 巨人の王貞治が甲子園球場での対阪神17回戦の六回表に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成。
  • 8月6日 - 巨人の長島茂雄が中日球場での対中日14回戦の五回表に2点適時打を放ち、プロ通算1500打点を達成。
  • 8月13日 - 広島の山本一義が広島市民球場での対阪神戦19回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成。
  • 8月16日 - 近鉄の土井正博が日生球場での対日本ハム後期6回戦の六回裏に24号本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成。
  • 8月18日 - 日本ハムの高橋直樹が日生球場での対近鉄の後期8回戦で史上唯一の「一人で1試合の勝利投手とセーブ投手の両方を記録」を達成した。この後、ルール改定が行われ、「勝ち投手になった場合、その人物にはセーブをあたえない」という規定が追加されたため、現在では達成不可能。
  • 8月29日 - 日本ハムの張本勲が神宮球場での対太平洋後期8回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成。

9月

  • 9月3日 - 中日の飯田幸夫が中日球場での対広島20回戦の九回裏無死満塁の場面で代打で起用され、3号サヨナラ満塁本塁打を放つ。代打サヨナラ満塁本塁打は史上6人目。
  • 9月22日 - ロッテの金田留広が静岡での対日本ハムダブルヘッダー第二試合の後期13回戦に先発して16勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成。
  • 9月26日 - 南海対日本ハムの後期9回戦が後楽園球場で行われ延長11回4対4の引き分けに終わり、ロッテの後期優勝が決まる。南海の佐野嘉幸が六回表に代打として出場し、プロ通算1000試合出場を達成。
  • 9月29日 - 日本ハムの高橋博士が後楽園球場での南海ダブルヘッダー第二試合の後期13回戦で史上初の1試合全ポジションに付く

10月

  • 10月2日 - パ・リーグの公式戦全日程が終了。
  • 10月4日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神24回戦でセ・リーグタイ記録の1試合5敬遠四球。
  • 10月9日 - パ・リーグのプレーオフの第3戦が仙台宮城球場で行われ、ロッテが阪急に4対0で勝利し、3連勝で4年ぶり4度目のリーグ優勝。
  • 10月11日 - セ・リーグは今季から制定したカムバック賞にヤクルトの石岡康三を選出。
  • 10月12日
    • 中日ドラゴンズが中日球場での大洋とのダブルヘッダーの25,26回戦に連勝し、20年ぶり2度目のリーグ優勝。
    • 巨人の長嶋茂雄が神宮球場でのヤクルト対巨人26回戦の試合後に記者会見し、現役引退を表明。
  • 10月14日
    • 巨人の長嶋茂雄が後楽園球場の対中日戦ダブルヘッダーの第2試合の26回戦の試合終了後に引退セレモニーを行う。
    • 阪神は監督の金田正泰の辞任、球団代表の戸沢一隆の辞任と後任に球団常務取締役の長田陸夫の就任を発表。
  • 10月15日
    • セ・リーグの全日程が終了し、巨人の王貞治が2年連続で三冠王となる。
    • 大洋の監督の宮崎剛が今季限りでの辞任を表明。
  • 10月21日
    • 大洋・中部謙吉と太平洋・中村長芳の両オーナーが午後3時から東京・千代田区の大洋漁業本社にて記者会見し、太平洋の監督に大洋の江藤慎一が選手兼任で就任すると正式に発表。太平洋の河原明とのトレードで移籍する。
    • 広島は広島市内の球団事務所にて監督の森永勝也の辞任と、打撃コーチのジョー・ルーツの監督昇格を発表。
  • 10月22日 - 日本ハムの大下剛史と広島の上垣内誠・渋谷通のトレードが成立したと広島の球団代表の重松良典が発表。
  • 10月23日 - 日本シリーズの第6戦が中日球場で行われロッテが延長10回3対2で勝利し4勝2敗で24年ぶり2度目の日本シリーズ優勝達成。日本シリーズMVPはロッテの弘田澄男。
  • 10月24日
    • 1974年度のプロ野球セ・パ最優秀選手、ベストナイン、最優秀新人を決める記者投票の開票が午前10時から東京・銀座のコミッショナー事務局で開票され、最優秀選手にセ・リーグは王貞治、パ・リーグは金田留広が、最優秀新人選手はセ・リーグは藤波行雄、パ・リーグは三井雅晴が選出される。
    • 大洋は新監督にヘッドコーチの秋山登が就任すると発表。
  • 10月25日 - 阪神は吉田義男の新監督就任と、オーナーの野田誠三の辞任を発表。
  • 10月30日 - 日本ハムとヤクルトは、大杉勝男と小田義人・内田順三のトレードが成立したと発表。

11月

  • 11月12日 - 大洋は東京・京橋の球団事務所にて球団代表の矢野純一が辞任し業務担当取締役に、球団社長の横田茂平が球団代表を兼任すると発表。
  • 11月19日 - ドラフト会議が午前11時30分から東京・有楽町の日生会館にて行われる。
  • 11月20日 - 巨人の監督の川上哲治が草薙球場で行われた日米親善野球最終戦の試合後に記者会見し、監督の辞任を正式に発表。
  • 11月21日
    • 巨人は後楽園球場にて記者会見し、川上哲治の退任に伴い長嶋茂雄が新監督に就任したと正式に発表。
    • ロッテ・阪神は、池辺巌・井上圭一と鈴木皖武・小山清一・上辻修・平山英雄・森山正義の2対5のトレードが成立したと発表。
  • 11月25日
    • 近鉄の土井正博と太平洋の柳田豊・芝池博明の1対2のトレードが成立したと近鉄・太平洋両球団が発表。
    • 大洋は、巨人の投手コーチ兼スカウトの藤田元司が大洋の1軍投手コーチに就任したと発表。
    • 野球体育博物館に表彰、掲載される球界関係者を選出する競技者表彰委員会が午前11時から東京・有楽町の「アラスカ」にて開かれ記者投票が開票され、藤村富美男と藤本定義の野球殿堂入りが決定。
  • 11月26日 - 沢村賞の選考委員会が正午から東京・有楽町の交通大飯店にて開かれ、中日の星野仙一を選出。

12月

  • 12月2日 - 巨人の森昌彦が東京・大手町の球団事務所を訪れオーナーの正力亨に対しに退団を申し入れ了承される。
  • 12月16日 - 広島はゲイル・ホプキンス、リッチー・シェーンの入団が決定したと発表。
  • 12月18日 - 巨人の菅原勝矢が球団に対し現役引退を申し入れる。
  • 12月20日 - プロ野球実行委員会が東京・日航ホテルにて午後1時半より行われ、パ・リーグが指名打者制度の採用を提案、セ・リーグは日本シリーズ、オールスター戦、オープン戦でのセ・パ両リーグのチームが対戦する場合指名打者制は認めないことを条件に、パの指名打者制の導入を認める。

誕生

1月

  • 1月1日 - ケビン・バーン
  • 1月28日 - マグリオ・オルドニェス
  • 1月28日 - ジャーメイン・ダイ
  • 1月29日 - 小林幹英
  • 1月31日 - アリエル・ペスタノ

2月

  • 2月11日 - 代田建紀
  • 2月19日 - 坪井智哉
  • 2月24日 - マイク・ローウェル

3月

  • 3月11日 - ボビー・アブレイユ
  • 3月12日 - 礒部公一

4月

  • 4月24日 - 村田善則

5月

  • 5月8日 - 陳甲龍
  • 5月11日 - 山口和男
  • 5月13日 - 野口茂樹
  • 5月17日 - 副島孔太
  • 5月22日 - ジョン・ベイル
  • 5月23日 - 柴原洋
  • 5月24日 - 小林雅英
  • 5月25日 - ミゲル・テハダ

6月

  • 6月4日 - ダリン・アースタッド
  • 6月8日 - 三澤興一
  • 6月12日 - 松井秀喜
  • 6月13日 - ブライアン・スウィーニー
  • 6月18日 - 大友進
  • 6月26日 - デレク・ジーター
  • 6月26日 - ジェイソン・ケンドール

7月

  • 7月15日 - 佐久本昌広
  • 7月27日 - ブライアン・シコースキー

8月

  • 8月6日 - ルイス・ビスカイーノ
  • 8月9日 - マット・モリス
  • 8月21日 - 安達智次郎(+ 2016年)
  • 8月27日 - 後藤光貴
  • 8月27日 - ホセ・ビドロ

9月

  • 9月11日 - 今岡誠
  • 9月12日 - 森慎二(+ 2017年)
  • 9月15日 - 倉野信次
  • 9月21日 - 澤崎俊和

10月

  • 10月3日 - アレックス・ラミレス
  • 10月25日 - 李炳圭
  • 10月29日 - R.A.ディッキー
  • 10月31日 - ロブ・コルデマンス

11月

  • 11月2日 - ホセ・フェルナンデス
  • 11月2日 - オーランド・カブレラ
  • 11月10日 - 岩瀬仁紀
  • 11月22日 - ジョー・ネイサン

12月

  • 12月4日 - 井口資仁
  • 12月24日 - ケビン・ミルウッド

死去

  • 2月20日 - ボブ・クリスチャン(* 1945年)
  • 6月5日 - 富恵一(* 1941年)
  • 10月17日 - 黒尾重明(* 1926年)

脚注


1974年の野球


1974 FIFAワールドカップ


1974 FIFAワールドカップ


1974 FIFAワールドカップ(英: 1974 FIFA World Cup )は、1974年6月13日から7月7日にかけて、西ドイツ(現・ドイツ)で開催された第10回目のFIFAワールドカップである。西ドイツが決勝でオランダを2対1で下し、スイス大会以来2度目の優勝を遂げる。

予選

Turnbull & Asser

出場国

出場選手は1974 FIFAワールドカップ参加チームを参照。

  • 備考欄の「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。

本大会

概要

この第10回記念大会で初めて、2014年現在でも使われているFIFAワールドカップトロフィーが優勝国に手渡された。それ以前に使われていたジュールリメ杯は、1970年大会でブラジルが3回目の優勝を遂げたため、ブラジルにて永久に保管されることとなっており、新しいトロフィーが今後の大会のために準備された。また、この大会から開幕戦は開催国ではなく、前回優勝国が出場することになった。これは2002年の日韓大会まで続いた。ドイツで2回目の開催となった2006年からは、前回優勝国の予選免除特権が無くなったため、再び開催国が開幕戦に出場することとなった。

大会の方式が1970年大会のものから変更され、初めて「2次リーグ制」が取り入れられた。16チームが地区予選を突破して招待され、1次リーグは4チームずつ4つのグループに分けられた。各グループの1位と2位チームが2次リーグに進出し、4チームずつ2グループに分けられた。各グループの1位同士が決勝戦を行い、各グループの2位同士が3位決定戦を行った。この方式が実施されたのは今大会と次回アルゼンチン大会のみである。

1次リーグでは、ハンブルクの試合会場で東ドイツ対西ドイツ戦が行われた。両国が同組に入ることが決まった瞬間、組合せ抽選会場には大きなどよめきが起こったという。東西ドイツが対戦した史上唯一の国際Aマッチであり、大方の予想を覆してユルゲン・シュパールヴァッサーのシュートにより東ドイツが1対0で勝利した。

前回優勝国のブラジルは、ペレ、トスタン、ジェルソンが代表引退した影響でチーム力が落ち、1次リーグも何とか通過する状態であった。2次リーグでもオランダに0対2で完敗し、3位決定戦でもポーランドに敗れ4位に終わったが、2次リーグでの東ドイツ戦でリベリーノがFKを決めた場面が唯一の見せ場だった。

2年前のミュンヘン・オリンピックで金メダルを獲得した実績を持ち、ヨーロッパ地区予選でイングランドに競り勝って出場したポーランドも話題となった。グジェゴシ・ラトーが通算7得点を挙げ大会得点王となったが、彼以外にもロベルト・ガドハ、アンジェイ・シャルマッフ、カジミエシュ・デイナらを揃えてスピード溢れる攻撃サッカーを披露、2次リーグ最終戦で西ドイツに敗れたが、3位決定戦でブラジルを下して3位の座を確保した。

ジャンニ・リベラ、サンドロ・マッツォーラらを擁して優勝候補にも挙げられていたイタリアだったが、名GKディノ・ゾフの持つ連続無失点記録をよりによってハイチに止められたのがケチの付き始めとなった。ハイチ戦は3対1で勝利したものの、続くアルゼンチン戦を1対1の引分け、2次リーグ進出を懸けたポーランド戦を1対2で落すと、アルゼンチンに得失点差で1点及ばず、1次リーグ敗退に終わった。

この大会は既存のサッカー戦術に変革をもたらした大会であった。準優勝に終わったものの、今大会の台風の目となったオランダは、“フライング・ダッチマン”ヨハン・クライフを中心にヨハン・ニースケンス、ルート・クロル、ロブ・レンセンブリンク、ヨニー・レップ、アリー・ハーン、ウィレム・ファン・ハネヘム、ビム・ヤンセンらが従来のポジションに捉われず目まぐるしく動き回る全員攻撃・全員防御の「トータルフットボール」を展開し、サッカー界にセンセーションを巻き起こした。

一方、優勝した西ドイツもベッケンバウアーを中心としたリベロ・システムを披露した。オランダのトータルフットボールが全世界の注目を集めたため、それほど目立たなかったもののディフェンダーが戦術的に攻め上がるというシステムは画期的であった。西ドイツは円熟の境地を迎えた“皇帝”フランツ・ベッケンバウアーを始めとして“爆撃機”の異名を誇ったFWゲルト・ミュラー、中盤で試合を組み立てた“左足の芸術家”ヴォルフガング・オヴェラート、クライフを密着マークし完封したDFベルティ・フォクツ、決勝で同点ゴールとなるPKを事も無げに決めた若き左サイドバックパウル・ブライトナー、GKゼップ・マイヤーといった今日でも語り継がれるスター選手を揃えていた。ミュラーは決勝戦で決勝点を挙げ、西ドイツ代表の優勝に貢献した。

会場一覧

結果

1次リーグ

グループ 1








グループ 2








※ブラジルが得失点差でスコットランドを上回り2次リーグ進出

グループ 3








グループ 4








※アルゼンチンが得失点差でイタリアを上回り2次リーグ進出

2次リーグ

グループ A








グループ B








3位決定戦



決勝



優勝国

得点ランキング

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • 1974 FIFA World Cup Germany - FIFA.com(英語)
  • RSSSFによる記録

1974 FIFAワールドカップ


UEFAカップ1974-75


UEFAカップ1974-75


UEFAカップ 1974-75は、ボルシア・メンヒェングラートバッハがトゥウェンテを下して優勝した。

1回戦

Turnbull & Asser

2回戦

3回戦

準々決勝

準決勝

決勝

脚注

関連項目

  • UEFAチャンピオンズカップ 1974-75
  • UEFAカップウィナーズカップ 1974-75

外部リンク

  • UEFAカップ1974-75 (UEFA)
  • UEFAカップ1974-75 (RSSSF)

UEFAカップ1974-75


1974年全米オープン (テニス)


1974年全米オープン (テニス)


1974年 全米オープン(US Open 1974)は、アメリカ・ニューヨーク市クイーンズ区フォレストヒルズにある「ウエストサイド・テニスクラブ」にて、1974年8月27日から9月8日にかけて開催された。

大会の流れ

  • 男子シングルスは「128名」の選手による7回戦制で、女子シングルスは「64名」の選手による6回戦制で行われた。シード選手は男子16名、女子8名。男女とも「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)はない。
  • コートのサーフェス(表面)は、芝生コートで実施された。
Turnbull & Asser

シード選手

男子シングルス

  1.  ジミー・コナーズ (初優勝)
  2.  ジョン・ニューカム (ベスト4)
  3.  スタン・スミス (ベスト8)
  4.  ビョルン・ボルグ (2回戦)
  5.  ケン・ローズウォール (準優勝)
  6.  トム・オッカー (4回戦)
  7.  イリ・ナスターゼ (3回戦)
  8.  アーサー・アッシュ (ベスト8)
  9.  ギリェルモ・ビラス (4回戦)
  10.  マニュエル・オランテス (2回戦)
  11.  マーティー・リーセン (4回戦)
  12.  ヤン・コデシュ (4回戦)
  13.  アレックス・メトレベリ (ベスト8)
  14.  ディック・ストックトン (3回戦)
  15.  トム・ゴーマン (2回戦)
  16.  ラウル・ラミレス (4回戦)

女子シングルス

  1.  クリス・エバート (ベスト4)
  2.  ビリー・ジーン・キング (優勝、2年ぶり4度目)
  3.  オルガ・モロゾワ (大会開始前に棄権)
  4.  ケリー・メルビル (ベスト8)
  5.  イボンヌ・グーラゴング (準優勝)
  6.  ロージー・カザルス (ベスト8)
  7.  バージニア・ウェード (2回戦)
  8.  レスリー・ハント (ベスト8)

大会経過

男子シングルス

準々決勝

  • ジミー・コナーズ vs. アレックス・メトレベリ 3-6, 6-3, 6-4, 6-1
  • ロスコー・タナー vs. スタン・スミス 7-6, 6-2, 3-6, 6-1
  • ケン・ローズウォール vs. ビジャイ・アムリトラジ 2-6, 6-3, 6-3, 6-2
  • ジョン・ニューカム vs. アーサー・アッシュ 4-6, 6-3, 3-6, 7-6, 6-4

準決勝

  • ジミー・コナーズ vs. ロスコー・タナー 7-6, 7-6, 6-4
  • ケン・ローズウォール vs. ジョン・ニューカム 6-7, 6-4, 7-6, 6-3

女子シングルス

準々決勝

  • クリス・エバート vs. レスリー・ハント 7-6, 6-3
  • イボンヌ・グーラゴング vs. ケリー・メルビル 6-4, 7-5
  • ジュリー・ヘルドマン vs. ナンシー・グンター 7-5, 7-6
  • ビリー・ジーン・キング vs. ロージー・カザルス 6-1, 7-6

準決勝

  • イボンヌ・グーラゴング vs. クリス・エバート 6-0, 6-7, 6-3
  • ビリー・ジーン・キング vs. ジュリー・ヘルドマン 2-6, 6-3, 6-1

決勝戦の結果

  • 男子シングルス: ジミー・コナーズ vs. ケン・ローズウォール 6-1, 6-0, 6-1
  • 女子シングルス: ビリー・ジーン・キング vs. イボンヌ・グーラゴング 3-6, 6-3, 7-5
  • 男子ダブルス: スタン・スミス& ボブ・ルッツ vs. パトリシオ・コルネヨ& ハイメ・フィヨル 6-3, 6-3
  • 女子ダブルス: ビリー・ジーン・キング& ロージー・カザルス vs. フランソワーズ・デュール& ベティ・ストーブ 7-6, 6-7, 6-4
  • 混合ダブルス: ジェフ・マスターズ& パム・ティーガーデン vs. ジミー・コナーズ& クリス・エバート 6-1, 7-6

みどころ

  • 男子シングルス優勝者のジミー・コナーズが、全仏オープンを除く4大大会年間3冠を獲得した。1968年の「オープン化措置」実施後、男子選手の4大大会年間3冠達成は初めてだった。(ただし、1969年のロッド・レーバーによる「年間グランドスラム」を含まない。)ウィンブルドンに続き、決勝でコナーズに連敗した準優勝者のケン・ローズウォールは、当時39歳を迎えていた。

外部リンク

  • 国際テニス連盟トーナメントリンク(男子、女子)

1974年全米オープン (テニス)


1974年の音楽


1974年の音楽


1974年の音楽(1974ねんのおんがく)では、1974年(昭和49年)の音楽分野の動向についてまとめる。

出来事

  • この年のビルボード年間チャートのベスト5は以下のとおり。
  1. バーブラ・ストライサンド 「追憶」
  2. テリー・ジャックス 「そよ風のバラード」
  3. ラブ・アンリミテッド・オーケストラ 「愛のテーマ」
  4. レッドボーン 「カム・アンド・ゲット・ユア・ラヴ」
  5. ジャクソン5 「ダンシング・マシーン」
  • 日本では井上陽水『氷の世界』が大ヒットし、1975年にはアルバム初のミリオンセラーを記録する。年間アルバム・チャートでも、トップ10に4作もランクインするなど、陽水ブームとなった。
  • 4月6日 - 第19回ユーロビジョン・ソング・コンテストがイギリス・ブライトンで開催。ABBA(スウェーデン)が優勝。
  • 8月3日 - 西城秀樹がソロ歌手として史上初となる日本のスタジアムでのコンサートを大阪スタヂアム(大阪球場)で開催。
  • 12月31日
    • 第16回日本レコード大賞 襟裳岬/森進一
    最優秀歌唱賞 五木ひろし/「みれん」、最優秀新人賞 麻生よう子/「逃避行」
    • 第25回NHK紅白歌合戦
Turnbull & Asser

1974年のシングル、アルバム

洋楽

シングル

アルバム

年間ランキング (日本)

シングル

年間TOP50
  • 集計会社 オリコン

※1973年12月3日付 - 1974年11月25日付

  • 1位 殿さまキングス:「なみだの操」
  • 2位 小坂明子:「あなた」
  • 3位 中条きよし:「うそ」
  • 4位 中村雅俊:「ふれあい」
  • 5位 フィンガー5:「恋のダイヤル6700」
  • 6位 殿さまキングス:「夫婦鏡」
  • 7位 渡哲也:「くちなしの花」
  • 8位 西城秀樹:「激しい恋」
  • 9位 布施明:「積木の部屋」
  • 10位 フィンガー5:「学園天国」
  • 11位 沢田研二:「追憶」
  • 12位 りりィ:「私は泣いています」
  • 13位 グレープ:「精霊流し」
  • 14位 アグネス・チャン:「小さな恋の物語」
  • 15位 山口百恵:「ひと夏の経験」
  • 16位 郷ひろみ:「よろしく哀愁」
  • 17位 山本コウタローとウィークエンド:「岬めぐり」
  • 18位 梓みちよ:「二人でお酒を」
  • 19位 五木ひろし:「夜空」
  • 20位 山口百恵:「ちっぽけな感傷」
  • 21位 五木ひろし:「浜昼顔」
  • 22位 西城秀樹:「愛の十字架」
  • 23位 森進一:「冬の旅」
  • 24位 沢田研二:「魅せられた夜」
  • 25位 八代亜紀:「愛ひとすじ」
  • 26位 アグネス・チャン:「星に願いを」
  • 27位 フィンガー5:「個人授業」
  • 28位 西城秀樹:「薔薇の鎖」
  • 29位 郷ひろみ:「花とみつばち」
  • 30位 チェリッシュ:「恋の風車」
  • 31位 森進一:「襟裳岬」
  • 32位 かぐや姫:「赤ちょうちん」
  • 33位 中条きよし:「うすなさけ」
  • 34位 西城秀樹:「傷だらけのローラ」
  • 35位 ダ・カーポ:「結婚するって本当ですか」
  • 36位 森進一:「さらば友よ」
  • 37位 郷ひろみ:「モナリザの秘密」
  • 38位 加藤登紀子・長谷川きよし:「灰色の瞳」
  • 39位 井上陽水:「心もよう」
  • 40位 天地真理:「想い出のセレナーデ」
  • 41位 南こうせつとかぐや姫:「神田川」
  • 42位 海援隊:「母に捧げるバラード」
  • 43位 フィンガー5:「恋のアメリカン・フットボール」
  • 44位 沢田研二:「恋は邪魔もの」
  • 45位 野口五郎:「愛ふたたび」
  • 46位 八代亜紀:「しのび恋」
  • 47位 カーペンターズ:「イエスタデイ・ワンス・モア」
  • 48位 チェリッシュ:「白いギター」
  • 49位 井上陽水:「闇夜の国から」
  • 50位 アン・ルイス:「グッド・バイ・マイ・ラブ」

アルバム

年間TOP10

※1973年12月3日付 - 1974年11月25日付(データはLPチャートでの集計)

  • 1位 井上陽水:『氷の世界』
  • 2位 カーペンターズ:『ゴールデン・プライズ第2集』
  • 3位 井上陽水:『陽水ライヴ もどり道』
  • 4位 カーペンターズ:『ナウ・アンド・ゼン』
  • 5位 かぐや姫:『三階建の詩』
  • 6位 チェリッシュ:『ベスト・コレクション'74』
  • 7位 井上陽水:『断絶』
  • 8位 井上陽水:『陽水II センチメンタル』
  • 9位 グラシェラ・スサーナ:『アドロ・サバの女王』
  • 10位 小椋佳:『彷徨』

イベント

日本武道館公演

  • 1月18日 - ムーディー・ブルース
  • 2月1日・2日 - エルトン・ジョン
  • 2月10日 - ジェームス・ブラウン
  • 2月19日・20日 - ロッド・スチュワート&フェイセズ
  • 8月29日・10月2日 - フィンガー5
  • 10月31日・11月1日・2日 - エリック・クラプトン
  • 11月15日・16日・17日 - 第5回世界歌謡祭
  • 11月21日・22日 - トム・ジョーンズ
  • 12月10日 - サンタナ

主な音楽賞

デビュー

解散・活動休止

  • 3月31日 - ニュー・キラーズ
  • 9月 - 赤い鳥 - 解散後、後藤悦治郎と平山泰代夫妻は紙ふうせんを結成し再デビュー。山本俊彦・潤子(旧姓・新居)夫妻と大川茂はハイ・ファイ・セットを結成し翌年2月に再デビュー。
  • 10月 - シモンズ - 玉井タエがベーシスト・後藤次利との結婚による引退のため。
  • 11月20日 - はちみつぱい(2015年再結成)

年内

  • ウェイラーズ
  • エピソード・シックス
  • キング・クリムゾン(1984年再結成)
  • クエラ・ヴェッキア・ロカンダ
  • ゴールデン・ハーフ
  • ショッキング・ブルー
  • ザ・ストゥージズ(2003年再結成)
  • スペンサー・デイヴィス・グループ
  • テン・イヤーズ・アフター(1988年再結成)
  • テンペスト
  • トラフィック
  • ノラ
  • バジャー
  • ハニー・ナイツ
  • プラスティック・オノ・バンド
  • ベック・ボガート & アピス
  • ムーディー・ブルース
  • モダン・ジャズ・カルテット
  • ザ・モップス
  • ヤング・ホルト・アンリミテッド

再結成

  • アイアン・バタフライ( - 1985年)
  • ジェファーソン・エアプレイン( - 1984年)
  • ステッペンウルフ( - 1976年)
  • チェイス
  • フラタニティ( - 1975年)

引退

誕生

死去

  • 1月5日 - レフ・オボーリン(、ピアニスト、*1907年)
  • 1月27日 - 藤原亮子(歌手、*1917年)
  • 2月15日 - クット・アッテルベリ(作曲家、* 1887年)
  • 3月21日 - 大橋國一(バリトン歌手、* 1931年)
  • 4月8日 - 杏真理子(歌手、*1949年)
  • 5月24日 - デューク・エリントン(ジャズピアニスト、* 1899年)
  • 6月21日 - 小唄勝太郎(歌手、* 1904年)
  • 6月22日 - ダリウス・ミヨー(、作曲家、*1892年)
  • 7月29日 - キャス・エリオット(、歌手、ママス&パパス、*1941年)
  • 8月19日 - 大久保徳二郎(東京都、作曲家、*1908年)
  • 9月8日 - ヴォルフガング・ヴィントガッセン(テノール歌手、* 1914年)
  • 9月18日 - 齋藤秀雄(指揮者・音楽教育家、* 1902年)
  • 9月30日 - 宮川哲夫(作詞家、*1922年)
  • 10月24日 - ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリニスト、* 1908年)
  • 11月8日 - 井上武士(群馬県、作曲家、*1894年)
  • 12月2日 - ソフィー=カルメン・エックハルト=グラマッテ(作曲家、* 1901年)
  • 12月20日 - アンドレ・ジョリヴェ(、作曲家、*1905年)

脚注

関連項目

  • 1970年代の音楽

1974年の音楽


1974年全豪オープン


1974年全豪オープン


1974年 全豪オープン(Australian Open 1974)は、オーストラリア・メルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」にて、1973年12月26日から1974年1月1日まで開催された。

大会の流れ

  • 本年度の全豪オープンは、1973年と1974年の年末年始をまたいで行われた。決勝戦の日が年始の1月1日であったことから、1974年の年頭開催大会として扱う。
  • 大会会場はメルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで開催。
  • 男子シングルスは「64名」の選手による6回戦制で行われ、シード選手は16名であった。女子シングルスは「56名」の選手による6回戦制で行われ、シード選手は8名であったが、第1・第2シードと他の6名の選手に「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)があった。(第3-第8シードは1回戦から出場した。)
  • 混合ダブルスは、1970年から1985年まで競技の実施が中止されていた。したがって、記事中の「決勝戦の結果」に混合ダブルスはなく、4部門のみの記載になる。
Turnbull & Asser

シード選手

男子シングルス

  1.  ジョン・ニューカム (ベスト8)
  2.  ジミー・コナーズ (初優勝)
  3.  ジョン・アレクサンダー (ベスト4)
  4.  ビョルン・ボルグ (3回戦)
  5.  カール・マイラー (2回戦)
  6.  コリン・ディブリー (ベスト8)
  7.  オニー・パルン (3回戦)
  8.  ロス・ケース (ベスト4)
  9.  フィル・デント (準優勝)
  10.  (大会開始前に棄権)
  11.  ジェフ・マスターズ (1回戦)
  12.  アラン・ストーン (3回戦)
  13.  ボブ・ギルティナン (ベスト8)
  14.  バリー・フィリップス・ムーア (3回戦)
  15.  ボブ・カーマイケル (1回戦)
  16.  ジョン・クーパー (1回戦)

女子シングルス

  1.  クリス・エバート (準優勝)
  2.  イボンヌ・グーラゴング (初優勝)
  3.  ケリー・メルビル (ベスト4)
  4.  ジュリー・ヘルドマン (ベスト4)
  5.  レスリー・ハント (ベスト8)
  6.  ケリー・ハリス (1回戦)
  7.  パム・ティーガーデン (2回戦)
  8.  沢松和子 (3回戦)

大会経過

男子シングルス

準々決勝

  • ロス・ケース vs. ジョン・ニューカム 7-6, 6-2, 7-5
  • フィル・デント vs. コリン・ディブリー 6-4, 6-4, 6-4
  • ジョン・アレクサンダー vs. ボブ・ギルティナン 6-1, 5-7, 6-1, 6-2
  • ジミー・コナーズ vs. ヴラディーミル・ツェドニク 3-6, 7-5, 6-3, 6-4

準決勝

  • フィル・デント vs. ロス・ケース 6-4, 6-1, 2-6, 6-2
  • ジミー・コナーズ vs. ジョン・アレクサンダー 7-6, 6-4, 6-4

女子シングルス

準々決勝

  • クリス・エバート vs. ジャネット・ニューベリー 6-2, 6-4
  • ジュリー・ヘルドマン vs. レスリー・ハント 7-5, 6-7, 6-2
  • ケリー・メルビル vs. ジュディ・テガート・ドールトン 6-3, 6-4
  • イボンヌ・グーラゴング vs. カレン・クランツケ 4-6, 6-3, 6-2

準決勝

  • クリス・エバート vs. ジュリー・ヘルドマン 6-2, 6-3
  • イボンヌ・グーラゴング vs. ケリー・メルビル 7-6, 5-7, 6-1

決勝戦の結果

  • 男子シングルス: ジミー・コナーズ vs. フィル・デント 7-6, 6-4, 4-6, 6-3
  • 女子シングルス: イボンヌ・グーラゴング vs. クリス・エバート 7-6, 4-6, 6-0
  • 男子ダブルス: ロス・ケース& ジェフ・マスターズ vs. シド・ボール& ボブ・ギルティナン 6-7, 6-3, 6-4
  • 女子ダブルス: イボンヌ・グーラゴング& ペギー・ミシェル vs. ケリー・メルビル& ケリー・ハリス 7-5, 6-3

外部リンク

  • 国際テニス連盟トーナメントリンク(男子、女子)

参考文献

  • Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam” (我らのオープン-オーストラリア・グランドスラムの100年史) News Custom Publishing, Victoria, Australia (2004) ISBN 1-876176-60-1
  • Bruce Matthews, “Game, Set and Glory: A History of the Australian Tennis Championships” (ゲーム・セット・栄冠-オーストラリア・テニス選手権の歴史) The Five Mile Press, Victoria, Australia (1985) ISBN 0-86788-078-3

1974年全豪オープン


1974年全仏オープン


1974年全仏オープン


1974年 全仏オープン(Internationaux de France de Roland-Garros 1974)は、フランス・パリにある「スタッド・ローラン・ギャロス」にて、1974年6月3日から16日にかけて開催された。

大会の流れ

  • 男子シングルスは「128名」の選手による7回戦制で、女子シングルスは「64名」の選手による6回戦制で行われた。男女とも「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)はない。
  • シード選手は男子16名、女子8名。男女とも変則的なドローシート(抽選表)を組み、男子は第3シード2名・第5シード2名・第7シード2名・第9シード8名を割り当て、女子は第3シード2名・第5シード2名・第7シード2名を割り当てた。
Turnbull & Asser

シード選手

男子シングルス

  • 1.  イリ・ナスターゼ (ベスト8)
  • 2.  ヤン・コデシュ (4回戦)
  • 3.  ビョルン・ボルグ (初優勝) [第3シードが2名]
  • 3.  アーサー・アッシュ (4回戦)
  • 5.  トム・ゴーマン (2回戦) [第5シードが2名]
  • 5.  スタン・スミス (1回戦)
  • 7.  アレックス・メトレベリ (2回戦) [第7シードが2名]
  • 7.  アドリアーノ・パナッタ (2回戦、途中棄権)
  • 9.  マニュエル・オランテス (準優勝) [第9シードが8名]
  • 9.  フランソワ・ジョフレー (ベスト4)
  • 9.  ラウル・ラミレス (ベスト8)
  • 9.  マーティー・リーセン (4回戦)
  • 9.  ハイメ・フィヨル (4回戦)
  • 9.  エディ・ディッブス (4回戦)
  • 9.  ブライアン・ゴットフリート (2回戦)
  • 9.  パオロ・ベルトルッチ (1回戦)

女子シングルス

  • 1.  クリス・エバート (初優勝)
  • 2.  バージニア・ウェード (2回戦)
  • 3.  オルガ・モロゾワ (準優勝) [第3シードが2名]
  • 3.  ヘルガ・マストホフ (ベスト4)
  • 5.  マルチナ・ナブラチロワ (ベスト8) [第5シードが2名]
  • 5.  (大会開始前に棄権)
  • 7.  ジュリー・ヘルドマン (ベスト8) [第7シードが2名]
  • 7.  沢松和子 (1回戦)

大会経過

男子シングルス

準々決勝

ハロルド・ソロモン vs. イリ・ナスターゼ 6-4, 6-4, 0-6, 3-6, 6-4

ビョルン・ボルグ vs. ラウル・ラミレス 6-2, 5-7, 4-6, 6-2, 6-3

マニュエル・オランテス vs. パトリシオ・コルネヨ 6-3, 6-3, 6-1

フランソワ・ジョフレー vs. ハンス=ユルゲン・ポーマン 7-6, 6-3, 6-2

準決勝

ビョルン・ボルグ vs. ハロルド・ソロモン 6-4, 2-6, 6-2, 6-1

マニュエル・オランテス vs. フランソワ・ジョフレー 6-2, 6-4, 6-4

女子シングルス

準々決勝

クリス・エバート vs. ジュリー・ヘルドマン 6-0, 7-5

ヘルガ・マストホフ vs. マルチナ・ナブラチロワ 7-6, 6-3

オルガ・モロゾワ vs. マリー・ピンテロワ 6-3, 6-2

ラケル・ジスカフレ vs. カーチャ・エビングハウス 7-5, 6-7, 6-3

準決勝

クリス・エバート vs. ヘルガ・マストホフ 7-5, 6-4

オルガ・モロゾワ vs. ラケル・ジスカフレ 6-3, 6-2

決勝戦の結果

  • 男子シングルス: ビョルン・ボルグ vs. マニュエル・オランテス 2-6, 6-7, 6-0, 6-1, 6-1
  • 女子シングルス: クリス・エバート vs. オルガ・モロゾワ 6-1, 6-2
  • 男子ダブルス: ディック・クリーリー& オニー・パルン vs. スタン・スミス& ボブ・ルッツ 6-3, 6-2, 3-6, 5-7, 6-1
  • 女子ダブルス: クリス・エバート& オルガ・モロゾワ vs. ゲイル・シェリフ& カーチャ・エビングハウス 6-4, 2-6, 6-1
  • 混合ダブルス: イワン・モリナ& マルチナ・ナブラチロワ vs. マルセロ・ララ& ロージー・ダーモン 6-3, 6-3

みどころ

  • 女子シングルス準優勝者のオルガ・モロゾワは、ソビエト連邦の女子テニス選手として最初の4大大会女子シングルス決勝進出者になった。女子ダブルスでは、シングルス決勝で敗れたクリス・エバートとのペアで優勝し、ソ連選手による最初の4大大会タイトル獲得を成し遂げた。
  • この大会では、男子シングルスで日本人選手の活躍が目立った。神和住純が1回戦で第5シードのスタン・スミスを破り、坂井利郎がトーマス・コッホ(ブラジル)との3回戦まで進出した。日本人男子選手による全仏オープン3回戦進出は、1938年の全仏選手権(当時の名称)で4回戦に進んだ中野文照以来36年ぶりとなる。しかし、女子第7シードの沢松和子は1回戦でミマ・ヤウソベッツ(ユーゴスラビア)に敗退した。

外部リンク

  • 全仏オープン公式サイト提供、PDF形式の抽選表(男子、女子)
  • 国際テニス連盟トーナメントリンク(男子、女子)

1974年全仏オープン


1974年の相撲


1974年の相撲


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1974年の相撲(1974ねんのすもう)は、1974年の相撲関係のできごとについて述べる。

大相撲

できごと

  • 1月、大関清國勝雄が引退、北の湖敏満が大関に昇進。初場所8日目に昭和天皇、皇后観戦。協会役員改選で新理事長に春日野選出。新理事に出羽海、新監事に三保ヶ関。事業部長に花籠、審判部長に高砂、武蔵川は相談役になる。
  • 3月、学生相撲の野村と舛田山が幕下付出。武蔵川前理事長に功労金6000万円。元大関前の山引退、高田川襲名、独立。
  • 5月、大受久晃が5場所で大関から陥落。横綱北の富士連続休場、大関貴ノ花休場。横綱審議委員会は横綱不振につき警告。
  • 6月、ハワイ巡業。
  • 7月、横綱の琴櫻傑將と北の富士勝昭が相次ぎ引退、北の湖が史上最年少で横綱に昇進。新十両の清ノ華は史上初の中国出身関取。新十両の輝山は初土俵より79場所目のスロー記録。
  • 9月、秋場所11日目の二子岳-三重ノ海戦は11年ぶりに引分けとなる。
  • 10月、トンガ力士6名が朝日山部屋に入門。
  • 11月、大関大麒麟將能が引退、大関が貴ノ花1人となる。

本場所

  • 一月場所(蔵前国技館・5日~20日)
    幕内最高優勝 :北の湖敏満(14勝1敗,1回目)
     殊勲賞-北の湖、敢闘賞-魁傑、技能賞-富士櫻
    十両優勝 : 千代櫻輝夫(11勝4敗)
  • 三月場所(大阪府立体育館・10日~24日)
    幕内最高優勝 : 輪島大士(12勝3敗,5回目)
     殊勲賞-高見山、敢闘賞-長谷川、技能賞-旭國
    十両優勝 : 川崎悟(12勝3敗)
  • 五月場所(蔵前国技館・5日~19日)
    幕内最高優勝 : 北の湖敏満(13勝2敗,2回目)
     殊勲賞-荒瀬、敢闘賞-豊山、技能賞-増位山
    十両優勝 : 時葉山敏夫(11勝4敗)
  • 七月場所(愛知県体育館・7日~21日)
    幕内最高優勝 : 輪島大士(14勝1敗,6回目)
     殊勲賞-高見山、敢闘賞-高見山、技能賞-長谷川
    十両優勝 : 麒麟児和春(12勝3敗)
  • 九月場所(蔵前国技館・8日~22日)
    幕内最高優勝 : 輪島大士(14勝1敗,7回目)
     殊勲賞-金剛、敢闘賞-荒瀬、技能賞-若三杉
    十両優勝 : 朝登俊光(11勝4敗)
  • 十一月場所(九電記念体育館・10日~24日)
    幕内最高優勝 : 魁傑將晃(12勝3敗,1回目)
     殊勲賞-魁傑、敢闘賞-福の花、技能賞-若三杉
    十両優勝 : 播竜山孝晴(10勝5敗)
  • 年間最優秀力士賞(年間最多勝):北の湖敏満(73勝17敗)

参考文献

  • 『相撲』誌各号
  • 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p74

1974年の相撲